番傘

 昭和二十九年生まれの僕が小学校の時、学校の置き傘は番傘だった。

番傘と言ってもそれがどういった傘なのか知らない人の方が多くなった。

番傘とは、竹骨に紙が張られた傘である。

紙には油が塗られ水を通さないようになっていて僕の使っていた物は茶色で頭の留めの

部分は黒色だったと思う。

暫く閉じたままにしておくと紙と紙がくっ付きミリミリと音を立てて中々開かない。

紙だから破れやすく雨の音もパタパタ、パツパツ、パラパラ、バラバラとやかましかった。

あの頃の僕にとって、雨音は番傘の唐紙に当たる身体を叩くような音だった。

 

 僕という人間は、子供の時から変わり者であったようだ。

友達は、居なかったようだ。

ようだ。というのは、僕は友達だと思っていてもその人は僕を友達と思っていなかった

らしいのだ。

何をしていても、その時の僕にとって気になるものや急にやりたいことを思い出してしま

ったら気がそぞろになって、その場をトンズラすることになる。

僕は周りに合わせることの出来ない我慢のきかない子供だった。

「えー、それは今も変わっていないだろう!」という声が聞こえる。

そういう僕が、唯一心の許せる友達は動物であった。

生き物であれば何でも良かった。

芋虫、トンボ、喋喋、トカゲ、セミ、バッタ、蛙、アリジゴクを育てたり、

ハツカネズミを飼ったりした。

本当は、犬か猫を飼いたかったのだが、母親が貴賎病みで動物は汚いから嫌だと許して

くれなかった。

それでもあの頃は、その辺の何処かには、野良犬がウロウロしていた。

僕は、その野良犬を手懐け友人としていたのだ。

自分で言うのもなんだが、僕は動物を手懐けることにかけては天才的である。

どうするかというと愛情は出し惜しみしない、でも甘やかさない。

自分が主体だから何かするとき、犬の機嫌をとってはならないのだ。

しかし、自分に心底懐いているものに意地悪したりして悲しい思いはさせてはならない。

僕はその時、心を尽くして犬の面倒を見ることで本当は、自分が癒されていたのかもしれ

ない。

 

あの頃、入れ替わりに二匹の犬が友人だった。名前はどっちもチビだった。

学校が終わって家に戻るとチビが待っている。

家から何か食べ物を持ってきて食べさせる。

土手に座ってチビの汚れた首を撫でながら風に吹かれている時が、僕にとって至福の時で

あった。

このチビ一号は、頭が良かった。

僕が、学校に行く時、ついてきたがったが、「駄目だよ」と言うとさっと踵を返した。

姿が見えなくても、僕が呼べば必ず姿を現した。

芸の飲み込みも早く、じっと目を見てこちらの要求していることをいち早く察知し更に

それをして見せ誉められることが彼の最大の喜びであることを、僕は肌で感じていた。

 

 近所の家に親戚の子が遊びに来ていて、僕とチビが遊んでいるところを見たらしい。

その子が、どうしてもあの犬が欲しいと言って聞かないのだと、そこのオバサンが

僕の母親に言ってきた。

そして「犬を譲ってもらえないだろうか」と丁寧に頼まれたらしい。

僕は、そのことを母親に言われた時「嫌だ!」と言った。

 しかし、僕はチビをちゃんと飼っているわけではない。

母親に「このままでは保健所に連れて行かれて殺されることになる」とか

「家では飼えないんだから、お前に何か言う権利はない!」

「貰われていけば家よりもちゃんとご飯をもらえてチビは幸せだ」などと言われ

仏頂面で泣く泣く諦めた。いや、本当に泣いて諦めたのだ。

近所では見かけない大きい乗用車にチビは乗せられ、キョロキョロしながら

連れていかれた。

 僕は隠れて、知らない子供にまとわりつかれて困惑しているチビを見送った。

悔しくて悲しくて涙が止まらなかった。

 

 チビが居なくなって、チビに会いたくて会いたくて、チビの夢を見ては枕を濡らした。

それから、二三ヶ月経った頃だった。

 梅雨に入り雨が続いていた。

その日、朝は降っていなかった雨が午後になって降り出し、番傘をさして帰ってきた。

道路は、砂利が撒かれているがぬかるんでいた。

泥の中を歩いて長靴を汚し、水溜りに入って泥を落とす。

それを繰り返しながら帰ってきた。

我が家の横は土手で滑りやすい、足元を見ながら気を付けて降りた。

降りきったところで顔を上げると、そこにチビが居た。

 一回りも大きくなったチビは、一瞬分からなかった。

黄土色の、太くなった尻尾を大きく振りながらチビはそこに居た。

「チビ!」と僕が言うと、喜んで飛び掛ってきた。

でも、ここで洋服を汚したら、またお母ちゃんに怒られる。

「まて!まて!」と番傘でチビを止めようとしたが、

喜んで興奮したチビは僕に抱きつきたがる。

チビの足は、足どころか腹の方まで泥だらけだ。

そのうち番傘は、ビリッと破けた。

僕は、いったん家の中に駆け込み、濡れ縁の方から顔を出しチビと再会した。

嬉しかった。もう二度と会えないかと思っていた。

そうそう、こんな顔だったんだよなあ。首も大分太くなったけどこの手触りなんだ。

夕方になって雨が止んで、表に出た僕の後をずっとチビは付いてまわった。

暗くなって家に入ってからも外を覗くとチビはそこに座っていた。

 

 次の朝、チビはそこに居たんだろうか?思い出せない。

飼い主が迎えにきたのか、自分で帰ったのか“ああばら”という所にチビは戻って

いった。

 それから、チビの夢は見なくなった。

 

 大人になってから、“ああばら”という所が何処かを知った。

方向音痴の僕は、そこが果てしない遠い所のように思っていたが、家から一里

(四キロメートル)程の自転車ですぐに行ける所だった。

大きな池があり、近くに川が流れていた。

 僕が、チビに会いたくて夢を見ていた時、チビも僕の夢を見ていたんだろうか。

番傘の破れは、お母ちゃんにはバレなかったが、友人からは大分からかわれた。

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