翼状片(手術)

 

 7月8日、10時、S病院に入る。

処置室での検診が済み、3階の病室に入る。

誰かが傍に居ると眠れず居たたまれない私は、個室を希望していたが、個室は空いて

いなかったタメ二人部屋を一人で使って、個室扱いということになった。

ロッカーにタオルや寝巻きを入れ、テーブルに箸、湯のみなどを並べる。

昼間寝てしまって夜眠れないと困ると思って、持ってきた本を出す。

辺見庸の自動起床装置。面白いが矢鱈眠い。私は、緊張と恐怖の時、眠くなる。

まあ、良いだろう。骨休めのつもりもあって来たのだから。と、早速横になる。

腹が減ったところで昼食。美味しくキレイに頂く。

午後からもやることなく、テレビのカード15時間千円を買ってきた。

夕方、処置室に呼ばられ、ベタベタの目薬を付けられて眼帯を掛けられる。

辺見庸は読み終わっていたが、遠藤周作も持ってきていた。でも、これでもう本が読め

なくなった。

片目になると、遠近感が掴めず箸も使いづらい。

夕飯は、ご飯にオカズをみんな乗せて食べる。

 食事は朝8時、昼12時、夜6時。消灯9時。朝の洗面所は6時以降使用。

まだ明るい時間に夕食を食べていると、小鳥が病院の横にある林に帰ってきたのか異常な

程の鳴き声。

 涼しい風が入ってきて、人の話声が聞こえ、カチャカチャと金属が触れ合う音がする。

(あーあ、明日の手術さえなければ、一人で旅行に来たみたいなのになぁ)

白いシーツのベッドに手足を伸ばして横になると、幾らでも眠れる。

広い部屋に一人きりなので気兼ねがなく、テレビを見たり、持参したラジオを聴いたり

ウトウトしていると、体温と血圧を測りに看護婦さんが来る。

 あれだけ寝たのに夜も眠れる。

 

7月9日

朝、朝食後(もう食欲がなくなっていた)、処置室で検査、目薬、眼帯が変わる。

昼食は抜き。12時半、手術着に着替え、左耳に綿が詰められ手術帽をかぶり、その

周りがテープで閉じられ、点滴が始まる。

 1時半に手術室に入る予定だったが、15分早まって1時15分に車椅子に乗る。

2階の手術室に向かう。

美人の看護婦さん、スイスイと車椅子は進む。(あー、これが遊びだったら面白いのに)

「大丈夫ですか?」と看護婦さん。

「ええ」

「何か気になることありますか?」

「別に」

「緊張してますか?」

「そりゃ、もう」

「あー、緊張してるんだぁ」

「してないつったらウソになりますよ」

「大丈夫ですよ」(こういう時の、この言葉は、ありがたい)

「でも、私イクジナシだから頑張らないと駄目なんです」

「頑張ってくださいね」

「はい、頑張ります」

 

手術室に入る。

堅いビニールのベッドに寝る。

お願いした先生の他にもう一人若い先生が居た。

看護婦が何人か準備をしている。

点滴が付いたまま、心電図のペッタン、血圧計、酸素吸入が付けられる。

眼が洗われる。結構痛い。砂でこすられているみたいにチリチリする。

顔に穴の開いた布が掛けられ、その上にも何か掛かった。

今度は、液体で消毒されているらしい。

眼を開けていることが出来なくてどうしたらいいのかと思っていたら、

大きな透明シートで瞼を固定された。

 でも眩しい、痛い。

液体の麻酔だろうか、点眼。針みたいなモノが眼に迫る。

「痛いです」と言うと

「まだ効いていないのかな」と更に麻酔。

でも、まだ痛い。

それから2回程麻酔をすると、感覚がなくなる。

眼にサルグツワみたいなものがはめられ、瞳の上にコンタクトレンズみたいな黒い遮断の

ものが乗せられる。

視界が黒くなると安心した。

先生は、若い先生に教えながら手術をしている。

「ほら、ここから取っていくんだよ」

は、いいんだけど「やってみなさい」は、(ごかんべんをー)と思う。

「はい」(はいじゃねーよ)

「あー、キレイに取れたねぇ」(うぉー、よかったぁ)

10分掛からず、翼状片は取れたらしい。

「これから、白目を縫い合わせていくからね。要するにパッチワークだね」

「はい」

これが結構掛かった。(15分以上?)

「糸の長さが短いだろうよ」と先生が看護婦を注意している。

「あれ?おかしいなぁ。どうしちゃったんだろ」(って、看護婦しっかりしろよ!)

「あたし、ちゃんとやった筈なのになぁ」って小さな声でグズグズ言ってる看護婦を

先生は無視。

「ほら、ここをしっかり結ぶんだよ」

先生がやっていると思うと安心だが、「ほら、やってごらん」と先生が言った途端に

ドキっとして、心電図だか血圧計だかが、「ピッ」という。

 固定する為に置かれた先生の手は、私の額とホホ骨の上にあったが、若い先生の手は

隠れた右目の上に乗っけて気が付かないようだ。

(あーあ、後で視界がぼやけちゃう)と思いながらも言えない。

腰が痛くなってきて膝を上げようとしたら、何やら動かないように押さえがある。

(ギョヘー、こういうの弱いんだよな)私はちょっと閉所恐怖症だし、逃げられないと

思うとパニックになる。

(なかったことにしようっと)

急に、眼が痛くなってきた。

「あの、痛くなってきました」

「どうしたんだろう」と先生が言うと、

「あっ、僕が〜に手を乗せていました」

どうも、眼のサルグツワに手を乗っけて私の眼球がめり込んでいたらしい。

その後も「すみません」と何度も恐縮する若い先生に可笑しくなった。

何度か目隠しのコンタクトがずれて光と一緒に針みたいな物が目に入ったが、ホント、

眼に入るって感じ。

そして、「あと二つ縫ったらオワリだからね」という先生の声は、カミサマの声のよう

だった。

 目薬が塗られ、眼帯が付けられ、車椅子に乗った。その開放感は、ちょっとないね。

エレベーターに向かいながら、「終わって良かったですね」と看護婦さん。

「あー、良かった、良かった」と言ったが、ふと気が付くと右目がヌルヌルしている。

「あれ?あたし気がつかないうちに泣いてたんだわ。涙が出てる」

「あー、泣いっちまったか」と看護婦さん。

「あー、泣いっちまったんだねぇ」

「でも、これでスッキリしましたね」

「はい、アリガトございます」

と、エレベーターの前で話していたら、後ろに若い先生が立っていた。

 お礼を言おうと思ったら、隣に開いたエレベーターに乗ってしまった。

部屋に戻ると半分しか見えなくて分からなかったが、看護婦さんにお礼を言っている

夫の声が聞こえた。

「あれっ、来てたの?」というと、

「良かったですね」と看護婦さんが言った。

  検査や手術の説明の度に、「ご家族は見えないのですか?」と何度も聞かれ、

「はい」とその度答えていた。

私は、勝負の時は一人がいい。気が散るから。

誰も来るなと言っていた。夫が来たのも手術の後(勝負がすんでから)で良かった。

2時半になっていて「随分掛かったんじゃねえの」と言ってすぐに帰った。

(待ってたのかよ)

 

 その日は昼食抜きだったのに食欲がなく、夕食も美味しくなかった。

でも、ヘキサゴンとアブちゃんの出る8時からの番組を見て大笑いしてしまった。

 やっぱり、きつかったんだねぇ。よく頑張りましたよ。

前日は子供の泣き叫ぶ声が夜中まで聞こえたが、その晩は静かだった。

でも、夜間の救急車が、5回位来た。

みんな、戦って生きている。そんな気がした。

 

7月10日

朝の検診で眼帯が外された。

因みにテレビの15時間カードは、きれいにクリアしました。

私って、テレビ好きだよねぇ。

 病院の入り口で売っている焼き芋を買って帰宅。

                 という訳で一件落着。