珠理13 (母親)

 

 珠理は忘れっぽいのか、記憶に留める意志を持たないのか、全く記憶から消えている

ことが沢山ある。

 先日は、親しげに話しかけてきた人が誰だか分からなかった。

その人とは意気投合して何時間も話したらしい。

 話すうちに徐々に記憶が戻って来て、「そう言えば〜でしたよね」と言うと、

「それは話していないと思うんですけど…」とその人は言った。

 そういうことが、多々ある。

 

 低気圧が日本を横切り雨風に洗われたかのような青空になった。

刈田の上を渡ってくる風が頬に心地よい。

 最近になって夏の疲れが出たのか全身が筋肉痛のように痛み朝スッキリと起きられな

くなって生きているのが空しい気持ちになっていた。

それが、太陽を浴びて畑に出て木陰に入って風に吹かれ、メダカを見ていると

シアワセだなぁ。と思う単純な珠理。時は一時も止まることなく進む。

 

そこに来た二人のママ。フックラちゃんと妊婦ちゃん。

フックラしている方は、何時もまだ学校に入っていない二人の子供のどちらかを連れて

来るのだが、今日は一人だった。

彼女は、その子供が騒いだり暴れたりするのを見た珠理に“子育てが楽になる方法”

なるものを長々と聞くことになる。

 今度4歳になる下の男の子が生まれる前から来ていて、上の女の子は来春小学校に

上がる。

「あー、もうやだぁ、何やってるのよぉー」

「いい加減にして!」

「疲れる―」と、若いママにありがちな言葉を連発する人だったが、

珠理の

「人目を気にしない。でも気遣いはする。子供に分かる言葉でちゃんと伝えるようにする。

一つの話が終わらないうちに次の話をしない。照れて乱暴な言い方をしない。

感情は伝えて、感情をぶつけない」などと話し、

「でーもねぇ、アタシだってそれが出来てるわけじゃないんだからね。

でも、出来てるか出来てないかが問題じゃなくて、何をしたらいいかを知ってそれを

やろうと思うこと、やろうとすること自体が大事なんだと思うよ」という締めくくりで

終わるのが常だ。

 もう一人は、3歳の男の子を連れた妊婦。二人は用事ありげに話してくるが、中々

本題に入らない。そして、実は本題は妊婦の方だったことが後で分かった。

 

 フックラしている方は、何時もそうなのだが、ママ友の子育てに疑問を感じているの

だと言う。(自分のことは棚に上げて人のことが気になる)

 その人とスーパーに子供を連れて一緒に行った時、その人の子供(5歳)が何かを買

ってくれと暴れ出し、大声を出した揚句に人の通る所に寝転がってしまったという。

 そこを通りかかったオバアチャンが通れず助けようとしたのか手を出すと払いのけて

更に引っ掻いてしまったという。

 それを口癖である「どー、思いますぅ」を随所に入れながら話す。

「人が通る所なのに何でそんな所に寝っころがるんですか?」と彼女は聞く。

「その子は腹がたっていて誰かに、っても、まぁ、ママにその気持ちを分かってもらいた

くているんじゃないの」

「だって、いっつもなんですよ」

「だったら、いっつも分かってもらいたくて居るんじゃないの。

大人って『何でそんなことするの?』って聞いてる振りしてるけど『ホントウに、何で

なんだろう』って考えてはいないよね」

「でも、オバアチャンは助けてくれようとしたのに、その手を払いのけてその次は引っ

掻いたんですよ。オバアチャン呆れて何処かに行っちゃいましたよ」

「そうかな、ホントに助ける気持ちだったのかな、ただ邪魔だったんじゃないの。

アタシがその子だったら『中途半端に手ぇ出すんじゃねえよ』って思う気がする」

「あと、夜に怒られると外に出て行って、勝手に車に乗って何時間でも大声で泣いてる

んですよ」

「スゴイ意志の持ち主だね、その子。並みの強さじゃないから大物になる素質ありだね」

「でも、一歩間違ったらヤバいでしょ?」

「そうだね」

「どうしたらいいんですか?」

「あなたは、どうしたらいいと思う?」

「私はその家とは関係ないから首を突っ込みたくないです」(話しの主旨が違うべ)

「ふーん、じゃどうしてこの話しをしてるの?」

「コトちゃんが、ウチのサァちゃんのオモチャを取ちゃうんです」

「で?」

「コトちゃん強いんです。強すぎるんです」

「そう、でもあなたんとこの子も強いよね」

「でも、コトちゃんには負けます」

「大丈夫だよ。負けてねぇから」

「そうですか」

「うん。

それより、あなた本当にコトちゃんの問題は他所の家の事だからどうなってもいいと思

ってる?」

「うー、分からないです」

「アタシは思ってないと思うよ。

あたし、色んな人と話してて、共通して思う事があるんだ。

人と自分、他所と自分の家、比べて比較して優越感を持ったり負けを感じたり、面倒な

ことには首を突っ込みたくない。とか、何でそんなことやらなきゃならないの?

みたいなことを言うんだけど、だったら批難もしなきゃいいじゃん。

関係ない。って言っても気が付くってことは、もう関わってるってことなんじゃないかな

とアタシは思うんだよね。  

今だって、気になるからこうして話してるんでしょ。

だったら、伝えたらいいんじゃなかと思う。

何時も言ってるけど、その時『〜なんだよ』とか『〜じゃないとダメなんだよ』なんて

上から目線の言葉じゃなくて『私はこう思う、こう感じてる』と伝えるだけで、

後はその人が考える。人の領域にはいらない」

珠理の戦いは、人の領域に入らないというのは自分との戦いだと思っている。

 

 人は、誰かを思った時、シアワセになって“貰いたい”というコジキ根性が出てくる。

誰も誰かの為にシアワセになる訳ではないのに、自分から見たシアワセをその人に押し

付け背負わせたくなる。

 自分から見たらどうしようもなく不幸せに見えても、その人のシアワセはその本人に

しか分からない。ということを自分に言い聞かせていないと、自分の尺度で人を推し量り

決めつけるという罪を犯してしまう。

 だからといって、何にも手出しをするな。ではない。

感じたことを伝えることで、対話することで、自分だけでは出なかった答えが見えてくる

ことがある。

 

 コトちゃんのママは「もー、子供なんかいらなかった。めんどくせ!」と言うらしい。

そして、コトちゃんが暴れ出すとほったらかしにするんだ。という。

「そういう時、あなたはどうしてるの?」

「えー、どうしようもないじゃないですか、離れた所で知らん顔してますよ」

「そうかぁ、でもその親子はあなたと縁があって一緒に子育てしていくことになった気が

する。

一緒に育っていくんじゃないかな。そのママとあなたと、サァちゃんとコトちゃんとで。

関係ない。って言うけど、関係あると思うよ。

サァちゃんとママが良くなる(安心する)ことと、コトちゃんとママが良くなることは

同時進行で進む気がするな。

でも、自分達の為に良くなって呉れと思うのは、それは違うの分かる?

コトちゃんのママと良い関係になって、コトちゃんとサァちゃんに変わらぬ公平な思いで

接する自分になると、ゼーンブが良い方向(気持ちがスッキリ)へ向かう気がする」

 

 という所で話しがひと段落して終わりか。と珠理は思った。

 

 お腹の大きなママは、若さの特権であるツルッツルの顔で低い階段を上り下りる3歳

の息子をにこやかに見ていたが、

「私、悩みがあるんです」と言うのを聞いて

「えー、そうなの」と珠理。

「旦那の親がウルサクテ」

「何だって」

「子供をよく見てろとか、躾をちゃんとしろとか。って、スゴク言われるんです」

「えー、ちゃんと出来てるじゃん。いい感じだよ」と珠理は言ったが、躾とは子供の気持

ちが安心して安定していることから始まると思っている。

 その為には親が安心出来る穏やかなオーラを持つことが前提となる。

とはいえ、そう持っている人は居ない。なら、そうなろうと心掛ける人になればよい。

 そのママは、口うるさくなく、子供から目を離すでなく、穏やかな感じがした。

「あのさぁ、子育てってさ、してるに時その人の弱点がモロに出る気がするんだよね。

支配的な人、人目を気にする人、見栄っぱりな人、気が回らない人、自分の手柄が欲しい

人。さしずめあなたは、人に言われたことを気にし過ぎる人かな。

アタシのやり方だと、何か言ってきた時、『分かりました、ありがとうございます。よく

考えてみます』だな。

『分かりました』で終止符、『ありがとうございました』で敬意、『考えてみます』で結界。

誰も、人の領域にズカズカ入る権利はないと思う。

で、『言われる』っていう被害者的な言葉を止めること。その人は『そう言った』だけ」

 また、話の趣旨が多様化していることを感じながら珠理は話す。

案の定、その人は困った顔になった。

「私、子供の頃イジメに合ってたから自分に自信が持てないんです」

「そっかぁ、あなたのお母さんは?」

「前にここに来た時、亡くなったばかりで珠理さんに『成仏していなくて一緒に居るよ』

って言われました」

「えー、アタシそんなこと言ったんだぁ」

「はい、何も言っていないのに『誰か身近な人が亡くなってついて来てるよ』ってその時

言ったんです」

「へぇー」

「今も居ますか?」

「えー、何も感じない」

「そうですか、じゃぁ成仏したんですね」

 そういえば、と珠理は徐々に思い出していた。

夕日が差し込む店の中で、ということは、丁度今頃の季節か、そんな話をした気がする。

 彼女は、「母がキライです。許せないんです」と確か言っていた。

息子はまだ赤ちゃんで、確か珠理は

「子育ては自分の育て直しだって聞くよ。大丈夫だよ、きっと許せる時が来るし、許しは

その相手の為にあるんじゃなくて、自分の為にきっと用意されてるんだと思う」と言った。

 その時、母と娘の歪んだ関係とか葛藤ってのは、何処にもあるんだ。と思ったことを

思い出した。

「私、施設で育ったんです」

「え、そぉなの」(初耳だと思う)

「2歳の時に今の親に引き取られて、周りは分からないと思っていたみたいなんですけど

いろいろイジメがあって、高校に入る時にその事を教えられた時は分かっていたんです。

それに、ここに来た頃に母親が死んだって分かって」

 そういえば、『子供を持って初めてこんなに可愛いんだって分かったら、余計母親が

キライになりました』とその時言っていた。

 そうだったのか、と、珠理は思った。

 

「今、私、不安で仕方がないんです。

まだ幼稚園に行っていないんですけど、私が育てていいんだろうか。って。

この子はシアワセなんだろうか。って。

お腹の子もシアワセに出来るんだろうか。って。

私が不幸にしてしまうんじゃないだろうか、いっそ私は居ない方がいいんじゃないか。

って…」

「そっかー、まっ、ホルモンのバランスが一つあるね。

マタニティブルーってやつだね。子供が生まれたりお乳をあげたりするようになるとまた

ホルモンのバランスが変わるから、今不安になったり調子がおかしくっても絶望しないで

時が過ぎるのを待ちな。大丈夫、絶対今とは変わっていくから。

 でも、こうやってアタシに聞くってことは、少しはアタシのこと信用してるんでしょ」

「はい」

「よし、じゃ、アタシの感想。

あなたいい感じ。良いお母さん。子供、良い感じ。

誰かを貶(けな)して誰かを誉める。って手法好きじゃないんだけどね。

どう見たって、オメーそのやり方は違うべ。って人が自信満々なことって多いよ。

ちゅうか、自信満々で威張ってること自体がおかしいとアタシは思うんだけどね。

あなたみたいに人(子供)のシアワセを願う人って、謙虚になるんだね。

だけど、謙虚を履き違えないように、自分を否定することは、謙虚でなくて寧ろ傲慢

それに、居ない方がいい存在なんて、ないんじゃないかな。

どんなモノにも存在する意味がある。

人間は意味を食べて生きる生きものらしいね。なんちゃって、」

 などと、口から出まかせで話していると、一つのことが見えてきた。

 

「前にあなたのお母さん、成仏してないって言ったんだって?」

「はい」

「そっかぁ、お母さんずっとあなたの傍に居たんだね。

それが、今、親離れ子離れの時期がきたんだ。

あなたが新しい親と子の絆で結ばれる時期が来て、お母さん、安心して消えていくんだ。

消えるったって、消えないし、消える。んだ。

そーかぁ、夢って逆さだっていうじゃない。

死んだ夢を見るとこの世で生まれて、生まれる夢は誰かが亡くなる。なんてさ。

今のあなたの淋しさと不安は、あの世と逆さなんじゃないかい。

大体が、生まれることが良いことで死ぬ事が良くないことだ。なんていうのは、生きてる

人間側の都合での話だもんね。

そっかぁー、なるほどね」と珠理は一人で納得していた。

 

 珠理の話が、二人に通じたかどうかは分からない。

ただ、スッキリして帰って行ったように珠理には見えた。

 

 珠理は、母親との関係がスッキリしていない。

何かと話がすれ違う。

 母親は、珠理の言うことを宗教的で気持ち悪いと言う。

キレイ事を言うなと怒る。

 でも、言葉でない気持ちを珠理は母親に感じてきた。

      何時か、スッキリする日が来る。と、珠理は思っている。