ハチミツの兄チャン

辰年生まれの友子は、今年53歳になった。彼女は、5人兄妹の末っ子だ。

友子より14歳上の兄を頭に12と9歳、すぐ上の兄でも6歳離れている。

友子が4歳の時に父親を亡くし、母親一人の手で兄妹は育てられた。

 

2番目の兄チャンは、趣味でミツバチを飼い、ハチミツを採取している。

父親が死んだ時、友子が4歳だったから次男であるハチミツの兄チャンが16歳になる

時だった。

農業だけの暮らしは貧しく、増してや父親の長患いの末の他界は、次兄の高校進学を断念

させることとなった。

友子は、勉強が嫌いで苦手だったが、兄達は皆一様に、勉強好きで成績も良かった。

ハチミツの兄は、中学を卒業してすぐに働き出したが、進学の夢を捨てきれず二十歳を

過ぎてから自力で通信教育によって高校と大學卒業の資格を取っている。

その兄も今は、関西で自動車の修理をして生計を立てている。

兄の家族は、夫婦と27歳になる一人娘の三人暮らしである。

 

 そのハチミツの兄チャンというと、友子が必ず思い出すことがある。

それは、友子が7,8歳になった頃だと思う。

なぜなら小学校高学年になる頃には、もう母親の帰りを待つことなどなくなっていたから

だ。

昭和三十年代に入って漸く、日本が落ち着き出していた頃だった。

友子の家も、一家の大黒柱が父親から母親に変わって4年が経ち、長男が22歳になり

次男であるハチミツの兄も成人を迎える年になっていた。

長男次男三男と暮らしの助けになってきたが、母親は農作業から親戚近所の付き合い

家事を一人でこなしていた。

その日、母親は法事のオヨバレがあった。

法事にはお膳が出る。昔の冠婚葬祭は食べ物が出ることが、最高のモテナシであった。

母親は必ず、それを食べずに持って帰ってきた。

友子は、秋の夕暮れの中を家から出たり入ったりして、母親が帰るのを首を長くして

待っていた。

家の中には、ハチミツの兄ちゃんがいた。

「お母ちゃん、もうすぐ帰ってくるで、落ち着いて待っとりゃ」と兄は言ったが、友子は

腹も減っていたが、日の短くなってきた長い影が心細く、石ころだらけの家の前の道に

出ては、背伸びしたり飛び上がったり、後ろ手に手を組んでは行ったり来たりしていた。

そして「お母ちゃん、まだかなあ」と何度も聞いて兄に煩がられていた。

いよいよ暗くなってきて、「お母ちゃん…」と泣き言をたれようとしたその時、

兄が怒り出したのだ。

「そんなにおみゃーは、法事のご馳走が食べてゃあか!

いやしい!みっともなゃあ真似をするな!」

その言葉は、友子の胸に突き刺さった。

腹は、勿論減っていた。減ってはいたが、それだけではなかった。

それを兄に言いたかった。言いたかったが、言葉が出ない。

悔しいのと淋しいのと、悲しいのと腹減りがごちゃ混ぜになって友子は泣き出した。

泣き出すと泣いた悔しさが増して、土を固めた土間に地団太踏んで更に泣いた。

涙が、土に落ちた。

 そこへ母親が帰ってきた。

「どーしたんやー」のんびりした母親の声を聞くとホッとすると同時に腹が立ち

兄のことを言いつけようとしたが、何と言っていいか分からない。

「兄チャンがイジメよった」

「ほーかぁ、ほれ、ご馳走もらってきたで、腹減ったやろ。はよ、食べやー」と

母親は風呂敷包みを板の間に置いた。

兄はその日、あばら家の二階にある自分の部屋に入って出てこなかった。

友子は、その日、そのご馳走を食べたのかどうか覚えていない。

 

関西の実家に程近い所に建っている、兄の家は小さいが鉄筋の二階建てで一階の部分が

工場で、二階が住まいになっている。

そして、屋上には、蘭など花の鉢が並ぶ中にミツバチの箱が、10個程置かれている。

一階は2.3人の人を使って自動車の修理を行っている。

修理といってもクーラーなどの電気系統の修理なのでそう大きな場所はいらない。

その前にある小さな庭には、巨峰の木などナリモノの木が何本か植えられている。

友子の母親は、敷地だけは広かった家の周りに、食べられるものナリモノを片っ端から

植えていた。

食べ盛りの子供達に、ヒモジイ思いだけはさせたくないという母心だったのだろう。

友子は果物が好きだ。

ご飯を食べなくても果物を食べていれば満足するのは、その頃の刷り込みによるものだろ

うか。

 兄はナリモノだけでなく、隣の家との僅かな隙間にびっしりと花の鉢を置いている。

実家は広々としていたが、花を楽しむ余裕はなかった。

兄の暮らしは、実家より豊かなのか貧しいのか、と友子は思う。

 

秋のある日、兄の一人娘が、会社の勤めを終え帰宅してきた。

すると、暗くなった庭に佇む者がいる。

「どうしたの?」と聞くと

二十歳になるかならないかの女の子が、庭になった巨峰をもいで手に持っていた。

兄が、もう少しで食べ頃だと楽しみにしていた巨峰だった。

「これはうちのお父さんが、大事に育てているんだからとったらいかんよ」と娘が言うと

その娘は、申し訳なさそうに頭を垂れた。

彼女は、近所に点在する工場に住み込みで働きにきている中国人だった。

「ゴメナサイ」と返された巨峰は、熟れるまでにはもう少し時間が欲しかった。

 

 兄の家の屋上で飼育されているミツバチからハチミツが採取されると

「おみゃー、ホンモンのハチミツは美味ゃーぞ、食べてみやー」と友子に届けられる。

ハチミツは年に二回採れるらしいが、秋のハチミツは越冬する為に蜂に食べさせてやるの

だと兄は言う「食べてまうんやわぁー」と兄は言った。

 兄の家の前の道路を横切り200メートル程先に行くと、川に続く土手がある。

そこに兄は、ミツバチのためにチンゲン菜の種を蒔いた。

兄は、塔が立ち花芽を持ったチンゲン菜の花が開くのを楽しみにしていたが、

花が咲いたその日、チンゲン菜が、一本残らず根こそぎ無くなっていた。

 花の咲いたチンゲン菜などどうするのかと思っていたというが、ある日のテレビを見て

合点がいった。

中国料理に、花の咲いたチンゲン菜を炒めて食べる料理があるとやっていたのだ。

「そりゃあ、どんな味なんか、いっぺん食べてみてゃーなあ」と兄は言った。

母親に似たのんびりした言い方だった。hatimitu.htm へのリンク