野次騒ぎ(ムカドン)
<都議会で野次が飛ぶ>
初めての議会、緊張した面持ちの女性議員が壇上に向かうと「どなたさまー」という
声があった。
気心の知れた人であれば、ユーモアで緊張をほぐす掛け声の場合もあろうが、
それこそ「どなた様?」が言ったのか、顔を出さない声に善意は感じない。
女性議員が、女性の社会進出や少子化問題、そして子育てのサポートについて発言して
いると野次が飛ぶ。(女性の立場をどう守り支援するか。という話の最中)
「早く結婚した方がいいんじゃないか」「先ずお前が産めよ」
「おまえは産まないのか」「産めないのか」等々。
その時、その声に対する「えー!?」という疑問や批難の声は起きなかった。
起きなかったことに「えー!?」だ。
そして、代わりに笑い声が起きた。
それは、人権を守り、国民の声を代表して述べる人たちの間からだった。
人が話している時にこういうことをする人達が、弱い人を守れるのだろうか。
弱者の気持ちに寄りそえるだろうか。
いじめをしている人は、「ふざけだ」「冗談だ」「弱い人間を鍛えてやっている」と言う。
そして、「ムカついたから」「調子に乗ってるから」とも。
<小学生以下>
以前、新聞の投稿で小学生が書いていた。
「学校で『人の話はちゃんと静かに最後まで聞きましょう』と先生は言うんですが、
どうして国会では、居眠りしていたり、騒いで人の話を邪魔したりするんですか?」と。
<予測通り>
最初にこの話が報道され、野次を言ったのは誰だ?という話になっていた時。
私は確信を持って予測した。
仲間みんなで野次を言った人を庇って、言った本人もシラを切るぞ。と。
結果は案の定だったが、何故そう思ったか。
力を持った者(この場合野次男と笑った男)は群れる。
そういう者達は、ウソをついてでも仲間を庇(かば)うのが仁義だと思っている。
だから、仲間が女と会っていたのに自分と会っていたか。などと奥さんに聞かれたら、
自分は信頼されていると勘違いするのか、自分の時もやってもらおうと思うのか、会って
いたとウソをついてでも庇う。
それが本当の事でも、仲間が浮気をしているだの盗みをした。いじめをした。などの
仲間が不利になるようなことを言うのは男義に反する。という定義がある。
だから、野次を飛ばした者が誰だったか、分かっていても分からない振りをして話を
ウヤムヤにして終わりにしようとするだろう。と予測したのだ。
残念ながら、大当たりだった。
そして、次の展開を予測していた。
その他の野次を飛ばした人間は現れず、その仲間達は闇に隠れる。
なのに、彼女の過去や個人情報が公にされ、そういうことを求めるバカ共のさらしもの
とされるだろう。と。
きっと、話のすり替え作業がされるだろう。と。
されるがぁ、どんな過去があろうと毅然としておれ、と祈った。
卑怯者とゴシップ好きの食いものにならない自己を確立する絶好の機会だ。
どういう訳だか、加害者の人権は守られ被害を受けた者を更に痛めつける土壌がそこに
あるのだ。
いじめと同じだ。だが、被害書は悪意を持つ者の思う壺にはまるなよ。
本当の仕返しをするんだ。
本当の仕返しとは、仕返ししないことだ。それをバネに大きな深い人間に育つことだ。
それは、生半可な努力ではないだろう。が、それを与えられたことに感謝だ。
強い大きな優しい感謝出来る人間にまで育つことが、本当の仕返しだ。
<人間愛と体制>
家族愛も愛国心も、ある意味自分の立ち位置と都合によって存在するエゴである。と
私は考えている。
愛国心という小さな愛が、“戦争”を引き起こすと考えているが、まだそうは考えられ
ないのが今の世の中だ。
全ての者は家族であり、家族でない。
親鸞聖人は「親兄妹の為に念仏を唱えたことはない」という。
親、兄妹、家族、他人、敵、味方、すべてのモノに分け隔てなく親身になり、身びいき、
エコひいきをしない。
それこそが人間愛だ。
一応“人間愛”と言ったが、人だけでなく全てのモノに生まれ変わって生きたという
お釈迦様の愛は“宇宙愛”だろう。
その人間愛にも目覚めていない、縄張り意識を露わにする者に、人の上に立つ資格は
ない。と、わしゃ思う。
だのに、その資格(人間愛)のない者こそが体制を作り、そこに身を置きたがる。
坂本竜馬なんぞは、国だけを愛さず、本当の意味に於いて国を愛した人だと思うのだが、
なかなかああいう人が現れない。(そういう考えの人は沢山居るのに)
何故か、体制は体制を守るタメに悪人(仲間)を擁護し、闇へと隠し、その体制を壊
す者を抹殺しようとする。という体質構造を持つ。
だから、体制は“表面上は”壊れず存続することになり、人間愛を知る者は体制に阻
まれ世に出られない。ということになる。
<時間切れ、確信犯>
やっぱり、「私は言っていません。心外です」と言っていた男が、実は言っていたことが
(自らの白状ではなく、逃げ切れなくなって)判明、“一応”謝罪する。
その他にも野次を飛ばしていた者が居たことは確かなのだが、現れず。
女性議員はすべてを明らかにする為に控訴すると言っていたが、ゴタゴタ騒いでいる
うちに、時間切れで控訴できないことになる。
控訴出来るのは何日以内という法律があるらしい。
議長は、そうなる(控訴出来なくなる)のを分かっていたんじゃないのかい。あー!?
<おそまつ、共犯者>
最初の報道の時、野次で「余計なお世話なんだよ」「自分が早く結婚した方がいいんじゃ
ないのか」「産めないのか」「不倫してるんだよ」という声を聞いたと言う人が居た。
しかし、周りに座って居た者たちは、一様に「聞こえなかった」「分からなかった」と
言う。
じゃあ、何でその時に笑い声があがったんだ?
一体、何を笑ったんだ? あー?
いじめがあった時、いじめた者よりそれを傍観していた者、そこで笑った者に対しての
怒りは強く、悔しかった。といじめられた子は言う。
女性議員も野次を情けない、悔しい(残念)な思いで聞いたが、それより、それを笑
う声が聞こえた時こらえ切れなくなった。という。
笑った者も、その時に野次を止めなかった者も共犯者だ。
そして、野次を言ったのが誰だったか分かっていても分からないと言う者も共犯者だ。
そこで自浄力を発揮出来ない自民党は、共犯者の集合団体だ。
<未熟と弱み>
野次問題から一般の職場でもセクハラ、パワハラに対しての過剰反応が出ている。と
いう。
「結婚しているの?」「子供さんは?」は、そういうことは聞かれたくない人も居るから
セクハラだという。
「そんなに過剰反応していたら話が出来なくなっちゃう」と言っている人も居て、
人の気持ちを傷つけないようにと気を回し過ぎると仕事どころではなくなってしまう。
だからと言って、人の尊厳やリスペクトなどに心が行かない未熟な人も居る。
私は相手の身になって考えられずに喋る人も未熟だが、言われたくないことを抱えて
いるということも未熟な気がする。
未婚である、子供が居ない。という事実があったとして、それは良いことでも悪いこと
でもない。全ては中立、そこには結婚していない、子供が居ないという事実があるだけ。
それを良くないことだと自分が思いこみ、言われたくないと意固地になった瞬間に弱み
となる。
弱みを持った瞬間に世界は狭くなる。
反対に、そこにある事実を、ありのままに受け止めた時、弱みにはならない。
野次を言った議員と隠している議員、その体質を変えないと今後も弱みだらけでその
弱みをカモフラージュするために威張る、自己顕示するという道を歩むことになる。
未熟とは、未だ熟していないということで、いずれ熟すことが出来るということだが、
その為には正々堂々、包み隠しなく、自分のことは自分で背負う。ことが基本となる。
<サッカー>
日本の子供のサッカーの技術面の水準は高い。という。
でも、将来性に疑問があるという。
それは何かといったら、団体でやるスポーツなのだが、仲間と仲良くなりすぎるか、
自分ばかりをアピールしようとするかのどちらかになる傾向がある。という。
そして、真面目でコーチの言う事を聞く子ほど、自分で考え想像する力に欠けている。
失敗を恐れず果敢に攻める気持ちが足りない。という。
一人ひとりに考えがあって、創造して自主的に動く人間が集まって、初めて強いチーム
となる。
自民党の議員、一人ひとりに考えがあったとしても出せないのは、仕組みなのか。
<アンケート>
議員に野次に対するアンケート調査を行った所、アンケートに答えたのは、127人中
61人。
127議席の内訳。自民58、公明23、共産17、民主15、みんなの4、ネット3
無所属1、無(再生)1
自民党は誰もアンケートに答えず。自民党として一括して回答を出した。
自民党58人足す3人、自分の意見も言えずに、どうやって国民の声を届けるんだ!?
<華厳の経>
うろ覚えなんだけど、お釈迦様が言ったという華厳の経に
「大きいモノの形態は、小さいモノの形態を表わし、小さいモノの特徴は大きなモノの
特徴を持っている」という言葉が、色んなものを表わしているような気がする。
一人ひとりの生き方が、家族となり家庭を作り、職場を作り暮らし地域となり、町に
国になっていく。
そして、国の在り方は、国民一人一人の考え方と生き方によって出来ている。
それから、華厳経で「初めに形が現れる」みたいな事も言っていて、
それって「初心忘るるべからず」みたいなことなんじゃないだろうか。と思う。
議員になった人達も最初は単なる立身出世や保身だけじゃなく、人や国を思う清らかな
希望があったんじゃないかと思うんだ。
力を持たなければ発信出来なかったことが、力を持ったことによって発信できなくなっ
ているとしたら、それは本末転倒で何のために力(権力)を得たのかということになる。
<思考は運命に>
マザーテレサの言葉。
「思考に気をつけなさい、思考はいずれあなたの言葉となります。
言葉に気をつけなさい、言葉はいずれあなたの行動となります。
行動に気をつけなさい、行動はいずれあなたの習慣となります。
習慣に気をつけなさい、習慣はいずれあなたの性格となります。
性格に気をつけなさい、性格はいずれあなたの運命となります」
この言葉を、野次を飛ばした議員、容認した議員に聞かせたい。と思っていたら、
「看却下」「照顧却下」自分の足下を照らし、看なさい。
語るより行いなさい。という言葉が出てきた。
すみませ〜ん。
そうでした、大事なのは、自分がどう生きるか。でした。
毎日、自分はどうしたらいいか、どうするのか手探りで生きている。
次々と目の前に現れる出来事と、どう向き合っていくか。
為すべき必要なことは、過不足なくやってくる。
今回も色々考えさせられました。
<大海の一滴>
そして、何かを心配し憂えている時、またまた思い出すマザーテレサの言葉。
「あなたは、あの大海の海の一滴の水です。
あの大海も一滴の水が集まって出来ています。
あなたが変わることで、あなたが始めることで、一滴が変わります。
あなたが変わることで、大海の水は変わるのです。
あなたが変わることで、世界を変えることが出来ます」
<イマジン>
天国は な〜い ♪
ただ空があるだけ
国境も な〜い ♪
ただ地球があるだけ
みんなが そう思えば ♪
簡単なことさ
夢かも しれない ♪
でも その夢をみているのは
一人だけじゃない ♪
世界中に いるのさ
何だかこの歌、嬉しくなる。