ぶっこわしや

 

 時々、私の中の“ぶっこわしや”が暴れだす。

 

 先日、それが起きていた。

そこへ友人のイシダ君が来た。

イシダ君は、ノンケでない。そろそろ40歳になる。イシダ君は忘れた頃にやってくる。

中沢新一が好きで、そっち関係の話が出来る嬉しい友人だ。

「おひさしぶりぃ」

「あー、久し振りだね」と私。

 

「最近の私、反抗期がきてるんだ」

「反抗期って?」と、イシダ君が聞いた。

「何だか、色んなことにムカムカすんのよ」

「えー、どういうこと?」

「例えば、“〜の泉”って番組あるじゃない、あれなんか、前は面白くて納得して観てた

んだよ。

それが、『なーにを、分かったっぷりしてんじゃねえ』とか、

『上から目線で喋ってんじゃねえ』とか『そんなこと今更言われたかねえよ!』みたい

な気持ちになって、それまでは面白いと思っていたことや疑問に思わないでいたことが、

『はい、はい、あんたはエライ、あんたが大将』『勝手に喋ってれば』って気持ちになる

んだよ。勿論、これを口に出して言うわけじゃないんだけど、

でも、そういうふうになると、皮肉屋になって、お涙頂戴の話とか、心温まる話なんか

世の中で認められてるようなことを、バッサバッサと切り出すんだ」

「えー、面白い。

この間、中沢先生の講演を聴きに行ったんですよ」

「えー、いいなぁ」

「面白かったぁ。

で、中沢先生の前にチベットのお坊さんのお話があったんですよ。

アタシ、中沢先生が目当てだから『さっさとオワリにして』って思いながら聴いたんで

すけど、こーれが、良かったの。

やっぱりお坊さんの話って聴くべきですよねぇ」

「何が良かったの?」

「いろいろあったんですけど、そこで修行しているお坊さんが、麻子さんみたいになるん

ですって」

「えぇー?どういう風に」

「チベットって沢山お坊さんが居て山で修行してるじゃないですか、そこで、それまで

何の疑問もなくちゃーんと修行してたお坊さんが、急におかしくなるんですって」

「おかしくなるって?」

「それが、それまでちゃんと修行してた真面目な人がなるんだけど、お経読んだりして

たのが、突然ミンナがお経読んでる間を歩き出して、

『こんなことに何の意味があるんだ!?』とか『お前らは何をやってるつもりなんだ?』

とか言い出して、偉いお坊さんの頭を叩いたりするんだって」

「あはは、それは面白い」

「それをダキニって言ったかな?そうなると、

『ダキニ様が現れた』って言って、その人が言うことをミンナ真面目に聴くんだって」

「へぇー」

「そうなると、本当はこういうことには意味がないとか、本当に大事なのはナニだとか

いろいろ言い出すんだって」

「何かに言わされてるのかな」

「うん、それをミンナちゃんと聴くんだって」

「それをちゃんと聴く人たちって、ホントに偉い人だね」

「麻子さん、ダキニ様が現れてるんじゃないの?」

「きゃー、それって真面目なお坊さんに現れるんでしょ、こんな不真面目な私に現れたら

とんでもないことになっちゃうよぉ」

「うん、破壊者になるかもね」

「でも、壊しが必要な時ってのも、あると思わない?」

「そうよね、壊さないとその下にあるモノが出てこないってことも、あるわよね」と

イシダ君は言った。

 

 

 buttukowasi.htm へのリンク