珠理7 謎解き

 

 分からないということは、分からないでいる。ということさえ気が付かない。

 

 珠理が若い頃、夢を見た。

それは妙にリアルで忘れられないものだった。

 どんな夢かというと、沢山の人が同じ方向へ向かって歩いて行く。

歩き進んで行くということが生きるということなのか、人は群れて喋りながら歩いていた。

 人々は目が見えないようだった。

でも、その人たちは自分たちの目が見えていないということに気が付いていないらしい

様子だった。

 憶測でものを喋り、分かったつもりで進んで行く。

しかし、進んで行く先に断崖絶壁があった。

 珠理は思わず「そっちに行ったら危ない!」と叫んだ。

「えっ?」と人々は珠理を見た。

そして、驚いて腹が立ったのか「何が?!」と言う声は怒気を含んでいた。

「そっちに行ったら大変なことになるよ」と言うと、

「何を言っているんだ。人々を混乱させる気か!」と本当に怒り出した。

「いやそんなつもりじゃなくて、そっちは危いなんて言葉では言い足りないような怖い

ことが待ち受けているんだよ」

「なんだと!何を分かった風に、お前に何が分かるというんだ!」

「でも、そっちに行ってはダメなんだよ。大変なことになるんだよ」

「こいつはおかしい。世の中を混乱に陥れる危険人物だ!」

「だって、みんなあれが分からないの?」と断崖を指差したが、

「なにを知った風に、ただじゃおかんぞ!」と殴りかからんばかりの勢いに

(あ〜、どうしたらいいんだろう)と珠理は途方に暮れた。

 すると、あれは誰なんだろうなぁ、『あっ、間違っちゃった』という声なき声が聞こえた。

それが言うには『人間の殆どには、目か耳のどちらかしか渡さないキマリ』なんだという。

だから、『目が見える者は、耳を与えてないので口が利けない。

赤ん坊の時は誰も見えているのだが話せるようになった時それは忘れ、死ぬ間際も見える

ようになるが、その時はこの世との別れとなる。

 見えて聞こえて喋れる者も居るが、そういう者は見えることは表に出さず世の軌道修正

をする。が、お前はまだだ。』と、それは、珠理の耳を取った。という夢を見た。

その夢をみた直後、珠理は耳が聞こえにくくなった。

その頃仕事と家事、子育ての疲れでそうなったんだ。と思おうとしたが、あまりに夢の

印象が強く、あれは何だったのだろう?と、珠理は思った。

 

 耳が水でも入っているかのようにボワンボワンとなって、何かが詰まっているみたいに

遠くなって耳鼻科に通った。あれは何時だったか?と記憶を掘り起こしてみた。

 そういえばあの日、

「あー、また何か起きるよ。何だか身体がビリビリする」と珠理が夫に言うと

「あんたね、あんたの勘が強いのも何か感じるのも一緒に居て俺は知ってるけど、それに

自分が振り回されないようにしなね。

今、三原山が噴火しててその振動がここまで来てて家のガラスもビリビリ言ってるんだよ。

そのせいじゃないのか?

ダメだよ自分を過信し過ぎて、偶然起きたことまでこじつけていくと迷信を作ることに

なるからね」

 物心付いた時から勘が強くて夢で見たことが起きたり、死ぬ人が来たり、夢で見たり

何かが起きている時に異変を感じたりしてきたが、夫の言葉に(アチャー!)と反省した

っけ。と、珠理はその時のことを思い出した。

 

そして、そうか、耳が聞こえなくなっていたのは三原山の噴火の時だったんだな。と

いうことは、あの夢を見たのは、三原山噴火の時だったんだ。と、調べてみた。

 三原山噴火は、1986年11月17日だった。(ネットって便利だねぇ)

えっ、ということは、チェルノブイリの事故があった年じゃないか!

 

 御巣鷹山に飛行機が落ちた日の明け方に見た夢も印象深い。

その時に雷が鳴っていたような印象が夢の中であって、落雷とも爆音ともとれる音が聞こ

え家族で山の方に向かって車で走って行くと、黒い小さな虫のような飛行機が山の上空を

ブンブンと旋回していたが、ドドーン、ドドーンと落ちた。

 あー、また戦争が起きた。あー、また沢山の人が死ぬ。と、あの時は自分が迷子になっ

てしまって何処に行ったらいいか分からないような不安な淋しい気持ちになった。

 その夢を見た日、御巣鷹山に飛行機が落ちた。

あの頃の勘は鋭くなっていて、自分でさえ怖い様な気がしたが、1985年8月12日

だった。

なんと、つい昨日2013年4月16日にそれが起きた。

AM2時45分、突然ピ−カンになった。

 ピ−カンとは、頭が冴えわたって脳ミソが勝手に起きる感じになることで珠理語で

そう呼んでいる。

 そうなったらどうしようもないので届いたばかりの村上春樹の本でも読もうかと思っ

たが、布団から手を出すのも億劫でテレビを付け飯館山の塾の先生の番組など観て過ご

した。

 ピーカンになると次々にアイディアが浮かび普段考えていたことの答えが突然現れる。

昨日はそのピーカンの時間、ボストンで爆発が起きていた。

 毎日、世界中で何かの事件事故が起きている。だからそれにこじつける気になれば材料

は幾らでもある。だから、夫も心配するこじつけや妄想、迷信にならないようにと気を

付けている。

 しかし、作り上げるとか後からこじつけるとかの問題でなく、どうしようもない感覚が

勝手に起きるんだから仕方がない。

 池田小学校事件が起きていた時間、腹から下が砂になって崩れていくようになった。

9,11の日夕方からそれが起き友人夫婦が来ていた時間に夢遊病みたいにおかしく

なっていて、氷が切れたからと近くのコンビニに買いに行った9時半頃ピークに達して

いた。

 

 珠理は、人の名前や歴史の日付を覚えることが苦手で苦手であることを逆手に取って

覚えるのが面倒臭いので覚えようとしない。

 それが、何時かパズルの枠がパタパタと埋まっていくように謎が解けて行くことがある。

子供の頃、春と夏におかしくなった。

 よーく考えてみると、決まって東京大空襲3月10日と、春の彼岸の頃だった。

そして、夏の原爆の日と終戦記念日。

 2001年3月に入っておかしくなり、3月18日、大きなアレがやって来て声なき声

を聞いた。

『もう走り出してしまった。世の中が変わる』

 そして、断崖絶壁の答えは、原発じゃないか。という思いに珠理は至った。

 

 あの夢が、本当に原子力の行く末が断崖絶壁だという知らせなのだとしたら、破滅への

道から軌道修正する為にどうしたらいいんだろう?と珠理は思う。

1980年生まれの子供が1歳の時は、原子力館に見学に連れて行ったのだから、まだ

戦争の原爆は嫌悪しても原子力発電の悪魔には気が付いていなかったということだ。

 ホンモノの悪魔は、戦争のような単純な悪の顔をしていない。

それは、むしろ紳士的で丁寧でキレイであるかのような包装紙に包まれている。

ヤクザが恩を売ってシガラミで流れをせき止めるように、人の心を見えない糸で縛って

殺していく。

 

 あの時、『見える者は見えることを表に出さず、軌道修正をする』と言っていたことを

珠理は思い出す。

 

 2001年3月、その少し前に珠理の家に新たな本棚が出来、本が並べられた。

手に入らない本が次々と集まってきて歓喜し、珠理は自分の運の良さに浮足立っていた。

その恩返しのように父母と義父母の世話を焼き面倒を見た。

子供の世話、癌と脳腫瘍で入院した二人の友人へ食事を運び。ろうあの友達の手話の手助

けをし、自分の仕事があった。

草引きと呼んでいるお祓いみたいなものも新しく出来た本の部屋で、そこに来た人と

次々と関わっていくことになった。

 それは、尋常でない力を使う。

そこに持ってきて何処かの病院で貰って来た風邪をこじらせた。

 そうなってくると家の中にパチンパチンと鳴る音が半端なく、北の方へと移動してい

った。

亡くなった人が来ている気がして、風呂に入っている時、本当にそうならドアを開け

てみろ。と、心の中で思うとドアが開いた。

 3月10日を超え3月18日にそれはやってきてお彼岸の中日に救急車で運ばれた。

 

「大変なことになった。もう、取り返しがつかない」

キリキリとピアノ線が引き伸ばされていくような怖さ、エンジンが唸りを上げドンドン

加速していくが、それは留まる事を知らない。

 いっそ壊れてしまえば動かなくなるんだろうが、それは壊れることも出来ず加速し、

何処までも増え続けていく。

 あの世とこの世の結界が破れ、百鬼夜行の世へと突入した。

『常識だったことが常識でなくなる』『この世の世界が変わった』

『今まで経験したことのないことが現実となる』

 珠理は声も出ない恐怖に打ちのめされ、自分がどうやって生きているのか分からなかっ

た。

 それが、『もういいよ』と海の靄(もや)と共に揺らめいて落ち着いたのが6月18日。

 

 まさか、その10年後3月11日に、それが起きるなんて。

3月前から珠理は胸騒ぎと躁状態で「原発を早く止めなければ大変なことになる」。と、

話しても通じないと諦めていた人達にも、誰彼かまわず喋るようになっていた。

 あの異常な胸騒ぎは、その頃家と土地が棚ぼたで手に入りそうになっていたためだっ

たんじゃないか。と思うが、やっぱりあの時、夜中にピ−カンが起きていたんだよなぁ。

 そして、階段に置いておいたステンレス製のミニチュアの自転車が真っ二つに折れて

いて地震が起き、家の話は立ち消えになった。

 でも結局その翌年の9月にはその3倍の大きさの家と土地が転がり込んでくることに

なるから不思議だ。

 

 まあ、何でもいい。

原発は使ってはならない。人はどう生きることがいいのか。とここで目が覚めれば軌道

修正の余地は、人々が助かる道はあるんだろうか。

若しなかったとしても、そこに向かって努力していくということが、唯一の希望となる。

と珠理は思っている。