ぎゃー

 夕べ“しりとり”の美樹が最後のほうには美紀になってたよという報告を頂いて、直し

ておこうと、ワードを開けたら、そこが真っ白!

 つまり、これからホームページ載せようと思っていたものが、総て消去されていた。

「ぎゃー」と、なった。

ところが、「ガビーン」とはならなかった。

それが、我ながら不思議だった。

 ホームページに載せた以外の、何十倍もの原稿。そこには、題名がずらりと並んでいた。

以前は題名だけでそこに何が書いてあるかを把握していたが、最近は、題名だけではその

内容が思い出せなくなってきていた。

 山小屋には、その何十倍あるか分からない原稿の種と、資料がある。

少し前までは、山小屋が焼けたら生きていけない気がしていた。

それが、今はなくなっても大丈夫な気がする。

 これで良かったという気持ちになった。

また、一から出直そう! 出直せるんだもの。

 スッキリしたなぁ、もう!

 

私は、聖書の中にある「なくした金貨」と「放蕩息子」の話が好きだ。

「なくした金貨」は、大事にしていた金貨をなくす。

必死で捜す。

見つかった時、金貨への執着は消えていた。

その見つかった金貨をつかって、みんなで大宴会を開いて祝う。

なくなった筈の金貨が見つかって、執着心はなくなってるんだなぁ。

こーれは、嬉しいでしょ。

 

「放蕩息子」は、ぐれた息子が家に迷惑をかけ、その上金を持って姿をくらます。

その息子が帰ってきた。

ズタズタ、ボロボロのみすぼらしい姿で。

父親が叫ぶ。

「暖炉を暖めてくれ!」「一番上等の暖かい服を出してくれ!」

「暖かい風呂と寝床を用意してくれ!」

「もう、居なくなってしまったと思っていた息子が帰ってきた!

 今夜は宴会だ!」

あー、ええ話しや。

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