人生相談

 

 新聞の人生相談

30代主婦。優しい夫と幸せな毎日を送っていますが、盆暮れの帰省のことを考えると

気が重くなります。

元教師の父は、よく仕事の自慢をしていたので偉い人だと思っていました。

私がかつて教員採用試験に受かった時は

「合格できたのは、父親が模範的な教師だったからだ。ありがとうは?」と言われました。

後で父はあまり仕事をしていなかったことを知りました。

 祖父の葬儀の時は、喪主なのに何もせず、私が走り回りました。なのに帰り道に

「どうだ、いい葬式だったろう」とまた自慢話です。

母も霊柩車のランクなど見た目のことばかり話していました。

 今年のお盆、父に

「お前に子どもがいないことで、お父さんがどんなに恥ずかしい思いをしているか分かっ

ているのか」と言われました。

父には愛想を尽かしていましたが、この言葉には傷つきました。

 もう、これからは帰省したくありません。実家とどう付き合えばいいのでしょうか。

 

 その相談を読んで、20年程前のジュータン事件を思い出した。

 

 知人が、室内装飾の店を出した。

壁紙を張ったり、カーテンやジュータンを販売する小さな店だった。

奥さんと二人で店を守り、幼い子供が2人居るという、見た目には幸せな家族だったが、

なけなしの金と借金で始めた店は自転車操業だったらしい。

 その頃は、資金繰りに奔走しながら仕事を見つけ、その上自分ひとりで工事もするとい

う、それは、精神的にも肉体的にも殺人的な生活だったという。

「正直言って、一家心中を考えたことがなかったと言ったらウソになる」と彼は言う。

 そんな生活が大変だったときに、小学校の担任だった先生から電話が入った。

「お前、カーテンの店出したんだってな、先生、家建てたんだよ。カーテン頼むよ」

彼が小学校のときに居た先生で、校長先生にまでなった人だという。

「へー、どんな先生だったんだ?」と聞くと

「覚えがなかったなあ、俺、あんまし学校、得意じゃなかったし」と彼は言った。

 

日当たりのいい山の斜面に建った家は、とても立派で(さすが、校長先生あがりだ)と

思ったという。

先生に会うと、開口一番出た言葉は、久し振りの再会の挨拶でなく

「わざわざお前に頼んでやったんだ、マサカ、他所より安くするんだろうな」だった。

カーテンを決めるにあったっては、誰が見ても恥ずかしくないモノを欲しがりながら、

その金額にこだわり、その値引きは手厳しいものだった。

「いいモノを安くやろうと思っていたし、“こっちから”まけたかったけど、先生が言う

以上には、まけられなかった」と悔しそうに彼は言った。

 カーテンが出来上がり、取り付け工事が済み、集金の段になって端数を切られたときは

もう、驚かなかったという。

「そうだ、ジュータンも頼むんだった」と先生が言ったときに彼は、もう、そこの仕事は

やりたくなかった。

「あれ、ここにあるのは何ですか?」と部屋の横に丸めて置かれていたのは、ジュータンだった。

「あー、もう古いから捨てようと思って、お前、持っていって捨ててくれ」

「いや、これクリーニングすれば、まだ大丈夫ですよ、いいものですから」

「そうか?でも、クリーニングするところが分からないし」

「いや、僕、知ってますよ」

丁度、友人がクリーニングの店を出して頑張っていた。

先生はいい客ではないが、彼に紹介してやろうと思ったのだ。

「じゃあ、そこにあると邪魔だから、お前持って行ってくれ」と先生は言った。

そこで断ればいいのに、「いいですよ」と重いジュータンを車に乗せて運ぶところが、

彼の甘さでありいいところだ。

 それで、済んだと思っていた。

ところが、2,3ヶ月して先生から電話が入った。

「あのジュータン、どうなってんだ!?」

てっきり、ジュータンはクリーニングが済んで届けられているものだと思っていた。

友人に電話してみると、友人は蒸発して行方が分からず、店もなくなってジュータンの

行方も分からなくなっていた。

そのことを先生に伝えると

「じゃあ、うちのジュータンはどうしてくれるんだ?!」という。

そして、「僕が責任取って弁償します」ということになった。

先生は、新品のジュータンをカタログから選び化繊のジュータンで決まると、

「うちのは、ウールだった」と言った。

捨てる筈だったジュータンが、タダで新品に変わった。

そのジュータンを届けると、

「先生も、少しは照れくさかったんだろな、人生は甘いもんじゃないしっかりやれよ、

友達は選べよって言ってたよ」と彼は言った。

 その先生は、自分が自ら悪者になって人生の厳しさを彼に教えてくれたらしい。

先生自身は、何の被害もなく、むしろ教え子を食い物にして…。

 

人生相談を読んでいたら、そのジュータンの話を思い出した。

ジュータン先生の子供や奥さんは、彼を尊敬出来るのだろうか?

彼の孫は、彼を好きだろうか?と思った。

 

    人生相談に対する私の考え

 人に与えられたモノ、事には、何か意味があるんじゃないかと、最近思うようになった。

何事によらず目の前のことだけで、喜んだり浮かれたり、或いは落ち込んだり、

嫌になったところで終わりにせず、その事は自分のとってどんな意味があるんだろうと

考えるはじめると、嫌なことも面白くなる気がする。

 私の考えは失礼だと言われることがよくあるが、彼女の立場だったらこう考えると思う。

自分は今、いいものを見せてもらっているんだなぁ。

自分にもこの人の要素があるんだ。だから反発するんじゃないだろうか。

せっかくの“自分がなりたくない”生きたお手本がそこにあるのだ。

他人で迷惑を掛けられる人にくっ付いている必要はないと思うが、親子として生まれて

きたということは、その人と離れられない縁で結ばれたということだ。

そこには、どんな意味があるんだろうか?

そういう人によって自分を賢く強い人間に育てなさいということなのか、それと同時に

そういう人とぶつかり合うことで、その相手も変わっていくのかもしれない。

彼女の父親は、不器用な人なんだろうなと思う。

嬉しいと浮かれて相手を威圧したくなり、手柄は自分のモノにしたい。

孫の顔が見たいと素直に言えず、世間体を気にした言い方でしか伝えられない人。

彼女も子どもを持ったらその気持ちが分かるかもしれない。

 好きな尊敬する人の傍に居ると、心が穏やかで波風が立たず心地よい。

でも、そういう人とばかり付き合って生きていけないのが人生。

 自分に出来ることは、自分がどういう人間になるかということ。