珠理8(土俵)

 

「お久しぶりです」と声を掛けられ「どぉーもぉー」と珠理は返事したが、

「どうせ分かっていないですよね」とその人は言った。

「んー、見た覚えはあるんだけど」と珠理は一応言ってみた。

 でも、その人が誰だったんだか。何処で会ったのか、何か話したのか。

頭に霧がかかったみたいで皆目見当がつかない。

「あれから何度も来てるんですよ」

 あれから? あれからとは、何から?と珠理は靄(もや)の中に何かを探す。

「ふふ、いいですよ。無理に考えなくても」

「そぉ」

そういう時、珠理は意地でも『ごめんね』とは言わない。

だって、ごめんと謝るのは自分に間違いがあったり相手に失礼なことをしたからで、

珠理には悪意がなく、相手も珠理に覚えられないからといって何ら問題ない。だろうと

思うからだ。

 年齢を聞いた時や、名前を忘れた時などに、「失礼ね!」と怒る人がたまに居るが、

メンドクセーと思い、そういう人は自然に離れていくので、ラッキー♪と思っている。

 

 でも、彼女と話しているうちに何かが出てきた。ちゅうか、思い出して来た。

でも、ここでその時のことをもう一度書くのは面倒だから、詳しくは187を見てくれ。

 要するに、彼女は友達を自殺で亡くした。

友達が亡くなった日、彼女にメールを入れていたがそこに居る彼女の誕生日だった。

 つまり、彼女の誕生日に友達は自ら命を絶った。

それから2年が経ったが友達のことが頭から離れない。

 珠理の所に彼女が来たのは、春のお彼岸の月初めだったと思う。

彼女はお彼岸に友達の墓参りに行き、携帯に残されていたメールを消した。

そして、本当は墓参りに行く前、本当にそれでいいのか最後の一押しをしてもらいに

珠理の所に来ようかと思った。と珠理の所に来て言った。

その時、それは「だぁめ、だぁめ」と言ったことを思い出した。

人は、どんな人も自分の土俵を持って生きている。

 そこで相撲をとるのは自分。自分だけ。自分の代わりに誰かが相撲をとることはできず、

誰かの土俵に上がってその人の代わりに相撲をとることはできない。

 痛みが本人以外の者に代わることが出来ないのと同じに。

そしてまた、その土俵で組んだ相手との関係に部外者がしゃしゃり出てはならない。

彼女は、友達との関係に珠理を入れようとした。

友達はどういう形であっても、彼女の気持ちから出た行動を求めている。と珠理は思った。

 

そして人は、親子や恋人、夫婦、友達など。その相手を大事に想えば思う程その土俵

にのって、その人の代わりに相撲をとろうとしてしまうんじゃないだろうか。

 

 そんなことを思っていた珠理に失敗があった。

珠理には弟分が何人か居る。

 どういう訳だか、妹分は出来ないが弟分は次々と現れる。

女は自立していて意地とかプライドが強いのかもしれない。

そんな弟分の一人がリストラにあった。

色んな事情が重なって落ち込んでいたヤツを、家に居候させた時期もあった。

「よし、ワシが必ず仕事みつけてやるから心配すんな」と珠理は言った。

そういう時家人はどうしているかというと、彼なりのスタンスで協力的などという脇役

でなく存在している。そのことを珠理は本当に幸せだと思う。

 そして、弟分の希望に会う会社を見つけ、珠理はそこに根回し連れて行った。

それが間違いだった。

 連れて行くんじゃなくて、自分で行かせればよかった。当たりを付けるのも最初から

ヤツに任せるべきだった。

きっと弟分は珠理の顔を立てる気持ちがあって珠理と出かけたんだと思う。

彼が悩みや希望を話すのを聞く。それだけで、いや、それだけが、良かったんだ。

と、時を重ねて珠理は強く思うようになった。

 会社について行った珠理はなるべく話さないようにしていたが、気づまりな沈黙のあと

質問の矛先が珠理に向いた。

 裸一貫で叩き上げたという会社の社長は、珠理に興味を持ってしまった。

帰りがけ、珠理の傍に立った社長は、

「あんただったら、明日からでも来てもらいたいんだがな」と言った。

 それを聞いた瞬間、あちゃー。と珠理は思った。

そこの会社は不採用だったが、間もなく同じ系列の会社に採用が決まった。

 

 それから珠理は、どんなに大事に思う気に掛かる人であっても、大事な人だからこそ、

助言をすることがあってもそこから先には入らない。手を出さない。と固く心に決めた。

 

 実はもう一つ、深く反省していることがある。

今回の彼女が珠理の所に来た頃には、珠理は感じたことを考えもせずに口に出していた。

「あー、〜だね」と言うと、「何で分かるんですか?」だとか「当たってます」と相手は

言った。

「〜だから、〜した方がイイと思うよ」と言っても「何で分かるんですか?」に感心が

行って、そこからどうしたらいいかに考えが行かない。ということに気が付いた。

 気が付くには時期がある。時期が来なければ理解出来ない。

そして、気が付くのは本人の問題。だからといって、周りは何も言わず努力もせず

にいてもいいということではない。

 そーいうことじゃなくて、預言めいたことは言ってはならない。んだと思う。

このままこれを続けることはダメだ。って時がある。不倫だったり盗み、欺き、陰謀。

 そういう時、やめさせようとするあまり「このまま続けていくと〜になるよ」という

ことを言ってしまうことがあった。そのことは、かなりの確率で現実となった。

それを言ったのは、純粋に相手を思ってのことなのか、自分のいう事を聞かない相手に

脅しを掛けたのか、と珠理は考えた。

極稀に言った覚えがないのに「あの時のあの言葉で救われました」なんてこともあっ

たが、やっぱり、人の行き先は見えても、思っても口にしてはならない。

それは、人の土俵を土足で(あのぉー、相撲は裸足なんですけどぉ)踏みにじるような

もんなんだと珠理は思った。

 

 この間、珠理は娘に

「お母さんは落ち込んだり自己嫌悪になったりすることってあるの?」と聞かれた。

「んー」と考えていると、

「ないよね」と娘は言った。

 

 よーく考えて答えが出た。

珠理は、娘に限らずいろんな人に意見を求められることが多い。

 その時、珠理は自分の考えを突き詰めていくことに没頭して周りを見ようとせず、出

た答えを喋り出す。

それは、それなりに完成されたものであってそこに居る人の上を行くことがある。

そうした時、

「あー、スッキリした。自分が言いたかったことを代弁してもらった気がする」と言う

人も居るが、

夫は「何だかトンビに油げさらわれた気がする。俺も同じこと思って考えていても

それを上手に持って行かれちゃったって感じ」と言う。

そして、娘が

「自分で考えて出したい答えを先に出されちゃって、だから、それが正しいって分かって

いても、結局そこに行きつくんだろうな。って思っても、一度壊したくなる」と言った時、

珠理は何だかちょっと(ホントはちょっとじゃない)自分が嫌になる。

 だったら、ワシに聞かないで自分の中で考えろよ。と思ったりするが、何だか悲しい。

 

 んー、これはお知らせなんだな。

珠理にとっての課題は、喋る前に人の話を聞く。

 自分の中で答えが出ていても(これが答えが出るのが早いんだよな)黙って待つ。

相手が考えていたら、口を出さずにその答えがまとまるまで待つ。

 

      あ〜、ワシ、出来るじゃろか。  ねぇ。