海の見える喫茶店(スナック奈々)

 

 毎日夜遅くまで仕事をしていると、どうしても朝は遅くなるが、私は一人暮らしなので、

その点気ままで、お日様が大分高くなってから起きることが多い。

窓が大きいことが気に入って買ったマンションの5階、東南角部屋。

例によってと言っても分からないだろうが、私はドアとか扉が苦手で、以前に住んだ

アパートでもドアを外していた。

それが、持ち家になってからは、思う存分自分流にしてどの部屋にもドアがなく、

システムキッチンの扉を外し、押入れはタペカーテンに変えて家具の扉もない。

 夏は涼しいが、たまに掛けるクーラーは利かず、冬は寒い。

晴れていれば日光が入るのだが、曇っていたりしてあまり寒いと風呂に入ってどうにか

寒さを凌(しの)いでいる。

 一部屋がクローゼットになっているが、その他の部屋は閑散としている。

本があるくらいで、飾り物は好きでない。

 

 日曜日、秋晴れだった。

白い寝具の上で目覚めテレビを付けたが、面白くない。

音楽を流してストレッチをして、トイレに行きその間に溜めておいた風呂に入る。

タオルフェチの私、分厚いバスローブに身を包んでベランダに出ると、青空がきれいで

勿体ないようだった。

 誰かを誘ってブランチにしようかと考え、最近入った愛莉ちゃんを誘うことにした。

この頃の女(こ)は、本名が芸名みたいな女が多くて愛莉ちゃんも本名だ。

 

 愛莉ちゃんは、年は同じだが少し前に店に入った京香ちゃんとの小競り合いが多い。

お客さんが来た時、様子を見てどちらかが譲ればいいのだが、二人とも椅子取りゲーム

のようにお絞りを持って突進していく。

 仕事熱心なのはいいのだが、お客さんのタメというより二人とも意地になってるようで

二人が争う様子はちょっと見苦しく、一度ゆっくり話しをしなければと思っていた。

 

 愛莉ちゃんに電話を入れ、「お昼、食べに行く?」と言うと、喜んで「行くー」と言った。

すぐ近くに海の見える喫茶店がある。そこに行くことにした。

 

 愛莉ちゃんの小さな赤い車で海の見える道をドライブし、小一時間車を走らせて坂を

登った所にある喫茶店に着いた頃には、ブランチならぬランチタイムになっていた。

 店の西側は国道に面しているが、店の奥に行くと東側の大きなカラス窓一面に海が

見える。

「わぁー、ステキー」と愛莉ちゃんは目を丸くした。

経験と知識は積んだがトキメキからの感受性が弱くなった人間は、自分が失った驚き

とか好奇心トキメキを見たくて、若い子を驚かせたり、感心させたいと思う。らしい。

 一番大きな窓のテーブルに座った私たちは、注文を聞きにこないのをいいことに暫く

海を眺めた。

 ちょっと離れたテーブルには、若いカップルが居てやっぱり海を眺めていた。

水平線が、青い海と空の間に光っていた。

 白い雲がちょっぴり。波は凪(なぎ)。形も見えない位遠くに白い船。

店の前は道路だが、その向こうが散歩道になっている。そこを、犬を連れた人が歩く。

ジョギングをして走る人がいる。その先は断崖で、パーンと海が広がっている。

 それらが、大きなスクリーンに映し出されているようで面白い。

愛莉ちゃんはムキにならないと付き合いやすい。お喋りじゃないし、ズルイところがない。

 注文を取りにきて、メニューが決まった。

それからも暫く時間が掛かったが、休日で急ぐ用事もない。

 隣のカップルにランチのセットが来た。

二人が顔を合わせているのが見えた。

 ウエイトレスが居なくなると、二人は目配せして

「あのー」とウエイトレスを呼んだ。

「これ、頼んでないと思うんですけど」と男が言った。

すると、「間違ったんです!」と、ランチセットを下げた。

 その言い方は、ちょっとそれはないんじゃない?という感じだった。

更に下げたそのランチセットは、私たちが頼んだ物と見た。

「あれ、そのままこっちにくるね」と私が言うと

「文句言ってやりますか?」と愛莉ちゃんが言った。

「いいわよ」と言って間もなく、私たちのランチセットがテーブルに来た。

愛莉ちゃんは、何か言いたそうにこっちを見たが、知らん顔している私を見て黙った。

 デザートの杏仁豆腐はちょっと柔らかく、トッピングされた生の果物が美味しかった。

ちょっと懐かしいアメリカの曲が流れていた。

 窓際の席がイッパイになって、奥の席にお客が入り始めた。

「ここ、前はこういう造りじゃなかったんだけど最近こういう風に直したんだよ」と、

海が見えることを自慢している声が聞こえる。

 すぐ後ろのテーブルに、若いカップルとその男性の両親らしき4人が座った。

緊張した母親がナマラナイように若い二人に話す横で、父親は寡黙(かもく)。

 愛莉ちゃんが、私を見てニッコリした。

「もう、帰る?」

「ええ」

伝票がなかった。

レジに行き「伝票がないんですけど」と言うと、

「いいんです」と言う、さっき「間違ったんです!」と言ったコだ。

30歳位のそのコが、横に居る若いコをレジに押した。

 そのコはレジに立って伝票を見ながら打ち始めたが、間違って押して“ピー”と鳴り

出した。

「何やってるのよ」とキツイコ。

半べソになった若いコが、焦っている。

キツイコ、横から「ここを押すのよ!」と言うが、手助けしない。

時間が掛かって、途中でレシートが破れた。

金額が出て支払う時に「レシートは?」と聞かれ「頂きます」と私は言った。

「あの、新しく打ちますか?」と若いコは言ったが、

「いや、いいですよ」と破れたレシートを貰った。

金額を聞いた時悪い予感がしていた。杏仁豆腐をお土産に買ったが、ヤケに高い。

何時もは領収書を貰うのだが、身元がバレないようにレシートだけにした。

しゃれたレンガの階段を下りて駐車してあった愛莉ちゃんの車に乗りこむと、レシート

を取り出した。

「何?ママ」と怪訝な面持ちの愛莉ちゃん。

「んー、ちょっとね」やっぱり、レジ打ち回数と頼んだ品数が違っていた。

「これ、見て。頼んだ数より多くない?」

「どれどれ」

途中で切れているレシートを合わせて見ていた愛莉ちゃんが、

「ランチが4回打ってありますよ」と目を丸くした。

「じゃ、行くか」と私が言うと

「出入りですね」と愛莉ちゃんがニヤっとした。

全く、騒ぎ好きなんだから。

 

 レジカウンターに戻り、若いコを手招きした。

「何ですかー」とニコニコして来た。

「あのねぇ、ランチが倍打ってあるよ」と小さな声で言う。

「えー」

「確認して」

キツイコが、さっと傍に来た。

「何やってるの!打ち直して」

若いコがもたもたとレジを打っている横で「ここで、これを押すの」などと言っているが

手助けしない。

 そして、レジが打ち直されると私たちに謝る様子もなく、さっと奥に行ってしまった。

「お姉さん幾つ?」

「19歳です」

「そう、バイト?」

「今日入ったばっかりです」

「大変だね。でもいい勉強になるね。頑張ってね」

「はい」とその顔は曇っている。

「何を頑張るか。分る?

仕事を、失敗しないように頑張るのは勿論だけど、もっと大事なのは嫌にならないこと、

メゲナイことだよ。じゃ、またね」

「すみませんでした」

「いえいえ」

 

車に乗ると愛莉ちゃんが、「プロ意識ゼロですね」と言い出した。

「お客さんの前で教育すんなっての。ママ、どう思いました?

間違って運んでおいて『間違ったんです!』は、ないでしょ。

あの指導してたコは、笑顔が全くないし。

お客さん待たせておいてレジ打ちの練習させてちゃ駄目でしょ。

でもって、あのまま帰ちゃったら2千円以上もボッちゃったのに、あの上から目線女は

一度も『すみませんでした』って言いませんでしたよ。

内輪で騒いで揉めてるだけで、お客さんに目が行ってませんよ」

「そうだねぇ。

私、前に写真やさんに行って渡された写真が違う人のだったことがあったのよ」

「あら、嫌だ」

「それで、その場で確認したから良かったんだけど、『これ、違ってますよ』って言ったら

その人、クルっと私に背を向けてバックヤードに『何やってるのよ!』って怒鳴ったの」

「えー、先ずお客さんに謝るんでしょ」

「ねぇ。そして、裏から出てきたコに『しっかりしなさい。この間も間違ったでしょ』

って説教始めたのよ」

「バッカじゃないの」

「お店って、お客さんから見たら色んな人が居ても一つなんだよね。

仲間で手柄取り合ってたり、失敗を押し付けあっても同じ穴の狢(むじな)っていうか、

同類。心を一つにして、裏の顔を見せちゃいけないね」

「そうですね。モノだけじゃなくて夢を売るのも商売ですものね」

「いいこと言うんじゃない」

「へへ、ママの受け売り」

 

 それから、お魚市場に寄ってもらって愛莉ちゃんにも刺身を買って持たせ、私の

マンションまで送ってもらった。

 まだ明るいうちに風呂に入り、風呂好きだねぇー。

マグロのカルパッチョ、焼き魚、冷奴、茄子焼き、塩辛で冷酒を呑んだ。

 

 冷酒を喉に流しながら、今日のことを思い出し、愛莉ちゃんに言いたかったことが、

あまりにタイムリーに起きたことに改めて感心していた。

 

今日のBGMは、何故かマレーネ・デートリッヒ。