ジョージ

「ボクはオカーサンの子供に生まれたかった」とジョージは私に言った。

ジョージは、スリランカから出稼ぎに日本に来た青年だった。

「そーか」と言ったが、私はその頃、自分の子供たちから嫌悪されていると感じていた。

あれから10年も経って、子供たちは少し大人になり私を自分の母親としてだけでなく

一人の人間として見られるようになり、私も子供たちに自分の想いをぶつけなくなって

ワダカマリのない関係が出来つつある。

 

「ボクは、オカーサンに育てられたかった」

「そーかぁ、でもお母さんが育てている子供たちは私を大嫌いみたいだよ」

「それはワガママだよ」ジョージは日本に来て2年も経たないのに流暢な日本語を話した。

ジョージの母親と私が知り合いで紹介され、いろいろ相談されるようになったのだ。

働くところがなくて困っているというので、「私の店で働くか?」ということになった。

スリランカ独特の彫りの深い、丹精な顔立ちをした美しい青年だった。

 

「お母さんの子供になったら、大変だぞ」

「どーして?」

「お母さんの性格、知ってるだろ?手加減が出来ない人だぞ」

「だから、オカーサンの子供になりたいんだ」とジョージは言った。

彼が5歳の時、両親が離婚した。

2歳の妹は母親が引き取りジョージは父親とアパートに住むことになった。

しかし、父親は間もなく彼女を連れてきてジョージは追い出された。

離婚の原因が父親の浮気だったから、最初から彼女と住むつもりだったのかもしれない。

ジョージは、伯父叔母の家を転々として、母方の祖母に家に行くことになった。

母親は、間もなく日本に出稼ぎに行き日本人と結婚したという連絡が入った。

彼は小学生の頃から、バイトをしてきたという。妹の面倒もみた。

母親の居ない祖母の家は、居心地が悪かったという。

 彼は、高校卒業と同時に日本に来た。

日本には、母親が住んでいる。それを頼りに来たのだ。

彼が未成年のうちは、扶養家族として日本に居ることが出来た。

 しかし、成人すると就労ビザか学生ビザがないと日本に居られないのだという。

働く所もなくてお金もない。「困っちゃったよ」とジョージは言う。

ジョージと出会って、私は自分の欠点に気付いた。

相手がどうしたいかとか、どうして欲しいとはっきり言っていないのに気を回して

「じゃあ、うちの店で働く?」とこちらから言ってしまうのだ。

人を育てたかったら待つことだということを、彼から教えられた。

「調子が悪いんだよ。熱っぽいんだよ」とジョージが言う。

「じゃあ、帰りなさい。おにぎり握ってあげるから、食べたあとこの薬を飲むんだよ」と

冷蔵庫にあった果物を持たせる私は、そういう自分に自己満足していたのかもしれない。

 しかし、その日の彼は友人と会う約束をしていて帰りたかっただけだった。

そして、ウソはばれる。ジョージはよくウソをついた。

「ウソはいけない。何故だか判るか?

バレてもバレなくても、自分が惨めになるからだよ。

人間、惨めにだけは、なっちゃいけないと私は思うんだ。

他所の人にどう思われようと、何と言われようと、自分が堂々と胸を張って生きていける

生き方をしてごらんよ。

一回、認められようとする気持ちを抑えてみな。

判ってもらおうとする気持ちを捨ててみな。

面倒臭いことから逃げようとするのを止めてごらん。

何かが楽になるから」とジョージに何度も言ったが、それは私の通ってきた道だった。

 

もう一度、話しをぶり返すが、「お金がなくて困っちゃった」と言った時どうすべきかと

いうと、その時は、「そーか、困ったねえ」と同意するだけでいいんじゃないだろうか。

「だから、働かせてください」なり「お金を貸してください」なり本人がどうするか決め

て言ってくるまで待つべきだったのだと思う。

 我が子でも、散々これをやってきていた。

気を回し、先回りして物品を与え、勝手に身の回りの世話をしてきたのだ。

彼らが愚痴をこぼした時、解決策まで考えて手出しすることは彼らの手足をモグこと

だった。彼らの手足をモイデいたのは、私だったのだ。

 

ジョージは、次の仕事を見つけた。

「オカーサン、遊びにキテ」と電話が入ったのは、道路に湯気が立つ程、暑い日だった。

アウトレッドの店になっている大きな倉庫にはクーラーもなく、ジョージは汗だくになっ

て働いていた。

「働くことは、ちっとも苦じゃない」と彼は言った。

そこで自転車を買った。

ブレーキが壊れていて、直して持っていくと彼は言ったが、直さずに運んできた。

「ココで直す」と自転車を分解していると携帯電話が鳴った。

友人からのようだった。

そして、「すぐに戻るから」と出掛けたが、夕方になっても戻ってこなかった。

夕立がきそうな空模様で、私は自転車の部品を片付けた。

こういうことが、何度もあった。

私の店で働いていた時、家の裏にレンガを敷いてあげると言って始まった。

A型のRHマイナスなんだという彼は、几帳面な仕事をする。

口を尖らせて汗をたらしながら、きちんとレンガを並べてはゴム槌で叩く。

しかし、半分程出来上がったところで、別の用事が出来て、終わりにしてしまった。

使った道具は、そのまま出しっぱなしで私が片付けた。

 本人に言って片付けさせたらいいと思うだろうが、そのままにしてはおけない事情が

起きるのだ。

 ジョージは、「本気で怒ってもらいたいんだよ」と何度も私に言った。

仕事を最後までやらなかった時、本気で怒ってくれるのは、親しかいないのかもしれない。

自分の子でなかった場合、これでは駄目だなと思っても本気で怒ったり、教えようとは

しない。何時か分かるだろう。何処かで誰かに教えられるだろうと叱ることを放棄する。

だから、社会に出て損得に係わるからであろうとも責任を問われ叱責を受けるという事

は有り難いことなのだと思う。

ジョージは今まで、本気で怒ってくれる人は一人も居なかったのだと言った。

母親と早く別れ、父親も親ではなく、親戚の人たちも彼が悪いことをしても自分に被害が

なければ怒ることはなかったという。

日本の母親の元へ来ても、幼い頃に別れたことを負い目にして遠慮して何も言わないと

いう。

 

日本人はボギャブラリィが少なくなった。

叱る、諌める、諭す、促す、教えるなど何でも怒るという言葉だけで表現してしまうと

嘆いている私だが、ジョージの言っている「怒って欲しい」にはその総てが含まれている

ような気がした。

 

 私は、話す時は何時、誰とでも本気で本音だ。だから集団の中に入れない。

集団の中に居るということは、ある程度自分を消さなければならない。

しかし、私は自分を殺すということが出来ない人間だ。

ジョージとも最初から本音で話した。だから彼は心を開いてきたのだろう。

ある時、彼はある事情で金が必要になり貸した。

毎月1万でも2万でも無理がないように返せばいいと言ったのだが、何ヶ月もしないで

耳を揃えて返しにきた。

 だが、その金は友人を騙すような結果になる非合法で得た金だった。

ジョージは友人を騙しても私との約束を守ろうとした。

彼は何時も自分の実力以上のものを求めてあがいているように見えた。

だから、彼の美意識やプライドは、常に何処かに歪み(ひずみ)を生じさせた。

 彼の父親はアーティストだったという。

「だから、ボクも絵を描きたいんだよ」と言った。

「描きゃいいじゃないか」と私は言う。

「でも描く時間がないんだよ」

「じゃあ、描けないね」

「でも描きたいんだよ」

「なら、どうしたら描く時間を作るか考えることだね。

そして始めること、実行することだね」

「だけど、本当は学校に行きたかったんだよ。

学校に行ってないからちゃんとした絵が描けないんだよ」

「学校出たって、ちゃんとした絵が描けるって保障はないよ」

「そんなことないよ、学校出なきゃダメだよ」

と、その辺までくると私の怒りが爆発する。

「何事も何かのせいにしている奴は、それが解決しても必ず違う言い訳を見つけるんだ。

時間がないから出来ないという奴は、時間があっても出来ない。

時間があれば、追い詰められないと出来ないと言い出すだろう。

次の言い訳は、学校を出ていないから、才能がないから、周りが認めてくれないから。

本当にやりたい奴は、黙ってやるんだ。

やりたかったらやれ。出来なかったら諦めろ。出来ないと思ってもやりたかったら、

やり続けたらいい。

でも、それは、自分が決めて自分が行うんだ。それしかない!」

“為せばなる、為さねばならぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり”を噛み砕いて説明

した。

ジョージには難しい言葉であったかもしれないが、黙って聞いていた。

 

 事情があって最後に金を貸した。

「これは、返さなくてもいいよ。でも返せるようになったら返してもいいよ」と私は言っ

たが、「ゼッタイに返す」とジョージは言った。

返せる日がきたらいいなと私は思った。

それは、返せる生活基盤が出来たということと同時に、彼の誇りもなくしていないとい

うことだと思うからだ。

そして、「ゼッタイ、恩返しする」と彼は言った。

「お母さんへの恩返しは、ジョージのそばに居る困っている人をちょっと手助けすること

だよ。恩返しは、その人にしなくてもグルグル回していけばいいんだよ」と言ったが、

ちょっと格好よすぎだったかな?