アマノジャク(ムカドン)の、行った年、来た年

 

 2000年の時、こんな世界(インターネット)があるとは、思いもせんじゃった。

いや、インターネットやホームページがあるってことは知ってた、知ってはいたさ。

以前から、ワシの書きモノを見せた人に

「ホームページを作ったらいいんじゃないの?」と言われてきてもいたが、

何しろ機械オンチのワシにとってはワケの分からんことだったし、

面倒臭いしで、今みたいなことになるなんて予想もしないことだった。

 

 だけど、ココがあってホントウに良かった。

言いたいことを発信出来るので、欲求不満も解消されて何だか人間が丸くなった気がする。

 そして、読む人が居るってことが、“こんなにも嬉しいこと”だとは、これまた思いも

よらんことじゃった。

 

はい、ここでまた寿玄夢節が出てくる。面白くない話になるぜ。

読む人がいて、いくら嬉しいからって読んで“くれる”人が居るからとか、何か言って

“くれるから”という言葉で語りたくない。

 書きたいから書いてる。それを読んで楽しむ人が居たら嬉しい。

これを読みたい人は読んだらいいし、読みたくなければ読まなけりゃいい。

何か言いたかったら言う。それだけのこと。

そういったことが嬉しいか嬉しくないかは、こっちの勝手で、そっちの勝手。

分っかるかなぁ。ワシの言いいたいこと。

 

最近、話しても通じない気がするザンネンな気持ちになることが続いた。

会社で上司が自分を認めてくれない。やりたい仕事が見つからない。

みんなが自分を分かってくれない。周りが自分を助けてくれない。

仕事にしても人にしても良い出会いがない。と言いながら行動していない。

そういう人は、自分は特別運が良いと言ったかと思うと、何で自分がこんな目に合わ

なければならないんだと言った。

じゃあ、自分はどうしたいのか、どうなりたいのか、と聞いてもちゃんと地に足が

着いた希望や目的がなかった。

で、現在の自分はどう生きているのか?ってことも見ようとしない。

現実を見ようとせず、具体的な目標がなく、行動を起こさず、不満だけがある。ってのは、

どうしたらいいんだろう?

コジキじゃねぇんだから、「〜してくれない」って“オモライ”はやめようよ。

かと思うと「やってあげたのに、喜んでくれない」「頑張ったのに、分かってくれない」

って、「やってあげた」って何様なんだよ。つう、思い上がりとコジキがセット。

「こんなことになるならやらなければよかった」「あたしが悪いんじゃない」って

「話、聞いてくれる?」と長々愚痴って、愚痴る所に留まっている。

それは自分の中で考えて消化しなよ。と思う。

「で?それで君はどうしたいんだい?」と聞いても、自分でも分からない。

 自分が失敗したことを、思い通りの結果でなかったことを、何かのせいにしたり

他人に八つ当たりすることで誤魔化してたら、失敗を成功の母にすることは出来ない

じゃろがぁ。

 

 ワシは欲張りでホントウに幸せになりたい。だから、そこに向かって努力する。

その場合、自分にとって“何がホントウの幸せか”ってことが重要。

 ワシにとってのホントウの幸せそれは、“心にワダカマリなく、納得して生きること”

だから、嫉妬心や征服欲などの欲望を持たないように努力する。

 そういうモノは、清々とした気持ちでいるための一番の障害になる。

不安や心配もいじり出したら何処まででも大きくなり、心を黒くする。

 でも、だからといって何も考えず危機管理しなくなってはアカン。

転ばぬ先の杖、準備、根回し危機管理をした上で、それでも何か起きた時の覚悟を持つ。

為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。で、

人事を尽くして天命を待つ。だ。

 それから、能天気になるんじゃ。脳みそを晴天にする。

 

 先日、喧嘩ばかりしている夫婦の所へ呼ばれた。

旦那の疑り深いのが嫌だと奥さんは言った。

「疑うのを止めてみろよ」と旦那に言うと、

「疑う方が悪いのか!?疑われる方が悪いんじゃないのか!?」と旦那は言った。

その夫婦は、どんな小さい事でも両方が自分を主張する。間違いを許さない。

だから、ぶつかる。言い出したら引くということをどちらもしない。

テレビを観ていてもすぐに議論になる。

間がなくて、ちょっとした相手の間違いを間髪入れずに指摘する。

終わったことを何時までも繰り返し言う。

話す相手によって態度が変わり、身内でも邪険にする人と贔屓(ひいき)する人がいて、

同じことをしていてもそれをする人によって評価が変わる。

彼らに嫌われたら居場所がなくなるが、好かれたら好かれたで今度は期待に答えなけ

ればならなくなるので、それも大変。

頑張りやで責任感が強く何事にも妥協せず努力する人たちなのだが、常に言い争う二人

の間に居るとワシは落ち着けずリラックス出来ないできた。

もう、そのことを伝えた。

「オレ、あんたらが言い争うのを聞いているだけで落ち着かなくてきたんだぜ。

自分が穏やかに居心地よく暮らしたかったら、一緒に居る相手がリラックスして安心

していられるようにすることじゃないのかな」

 すると、

「じゃあ、あなたはそう出来ているの!」

「出来てはいないと思う。でもそうするように努力しているつもりだ」と言うと

「へぇー、エライですね」と口の端を歪めて言い、

「でも、私だけがそうしたって相手がそうしなかったら意味ないでしょうよ!」

「んー、でも、過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来。っていうじゃ

ないか。結果はどうでも始めてみたら?」

「自分だけ努力したら損しちゃうわ!」と奥さんは言い、

「人間の性格っていうのは変わらないんだ」と旦那は言った。

「じゃぁ、このままでいいのか?」と聞くと、

「よくないから、オマエを呼んだんだろうよ」と言い、

イロイロ話したが、最後には、

「お説教聞くタメに呼んだんじゃない。呼ばなければ良かった」とその夫婦は言った。

 夫婦喧嘩は犬も食わないっていうけが、ワシはザンネンな気持ちだった。

そのザンネンは二人にワシの言いたいことが通じない気がしたこと。と、その時の自分が

分かった風の上から目線のエラソウという一番嫌いな人間に、なったような気がした

ことだった。

 ザンネンの半分は夫婦で、あと半分は自分で、後味が悪く今もスッキリしていない。

 

 別に喧嘩をしているわけでもないのに、挨拶をしない、話し掛けても返事をしない人

がいた。

心を開かず伝える行動をしないで、分かってくれないと拗ねて生きる人がいた。

 

幸せになる道に、“見返りと結果を求めない、無欲の行動”があるんじゃないかと思う。

 

 仕事だったら、自分の納得のいく仕事をすればそれだけでいいんじゃないだろうか。

それにどういう評価がついてくるか、それはオマケ。その結果も、オマケ。

 オマケというのは、本体のその次についてくるマサにオマケなんだから、それを当て

にして行動すると本末転倒なことになる気がする。

 当てにすると、「こんなに頑張って練習したのに優勝しなかった」なんて泣き言を垂れる

ザンネンなことになる。

 “頑張って練習した”ということで一つの答えは出ている。優勝はオマケ。

目的にするのはいいが、当てにして行動した時、

「頑張って仕事したのに上司が分かってくれない」なんて言い出す。

頑張って仕事をした自分に満足。

そして、それが分からない上司は能力が低い人間だ。なんて、自分が満足出来ない

はけ口を、上司を評価することで溜飲を下げるようなサモシイ真似もしたくない。

 

 あと、言葉がおかしくなってる気がしてならない。って、ワシがおかしい?ってか。

テレビを観ていて「あー、滅多に見られない珍しい蝶が姿を見せてくれました。

私たちを待っていてくれたんでしょうかー」と大袈裟に騒いでいるのを聞くと興醒めし、

 蝶はオメエらを待ってくれてなんかいねえよ、それを言うなら

「滅多に見ることが出来ないと言われている珍しい蝶が姿を現しました」じゃろ?と思う。

 料理番組で「ここに砂糖を入れてあげて下さいね」

「このフライパンに出た油を拭いてあげて下さいね」と「あげて」を連呼するのを聞いて、

誰のタメに入れてあげんだよ!と、ムカムカしてくる。

 

日本は大人の子供返り、幼児化が病的に進んでいるんじゃないかと、ワシは感じておる。

毅然と話さず幼児みたいに高い声を上ずらせ、予測をせずに行動し、自分を他人事の

ように語る。

物質や動物を擬人化し、事実と空想の世界をゴッチャにする。

人の身になって考えようとせず自分だけの世界で夢のように生きている。

 それで幸せなら、気持ちが落ち込まないでいられるならワシが口を出す筋合いではない。

でも、そういう人と出会い、関わりを持つことになる。

そして、現実的な被害に合う。と、知らん顔で終わらせることは出来なくなる。

 どーしたらいいんだろう?と考えに考えた年末だった。

なっ、面白くない話だって言ったけど、しみったれた話じゃろ。

 

 今年、2010年は冷え込みの年らしいですな。

で、環境の暖かさには期待出来ない時期なので自家発電が必要だそうです。

自分の力で自分の中のエネルギーを回して、パワーを出して乗り切る時期なんだそう

です。

 嬉しいことに、このエネルギー(愛すること、優しさ、やる気、頑張る力なんか)は、

出せば出す程、良質になり溢れ出してくるんだそうです。

 この間、「走り続けた人だけがチャンスを掴む。泣いてもいい。走り続けるんだ」って

走り続けている人が、言ってました。

      

どーぞ、今年もよろしく。

 

 amano2010.htm へのリンク