ドロップ

 

 昭和29年生まれのボクが幼かった頃、缶に入ったドロップは高級品だった。

甘い物がそう好きではない方だったが、ドロップは好きでたまに一缶与えられると

一粒づつ大事に舐めたもんだ。

 ご存知の通りいろんな色のドロップが入っていて、赤緑黄緑オレンジ黄色白にハッカ、

それにチョコ味があって、好きな物ばかり選んで舐めていると最後には嫌いなハッカと

つまらない白ばかりが残るということになった。

 そこでボクは、選ばずに缶を振って出た物を舐めるという決まりを作った。

そして、缶から出たドロップの色で自分の運勢を占うようなことをした

 一番はチョコ、2番は赤、オレンジ黄色緑は普通で、白はダメ。ハッカは最悪。

一度出た物を戻してやり直すのは違反で、残りが少なくなっても中に何が入っているかを

覗いてはならない。

 そうしているうちに気が付いた。

人生と同じなんじゃないかな。と。

 イヤなこともイイコトも分量が決まっていて、遅かれ早かれそれを舐めることになる。

缶の中のドロップみたいにみんなが同じと決まっていない。が、一人ひとりがある分量で

決まっていて、これから残りに何があるか分からず、次に何が出てくるかは分からない。

 おもしれぇなー。

なーんてことを、常にシミシミと考えてる子供だった。

 お母ちゃんが「ボーっとして、何考えてんだか、分かんねえ子供だ」とよく言っていた

が、そういうことを考えてたんです。

 

 ドロップで思い出すのが、小学生のボクはある日の夕方にお使いを頼まれた。

あれは晩秋だったと思う。

 家から10分も掛からない距離にあるその家は、暗い林を通り抜けた所にある。

ろくな灯りもなかったその頃(昭和30年の後半)釣瓶(つるべ)落としの夕闇は、夜の

闇より黒かった。

 お母ちゃんは、自分が怖がりのクセにボクを使うのには躊躇(ちゅうちょ)がない。

でも、ちょっとは遠慮があるのか普段より優しい声を出してお使いを頼んだ。

 その林の中にチャコというよく吠える犬を飼っている家があって夜になると放し飼いに

していた。

 そこの家までの砂利道を歩いて行くとチャコが出てきてボクのお尻のニオイを嗅いだり

したが、繋がれている時はやたら吠えるのだが、夜道で会うと静かだった。

貸家の狭い庭を横切って近道をした。

届け物をしたその家のおばさんは、「こんな暗いのにお使いしてエライネー」を繰り返し

 ボクは誉められることの居心地の悪さを感じていた。

そこには、母親がボクを大事にしてないと思われることを嫌がる気持ちがあった。

 帰りがけにおばさんが、お駄賃だと言って紙に包んだ物をくれた。

外に出てから薄明かりの中で紙を開いて見ると、ドロップが3つあった。

 それは、赤と茶と白だった。

 

 50歳も半ばを過ぎて、食べ物でも着る物でも好きな物から手を付けるようになったが

以前のボクは好きなものを後に残すタイプで、先ずは嫌いな物から食べた。

何でも面倒でやりたくないことをコツコツまとめてから、美味しいやりたい仕上げに

取り掛かる主義だった。

 何時の頃からだろう、やりたいことが終わっていないのに、やりたくないこと(常識で

やらなければならないとされていること)をしている時間はない。と思うようになった。

でも、本当にやりたいことは、欲で求めていることではないかもしれないな。

 

その時のボクは、例によって好きランキング3位の白を口に入れた。

家に着く前にそれは口の中から消え、赤を口に入れて間もなく家に着いた。

 無駄なモノのない、両親と妹ボクの4人が暮らしていた、ふた間に台所と風呂トイレ

だけの文化住宅。

玄関を上がると目ざとい妹が「あっ!お兄ちゃん何か食べてる!」と言った。

お使いの駄賃にドロップを貰った、と言うと、

「ドロップ!ドロップ!」と妹が騒ぎ出した。

 それを見たお母ちゃんが、ボクをにらんでいる。

(これは、ボクがお使いに行ったお駄賃じゃないか)と思ったが、それで許される訳が

ないことは知っていた。

 でも、一番大好きなチョコ味を妹にやる気には到底なれない。

そこで、口から出した赤いドロップを水道の水で洗って妹の口に入れてから

急いでチョコ味ドロップを口に入れた。

 それがお母ちゃんに見つかった。

「おまえは何て意地汚い欲張りな人間なんだ!」と言うなり殴られた。

 悔しくて泣いた。

ドロップは、涙の味になった。

 

 

 大人になって結婚し、二人の子が出来、その子たちが小学2年と4年生になった頃、

映画が観たいというのでボクが二人を連れて行ったことがあった。

 当時大流行りの“となりのトトロ”というやつで、ボクは昔の風景や家の埃、雨風の

匂いや心細い気持ちなんかまで思い出して楽しかった。

 そこまでは良かったんだな。

その時の映画は二本立てで、もう一本は“ホタルの墓”だった。

 何も分からず無防備に観ていたが、途中で気分が悪くなった。

隣を見たら2年生の子はそれ程でもない様子だが、4年生の娘が青い顔になっていた。

「お父さん、もうここから出たいんだけど」とボクが言うと、4年生が頷いた。

2年生は、えー、という顔をしたが素直に外に出た。

 

 その後、ホタルの墓はテレビで何度も放映されることとなった。

でも、ボクはどうしても最後まで観ることが出来なかった。

 何年か前、やっと最後まで観た。

辛かった。

「おにいちゃん、ドロップ、なめたい」

 

 

♪むかし なきむしかみさまが あさやけみてないて ゆうやけみてないて

   まっかななみだが ぽろん ぽろん

      きいろいなみだが ぽろん ぽろん

  それがせかいじゅうにちらばって

            いまでは ドロップス

   こどもがなめます ぺろん ぺろん

          おとながなめます ぺろん ぺろん

 

 むかし なきむしかみさまが かなしくてもないて うれしくてもないて

   すっぱいなみだが ぽろん ぽろん

      あまいなみだが ぽろん ぽろん

  それがせかいじゅうにちらばって

            いまでは ドロップス

   こどもがたべます ちゅるん ちゅるん

          おとながたべます ちゅるん ちゅるん

              ドロップス(まどみちお 作詞)

 

 

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