偏屈?(ムカドン)

 

 ワシャ偏屈(へんくつ)だと言われることがある。

そうかなぁ?偏屈かなぁ?

 

 この間、孫の叔母にあたる娘と、孫の面倒を見ていたら、

「マユちゃん、ちゃんとご飯食べないとお姉さんになれないよ」と言った。

 この繭(まゆ)4歳が、しみじみ(方言でちゃんとという意)メシを食わない。

ウロウロしたり口に入れてもクチュクチュ、チクチク何時までも啜っていたり。

 それを聞いてワシは言った。

「いや、食べなくてもあんたはお姉さんになるよ」

「食べないと大きくなれないんだよ」と娘がまた言った。

「いーや、食が細くてちゃんと食べないのにデカークなったヤツを知ってる。

それに、何かの為に何かするってのは、人間の思い上がりだ。

大きくなる為に食べてやる。ってか?!

そんなの食べ物に対して失礼千万(しつれいせんばん)!

人はもっとシンプルに生きるべきだ。

食べ物に感謝して、イヤ、感謝なんてことも考えず、ちゃんと腹をすかして

ただ『うまい』と食べる。これは、味がどうのこうのちゅう意味じゃねえぞ。

大体が、大きくなる。って、年か身長か何の部分を言ってるんだ?」

「もー、お父さんってウルサクって嫌!」と、娘が言った。

 

 そうか、ワシは偏屈なのか。

 

 公共の場で、してはいけないとされていることをしている子に親が言う。

「そんなことをしていると怖いオジサンに怒られますよ」

 それを聞くとワシは言いたくなる。

「怒られなければしてもいいのか?」と。

 そして、毎回思う。

ボキャブラリーが貧困。

 叱る、注意する、諭(さと)す、教える、諌(いさ)める、などの言葉が全て“怒る”

という言葉でひとくくりにされている。

 “怒る”を辞書で引くと「腹をたてる。いかる。」となっている。そこに指導的要素は

ない。

 本来、子は注意し、教え、諭し、諌めていくのが教育(教え育てる)であって、怒ると

いう行為はただの感情であって、叱ることとはまったく別物である。

 

 そして、この「〜だから」というという言い訳がましい思考回路にもワシはモノ申す。

「誰かに怒“られる”から、やらない」「これをやっておけば誉め“られる”から、やる」

という、そこに本人の意志と誇りは存在していない。

 怒られようが、誉められまいが、そういった損得を抜きにして自分の魂といったら大

袈裟に聞こえるかもしれないが、それは、やるべきことなのか、やらざるべきことなのか。

 本人が自分の心に聞いて、自分で決断し覚悟を持って行い、その結果も自分が背負う。

それが出来る、やろうとする人間に育てていくのが教育。

 でも、出来るようになっていくのはその本人であることを忘れてはならない。

怒らず、教えて、後は手を出さない。

 

 教えた後に本人に任せず「あの時、何て言ったんだっけ?」と口を出す。という間違い

を、愛情深い?ような人ほどしてしまうから気を付けよう。

 手を引くということは、手を出す、手を掛ける。ということより難しい気がする。

母原病という本が以前ベストセラーになったが、今も全く同じだ。

 

 あっ、アメリカンインディアンの子育て四訓をもう一回書いておこう。

乳児は、しっかり肌を離すな。

幼児は、肌を離して、手を離すな。

少年は、手を離して、目を離すな。

青年は、目を離して、心を離すな。

 

 人生は常にライブ。

その時に必要なことは、常に変化し変わっている。

あの時ああやって良かったから同じことをしていればいい。ということはない。

 

 最近の孫の食事について娘から相談があった。

落ち着きがない、だらだら食い、ちゃんと食べない、残す。

 なので、ご飯を小さく丸めておにぎりにして、全部食べたら次を与えるようにしている。

のだが、最後は何か残るのだという。

 

 そこで、食事をすることの目的を一緒に考えてみると、

食事で大事な栄養を取る。と同時に生きることの基本がそこにあるんじゃないか。と気が

付いた。

 

 そして、出た答えは、

先ず、ママの部門は、バランスの良い食事を作り、一緒に座って落ち着いてママも食べる。

 次に、子供(4歳)に自分の行動には責任を持つ。ということを実践させる。

どうするかというと、

 自分の取り皿に、自分がどれを食べたいかと、どれだけ食べられるかを“自分”で取り

分ける。

 その時大事なのは、「残さないように食べられる分だけ取るんだよ。お代りは何回でも

していいからね」と言ったら、後は一切口を出さないこと。

そして、一緒に食事を楽しむ。

 

人は失敗して学ぶ。逆を言ったら失敗しないところに学びはない。

最初は、きっと欲張りして食べきれないことになるんじゃないかと思う。それがいい。

 そこで、半分だけは食べるとかちょっと無理をして責任を持たせる。

自分の決めたことは自分が責任取るんだ。ということを本人が知る。

 次の食事からがもっと大事だ、

「自分で取って食べてね」と言ったら、後は口を出さない。

「この間食べきれなかったでしょう?」だとか「こっちも取ったら?」などと言わない。

きれいに食べきった所で「あと少しこれも食べたら」などと言わない。

 子供が育つ一番の敵は親である。と言う人は多いがワシもそう考える一人である。

親は、口出ししたい自分と戦うことで親に育つ。

子供は、自分の決めたことの行動の責任は自分が持つのだ。ということを身を持って

覚える。

その基本は、食事にある。

 

 いや、決して食事を利用なんてしていませんよ。

ただただ、有難いことと感謝しております。

 食べられること(健康、環境)食べさせたい人が居ること、一緒に食べたい人が居る

こと。

 

     別に偏屈じゃねえべよ。ワシ。

 

 

 

 hennkutu.html へのリンク