悪意
公共の電波で「35歳を過ぎると羊水が腐るから」と言って、痛烈なバッシングを
受けている人が居る。
彼女は、知識がなかったのか、彼女流のユーモアのつもりだったのか、ふざけたのか
調子に乗ってしまったのかは分からない。
でも、彼女に悪意があったとは思えない。
失礼なことを言ってしまったと気付いた彼女は、反省して謝った。
しかし、その言葉で傷ついた、腹が立ったという、彼女を否定する人の抗議から始
まって誹謗中傷とも思えるバッシングの嵐は止まない。
彼女の言動は、浅はかであったとは思う。
しかし、悪意は感じなかった。
そして、彼女をバッシングする言動にはむき出しの悪意を感じる。
中々出来ないでいることだが、総ての物事の基本に善意があるべきであると思う。
分からないでいる人には、分かっている人が教える義務があるんだと思う。
でも、そこで大切なことは、間違ったり分からないでいた人を、やっつけたり恥を
かかせたりしないで教えることだと思う。
彼女を非難している人たちは、一度考えてみて欲しい。
彼女が自分だったら、彼女が愛する人であったら、同じ言葉でナジルだろうか?
親鸞は言う、「総ての命は繋がっていてどれも愛しい大切なものだ。
自分の親兄弟だけが、大事な人ではない。だから、自分や自分の親兄弟のためだけに
念仏を唱えても意味がないことなのだよ」と。
キリストは言う、「あなたを愛するようにあなたの家族を愛し、隣人を愛しなさい。
そして、あなたの会ったことのない人も、あなたの敵さえも愛しなさい」と。
知人に不妊治療を受けていて35歳になる人が居る。
その彼女の言葉を聞いたら、知人の気分は良くなかったであろう。
でも、それ位のことで傷ついていたらこれからの人生を元気に生きていかれない。
言ってしまった人が一番傷ついていると私は思う。
ガンバレー、誰も失敗し、間違いを犯し、それでもメゲズニ反省して立ち上がるんだ。
ガンバレー、これからが本当の勝負の人生だよ。