除草剤

 

「あっ、居た!」と現れたのは、ハーブの彼女。

横には、いつもの介添え人の彼女。

「こんにちは、変わりない?」

「それが、あったんですよ、っていうか、また事件発生。

それ、聞いてもらおうと思って来たんです」

「あっそう」

「それが、聞いて下さいよ。

うちのばあちゃん、またやらかしたんですよ。

お隣りさんとの間に塀があるんですけど、その塀の下にお隣さんが植えてた花が、

あの、花は咲いてなかったんですけど、それにばあちゃんが除草剤まいちゃったんです」

「それで、お隣さんには謝りに行ったの?」

「え、まいたのは、ばあちゃんですよ」

「なーにを、何時までガキめやってんだよ!寝ぼけてんじゃねーよ」(チコちゃん風に)

 

「あのさぁ、ハッキリ言おう、あんたは自分が主(あるじ)という自覚がない」

「そうかもしれません」

「家を構え、家族と子を育て、これから年老いて行く親の力となって働くことが出来る。

地域と関わり、人と交流し、自分が考えて決断し、行動出来る。素晴らしいじゃないか!」

「あのぉ、家の主(あるじ)っていうのは、男じゃないんですか?」

「いや、それを言ってるんじゃなくて、自分の主は自分だって言ってるんだ。

まぁ、家の主も自分だと思ったら思考行動が変わって来ると思うけど、旦那に文句付けて

自分は動かない。んじゃなくて、何か起きたらどうすべきか“一緒”に考えて行動する。

じゃ、まだ隣に謝りに行ってないんだね」

「はい」

「あのぉ、自分で考えて行動する。ってのが基本だから答え言いたくないけど、

今回だけは言っちゃうね。

先ず、お隣さんに謝りに行く、ばあちゃんに事の次第を話す。

保身でなく、人を傷つけるためでなく、頭でなく心で考えて行う。以上」

「分かりました!やってみます!」と言った彼女の顔つきが変わっていた。

 

一週間後、彼女が来た。

「どーした?」と聞くと

「ばっちりです」とオーケーサインを指で作った。

「ちょっと、あんたいい顔になったね」

「そうですかぁ」

「うん」

「ありがとございます。嬉しいです」

 よーし、いいねぇ。主のレールに乗っかったな、と思った。

 

隣には、いつもセットの彼女が居た。

彼女は、いつも頼りない誰かを連れて来る。

 一緒に来るというより、連れて来る。という感じだ。

それが、今日はその彼女と一緒に来たという同等の感じになっていた。

「今度は、あんたの番だね」

「え、何がですか?」

「これを機に今度はあんたが階段登る時ってことよ」

「え、どういう風に?」

「今までは人の相談に乗って面倒見て、自分のこと横に置いて目ぇつぶってきたでしょ」

「はい」

「もう、他人事じゃなくて自分と向き合う時が来たんだな」

「そうなんですか?」

「そう、思わないかい?」

「はい」

 隣に居た彼女は、話し始めるとすぐに何処かに行っていた。

目の前の彼女も、今まで連れてきた人と私が話し始めるとすぐに何処かに行った。

 それは礼儀であろう。

彼女には、頼りないような、人に縋(すが)りたいような人が、次から次へと現れていた。

「あのさぁ、あなたは自分の足下を見て自分を生きる時が来たんじゃないかと思うな」

「どういうことですか?」彼女の目は真直ぐだ。

「私の見解だからね、違うかもしれないけど、

あなたは面倒見がよくて誰かに頼まれると嫌と言えない、のか、嫌と言いたくないのか。

でも、自分の悩みとか困ったことは、自分で考えて解決する、自分で解決したい。だから

人に頼らない。

人にしっかりしてると思われ頼られ、夜中に長い愚痴を聞くことになる」

「はい、そうです」

「でも、その人は悩みが解決してもお礼の言葉も、結果報告もない、それどころか他所

であなたの悪口を言っていたりする」

「えー、なんで分かるんですか?」

「あなた、自分では言っていないつもりでも声なき声で言ってたよ」

「そうなんですか?」

「で、何で相談に乗って長い愚痴を聞いて“あげて”も感謝されないか分かる?」

「わかりません」

「聞いて“あげてる”からだよ。

話は、聞いてあげるんじゃなくて、聞く。

人は、誰もが同等の立場。やってあげたり、聞いてあげたりじゃないと私は思うんだな。

何かを『可愛そう〜』って人がいるけど、それを聞くと『おめぇが可愛そうじゃ』って、

私は思ちゃう。

全てのことに、理(ことわり)があって、原因があり物事が動き人を刺激しのっぴきな

らない状態に置く。

そこで何を選択し、どう行動するか。そこに人の真価がある。

何でも人に聞いて、聞いてる振りして自分で考えず起きた事を何かのせいにして生きるか、

人の意見を聞いて、自分で考えて自分が決断を下し自分の責任覚悟において行動するか、

それは、その本人の自由だよね。

だけどさ、すぐ人に聞くヤツってちゃんと話聞かないし、都合のいいことだけ聞いて都合

の悪いことは聞こえないのね」

「ホント!そうですね」

「でもさ、こうやって人のアラ探し、アラ拾いしてると、自分の足下が見えなくなるんだ。

人の相談に乗ってると、ああすればいいのに、こうしたらいいのに、って思っちゃて

自分は出来ていないことに目がいかなくなる。

そして、人のことを考えてると自分がエライような、自分は出来てるような錯覚に陥っち

ゃうんだな。

そうすると、訳の分からない自己嫌悪がやってくる。

その自己嫌悪を誤魔化すタメに『あたしだってイロイロ大変なことがあるのに何でこんな

他人のことに振り回されてるんだ!?』なんて思ったりして、自分の気持ちが荒れている

のは、自分の奢(おご)りが原因なのに」

「そうです、そうです、何でそんなに分かるんですか?」

「私がそうだから」

「えー、麻子さんでもそうなんですか?」

「でもって言うなよ、恥ずかしさの極みじゃねえか。

ワシは、何かというとすぐにエラクなっちゃうんじゃ、前に無明とは、って話したの覚え

てる?」

「はい、覚えてます」

「ねぇ、『無明とは、何も分からないことではなく、何でも分かったつもりになっている心

のことです』って、それワシじゃねーかい!

人はエラクなちゃイカンのよねぇ」

目の前に深く頷く彼女が居た。

 

自分の主(あるじ)に自分がなる。

照顧却下(しょうこきゃっか)看却下(かんきゃっか)

無明に気付く、分かってはいないんだろうが、取り敢えず心に置く。

自分は自分を生きる。

 

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