珠理6後編

 

“本当に求めた時”、それは現れる、与えられる。と珠理は思う。

それは自分だけにではなく、誰にでも与えられると珠理は思っている。

 普段は隠れている“本当の求め”に気が付いた時。

 

 吉田さんのことがあって、気持ちが蟠(わだかま)ったままになっていた。

でも、どーってことなく日常は続いて行く。

そんなある日、長い付き合いであるジュンさんが久しぶりに来た。

 

白い化粧っけのない更年期に差し掛かったジュンさんは、元々痩せて中性的な感じの人

だったが、更に痩せてカサカサになっていた。

「どーしたのよ、風に飛ばされそうじゃないの」と、珠理は言った。

「うん、大変だったんだぁ」

「何が」

「姑が病気っていうか寝たきりになっちゃって夫の実家に入ったのよ」

「そう、家族で?」

「ん、ほら、子供たちはそれぞれ出て暮らすようになったから夫と二人でね。

舅はもういないし、ちょっと大きい家だから姑は離れに寝かせて三度の食事を運んで

下の世話をすることになってね」

「そうかぁー」

「ん、でも、もう見送ったからさ」

「そうかぁ、大変だったねぇ」

と、頑張りやで優しいジュンに敬意を込めて、珠理は言った。

「うん、でも、姑の世話はそんなに大変じゃなかったんだよ」

「あら、そうなの」

 じゃあ、大変だったのは小姑問題かな。と珠理は思った。が、

「小姑や親せきの人達もみんな協力してくれたし」とジュンは言った。

「じゃ、何が大変だったの?」と珠理は聞いた。

「んー、あなた、子供を、女の子をその家の男の相手をさせる家があるって、知ってる?」

「はぁ?」

「あたしも知らなかったんだけど、案外家柄の良い家で、外で女遊びをして病気なんか

貰って来ても困るし、女なんか作られても困るからってその家に関係する子、女の子に

そこの男の相手をさせる家があるのよ」

「げっ、なに!」

「その女の子は年頃になったら良い家に嫁いで何事もなかったように一生を送るの」

「…」

「そして、そういうことは闇から闇に葬られて、何もなかったように消えていくの」

「…」

「ごめんね。こんなこと話して、

こんな話をしたらあなたの気分が悪くなるだろうって思いながらあたし、聞いて欲しいの。

苦しくて、辛くて」

 

 離れに寝ている姑に食事を運ぶ。

静かでワガママを言わない姑は、食事にも扱いにも文句を言うことなく礼を言った。

 それが、変わって来たのは亡くなる1カ月位前だった。

 

ジュンが結婚した時「あんた、男は初めてかい?」と聞かれた気がして、

「えっ?」と聞き返すと「何でもない」と口を濁したことがあった。

 聞き間違いだとジュンは思っていたが、あれはやっぱり聞き違いではなかった。

義母に食事を運んだ時、オシメを替えている時、そういった類の質問が始まった。

 そして、それはいつか幼い自分に起きた話になっていった。

ジュンは珠理と同じで元々そういった話が得意ではない、というか嫌いだ。

 幼い女の子の身に起きたこと、起き続けた事が何だったのか、年頃になってその意味を

義母は、少女は知った。

ジュンの顔を見ると義母はその話をした。

義母の家族である夫や小姑達はその事実を全く知らないようだった。

ただ、叔母が「あんたのお義母さん好きものであっちがないといられない人らしいよ」

と言ったことを思い出した。

 家族が来た時にはおくびにも出さない義母の話は、ジュンには耐えきれないものだった。

「もうそれが嫌で嫌で、亡くなる頃の義母の顔は夜叉の顔になっていたのよ」とジュンは

言った。

「見えたんじゃないのよ、義母の顔の上に鬼の面みたいなのが張り付いていたの。

夫や家族には全然分からなかったみたいだったけど、私一人じゃ義母の部屋に行きたく

なっくて誰かに一緒に行ってもらうようにしたんだけど…」

痩せ細っていく彼女は介護疲れだろうと皆に思われ、鬱状態にもなっていった。

「正直、義母が亡くなった時はホッとしたのよ。

でも、義母が一番ホッとしたんじゃないかと思うの。亡くなる前に

『あー、これでやっと楽になれる。終わりに出来る』って言ったから」

 亡くなったのはお盆の月で、94歳だった。

 

 ジュンは義母の話を、家族の誰にも夫にも話さなかった。

「言わないでくれって言われた訳じゃないけど、言わない方がいい気がしたの。

でも、苦しくて、辛くて、誰かに聞いて欲しくて…。

ごめんね」

「うん」

 

 心の整理が付かないというのはこういうことを言うのだろう。

普段からやっている瞑想をしたり、ブッダの呼吸法をやってみたり、般若心経を唱えて

みたり女の子が自由になっているイメージをしようとしたが、何で?!どうして?!と

いう気持ちが寄せては返す波のように襲ってきた。

 

 そんな時、夜中のテレビで幼い頃からの虐待で多重人格になった女性のドキュメント

番組があった。

 結婚して二人の子を持つ50歳になる彼女。

幼い頃からの母親からの虐待と父親からの性的虐待を憎悪しながら子供に手を上げた。

 時々襲ってくる人格の移動。

台所の床に転がり「もうーいやだよー」と幼児になって力なく泣く彼女。

小学生の「何やってんの?!どーせまたあたしを苛める気なんだろ!」と怒る彼女。

 

 その話をするとテレビのやらせだと言う人が居たが、あれを演技でしていたら主演女優

賞もんだ。と、珠理は思う。

それより、ジカに見たら本当かウソかは分かる。

それに、そのことが本当かウソかなんてどうでもいい。と珠理は思う。

珠理はそこに答えを見つけた。と思った。

人格の入れ替えが始まり床に転がって苦しむ彼女が舌足らずに話し出した。

「あたし、なんでここにいるの?

どうして、いきてるの?

しんじゃいたいっておもったけど、いまここにいるのはあたしがきめたんじゃないよね。

いきてるのだって、あたしがきめたんじゃないよね。

だったら、

あたしはここにいていいんだよね。

あたし、いきてていいんだよね」

隣で見守る夫が「うんうん」と頷いた。

「何であたしは生きてるんだろ?

…。

そっかぁー、こんなに大変でも、生きてるんだよ。

誰かが見たら、こんなに大変でも生きてられるんだ。って、分かるね。

そしたら、あたしが生きてるだけで、誰かの役に立つね。

そーだよ。

そっかぁー、あたし、生きてるだけでいいんだぁー」

 

 秋晴れの日だった。

珠理は庭の草むしりをしていた。

 気持ち良かった。

何だかジュンの義母さんが来ている気がした。

 そしたら、

あー、

女の子が、自由になって嬉しそうに空へ昇って行く。

そんな気持ちになった。

嬉しくて涙が出てきて、

「お義母さん。あなたのこと誰かに話しちゃうよ」と珠理は心の中で言った。

そしたら、

「うん、いいよぉ。あんたは、いい子だよ」と心に聞こえた。

 

 後日、その話をジュンにした。

そしたら、

「きっと、お義母さん本当にいいよって言ったじゃないかな。

口癖が『あんたは、いい子だよ』だったんだよ、

でもって、今のあなたの言い方、そっくりだもの」と、ジュンは言った。