ボクシングジム

このところ忙しかった。

何かが出来ないことの言い訳に“忙しい”という言葉を使いたくないと言い続けてきた。

だがしかし、忙しいということは、やりたいことをやる時間を捻出出来ないばかりか、

忙しさとジレンマの疲れが、気力までも消失させる。

 最近、書きものをする時間がなかった。というより、気持ちが落ち着かなかった。

とはいえ、我慢したその後のぶり返しが、思いがけないジャンプをさせることになる。

 それは、父の緊急入院、手術、母の面倒がひと段落した日だった。

知人に教えられていたボクシングジムに行った。

 出不精で面倒臭がり屋の私は、自分の家から出ることは殆どない。

休日に誰とも口を利かず、家から一歩も外に出ないこともある。

そんな自分が行くことはないと思っていたボクシングジムだった。

着替えや靴、タオルを詰めたバックを持って、父の病院に着替えを届けたその足で

家から40分程のМジムに向う。

駐車場を見つけるのに時間が掛かり、交差点のラーメン屋の4階にあるというジムの前

を何回も通り過ぎる。

エレベーターもないらしい古いビルの階段を、4階まで一気に駆け上がった私の息は、

もう既に切れていた。

 コンクリートむき出しのジムは、閑散としており、午後の日差しの中二人の練習生が

シャドウをしているだけだった。

 

 入り口に居たN会長が、「見学でも体験でも気軽にしていって下さい」と笑顔を見せた。

ジムの中に叩きつけるように鳴っている音楽は、私を高揚させた。

体験を希望し、柔軟体操をしてシャドウを始める。

鏡には52歳になる性別不明の一応人間が、背中を丸めてシャドウの拳を突き出していた。

会長は、50を越えてボクシングをやりたいという私に興味を持ったようだった。

「時間は、大丈夫なんですか?」

「はい、何時でも大丈夫です。ただ、私の体力があるかどうかだけです」

「食事の支度とかしないんですか?」

「してますよ。でもしたかったらするし、したくなかったらしなくても大丈夫です」

「旦那さんは居るんですか?」

「はい、でも自給自足できる人ですから」

「仕事は、してないんですか?」

「いや、してますけど、しなくても大丈夫になりました」

会長の質問に答えながら、なんだよ私、幸せな状態にあるんじゃないかと気が付いた。

 私の本当の希望は、仙人になることだった。

居てもいいし居なくてもいい、誰かの邪魔にならず、居なくなっても困らない。

老荘の思想の基、自然を味わい、ゆったりと自分を楽しんで生きる。

 なんだよ、ちょっと仙人みたいに自由にやってんじゃないか。と気が付いたのだ。

「ボクシングは、どうしてやろうと思ったんですか?」

「いや、シャドウはずっとやってるんです」

「珍しいですね」

「そう、私の年では珍しいでしょうね」

学生の頃からだから、何十年シャドウを続けているのだろう。

知人にサンドバックやグローブを借りていた時もあった。

 

グローブを付けてリングに上がり、打ち込ませてもらった。

会長は、丁寧で礼儀正しい人だった。

 

 50歳まで本気で生きてきた人は、それからの人生は、好きなことをして、好きな人と

付き合って生きていけるようになるのだという。

 私は、本気で生きてきただろうか?

でも、やりたいと思いながらブレーキをかけてきたことを、次のギアに入れようかと思う。

ボクシングと書き物のセカンドギアは、今入ったところだ。

 

 2時に入った時は私を含めて3人だったジムに、4時半頃になると次々に高校生が

入って来た。

「今日はこれで終わりにします」と言うと

「まだ、いいじゃないですか」と会長が言った。

「いや、邪魔になると嫌だから」

「邪魔になんかなりませんよ。それに、みんな和気あいあいとやってますから」

「和気あいあいが嫌でボクシングやってきたんですよ」と笑いながら言ったが、

会長には通じただろうか?

 すっかり暗くなった街に点いたクリスマスのイルミネーションは、一足早い

神様からのプレゼントのような気がした。

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