馬鹿

 

私は、幼い頃、祖父の家で育てられた。

祖父は、すぐムキになる私に向かって「馬鹿は相手にするな」と言ったが、当の本人が

曲がったことを嫌い、“馬鹿もの”に対して一番ムキになっていた。

 

「馬鹿」の語源は古い中国で虎の威を借る悪臣が、自分の権力を示し確かめる為に

馬を見せて、鹿だと言い。それは馬でなく鹿だ。と言った者を処刑したという話が元にな

っていると聞いた。

馬を鹿と言わせた者が馬鹿なのか、馬を「鹿だ」と言った者が馬鹿なのか、はたまた

馬を「馬だ」と言って処刑された者が馬鹿なのか?

6月中旬、香港で反対デモがあった。主催者発表は、200万人で警察発表は、

34万人だった。

日本で原発反対デモが官邸前であった時、同様(警察発表と主催者発表に5倍の差が)あった。

デモの様子は「真実を伝える会のヘリコプター」によって在りのままに映し出され

山本太郎氏が「これが、2万人(だったけかな)に見えますか!?こちらにも抗議の人

達が群れをなしています!こっちもです!」と、興奮して伝えていたが、マスコミは

殆どそれを採り上げなかった。

地動説を唱えた者は、天動説に覆さなければ身を守れず「それでも地球は回っている」

と唇を噛む時代は、まだ続いているのか?

 

お釈迦様は、事実を正しく見て、正しく思い、正しく語り、正しく仕事をし、正しく

生活をし、正しく道を精進し、正しく念じ、正しく定に入る八正道(はっしょうどう)

の生活をし、方よりのない中道の物差しで心と行いを反省し、その曇りを取り除くこと

によって心の窓が開かれ、知慧が与えられる。という。

心に灯りが無い、心が闇の中に居ることを無明(むみょう)というらしい。

その、無明とは、何も分からないことでなく、何でも分かったつもりになっている心の

ことだという。 私は、包み隠しのない事実を知りたい。

 

しかし、事実をありのままに受け止めることは、時に恐いことがある。

インフォームドコンセントを聞くには、聞くだけの意志と覚悟が必要だ。

が、もっと恐い物がある。色眼鏡、先入観だ。それがあっては、感覚と直感は働かな

くなる。

福島原発は、今どうなっているのか?汚染水は?廃棄物は?避難して帰れない人達は

どうしているのか?沖縄は?東海の原発は?

何かに反対でも賛成でも、これからどうするかも、正しく知ることから始まっていく。

正しい事は、事実をありのままに知らせ、知ることから始まる。

 

知る者は知らない者に教える義務と権利を持ち、知らない者は知る者から聞く義務と

権利を持つ。という

 

 

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