返事

 

 「コンニチワー」と言っても、返事をしない子が居る。

何か話し掛けても、母親の陰に隠れて返事をしない子が来る。

 彼は3人兄妹の末っ子。

母親は、子育てに悩んでいるという。

 話し掛けると母親の陰に隠れる。落ち着きがない、触っていけない物に手を出す、

物を受け取るのにまるでひったくるように取る彼を見て、どうしてなんだろう?と

思っていた。

 

 そして、私の子供も下の子が昔そうだったことを思い出した。

泥棒ネコみたいにコソコソしていて、何を言っても疑心暗鬼で

「私なんか好きじゃないでしょ」という。

 自分から動こうとしないのに、人が何かしていることに文句を付ける。

どうして、そういうことになってしまったんだろう?

 みんなで可愛がったし、大事に育てたつもりだったのに…。と、悩んだ時期があった。

 

今日の僕だって、お兄ちゃんもお姉ちゃんも明るく素直な感じだし、お母さんは

ちょっと淋しがりやで依頼心があるみたいだが、子供を愛してる普通のお母さんだと

ワシは感じる。

 

 で、思い出したのが、ワシの店は小学校の緊急避難連絡所にと学校から依頼されていて、

今頃の季節になると親の送り迎えがなくなった小学一年生が便所を借りに寄ることだった。

便所教育で書いたが、日本という国の特性なのか何処の国もそうなのか分からないが

自分の要求要望を自分の口で言うということは、恥ずかしいようなはしたないかのよう

な雰囲気がある気がする。

 ウチに便所を借りに来る子も恥ずかしそうで、自分の口で言う子が殆どといっていい

ほどいない。

しっかりしている子が「おトイレありますか?」と言ってくる。

「トイレがないウチはねえべ。あるよ」

「ほら、あるって」

「あるってじゃなくて、貸してくださいじゃろ」

「貸してください」

「はい、どーぞ」とトイレに案内しようとすると、

「貸して」と言った子じゃない子が、裏に入って行こうとする。

「何で、違う子が入んだ?」

「この子が入りたいんだって」

「じゃ、この子が言うんでしょうよ」

「うん」

「親切なのは悪いことじゃないけど、自分のことは自分で言うんだよ」

「うん」と二人はうなづく。

 そして、誰かに面倒を見てもらっている子というのは、お礼も言わず感謝の気持ちを

表すことが出来ないのか、感謝の気持ちが薄いのか。

それは、何故なのかと思ってきた。

 

 ある女性が「トイレありますか?」と聞いてきたことがあった。

「ありますよ」

「ほら、あるって」

そして、中学生の女の子が、ふくれっ面でトイレに入って行った。

次にトイレに入りたいという人が居たが、中々女の子はトイレから出てこない。

 みんな女の子に気を遣って、「まだですか?」と聞くことをしなかった。

暫くして、女の子が店をウロウロしているのを見つけた。

 裏からコッソリ出たみたいだった。

「あっ、トイレ空きました」と待っていた人に言うと、中学生の母親が、

「あなた、お礼言ったの?」と女の子に言った。

すると、女の子は返事もせず、ブーっとふくれて外に出て行った。

 

 心に残っている話がある。

内藤洋子は、三浦綾子の小説(氷点)の映画化されたヒロイン役の名を貰って洋子と

付けられたという。

彼女は、結婚と同時に海外に行き北島まいを生み育てた。

額の広いしっかりした感じがする人だ。

 まいが、子供の頃買い物に出かけた時だった。

何かを欲しがってダダをこね暴れていると、母親が、まいの耳元に口を寄せてきた。

 そして、小声で言った。

「あなた、今、カッコ悪いわよ」

 まいが小学校に上がる前だったという。

(えっ!?)っと、周りを見渡すと、大人たちの冷ややかな、憐れむような視線がまいに

注がれていた。

 それから、まいは自分の姿に気を付けるようになった。という。

 

 ええ言葉やなぁ。と思う。

「今、自分、カッコ悪くないか?」と客観的に自分を見る訓練。

訓練は怠るとすぐに作動しなくなる。

 人目を気にしてビクビクするのではなく、自分で自分を客観的に見て判断する訓練。

そして、自分主体で行動すること。それは、自分への自信に繋がっている。

 自分の要求を自分で言えない、言わない人は、どうしたって自分の居場所を見つけ出

せず、居心地が悪くなる。

 大事にしているつもりで先回りして面倒を見てしまうことは、その人の居場所を奪う

ことじゃないだろうか。

 

 母親が話しかけているのに、返事をしないで白い目でにらみつける子供。

子供だけじゃない、夫婦や大きくなった親子間でもそれをやっている人がいる。

きっと、友達や好きな人の前になったらニコニコ顔になって喋るのだろう。

他人にはいい顔を見せて、家族には仏頂面の人がいる。

家族だけを大事にして、他人はミンナ敵という人もいる。

みっともないなぁ。と思う。そして、悲しい。

 

 私は子供の面倒をみる仕事をしていたことがあった。

自分のことを人任せにしてコソコソ隠れる返事しない子には、過保護の家族が居る、

そして、末っ子が多かった。(そうばかりじゃないけど)

 そこで、自分ですべきことを誰かにやってもらっていると感謝の気持ちが持てず、逆に

文句を言うようになるんじゃないだろうか。という思いに至った。

 ある人は、大人になっても、やってもらって当たり前で人のやることに文句ばかり

付けている。

家族は自分の家来で、何様かのように文句を言っている。

ケネディの言葉じゃないが、

「あなたは、家族が何をしてくれるかでなくて、何をすることが出来る人ですか?」と

思う。

 

 もう、言いたい放題、言わせてもらえば。

家庭も学校も力を合わせて、返事をすることと、人のモノに手を出さない教育をすべき。

 何でも無闇矢鱈に触らないで、先ずはじっくりと観察するということを教えて欲しい。

「そんなこと言うのは、自分の店の物に触られて壊されたくないからでしょ」

「あー、そうだよ。

何処に、買う気もないのにガチャガチャいじっていいという人が居るんだ」

 アンケートの結果「付き合っている人の携帯電話を“無断で見る”」という人が、圧倒的

に多いのだという。

人の“モノ”とカタカナで書いたのは、モノは物品だけではないからだ。

手紙を見る、携帯を見る、人の家庭に立ち入った真似をする、弱いモノ(弱くなくても)

をイタブルような真似をする。

 そういう者を不埒者(ふらちもの)、外道という。

筋の通った生き方というのがどういうことだか、教えなくてはならない時がきたんじゃ

ないかとワシは思う。

 口癖のように毎回言うんだが、教えるとは恥をかかせることじゃない、やっけること

じゃない。怒らないで、教える。

 元来、分からなかったことを、知るというのは、嬉しいことだ。楽しいことだ。

ナーニをエラソウに語ってるんだ、と我ながら思いながら、でも、言いたいんだ。

人が、真直ぐになって、一人ひとりが自分の足で歩き出したら、なんて素晴らしいこと

だろう。

 

 返事をしなかった彼が、今日帰る時、初めて自分から「バイバイ」をした。

それを見た時、相手の目を、真直ぐ見て、返事をした時、挨拶した時、人の心は真直ぐ

になる。

そう確信したんだ。

 

 大きなお世話なんですけど、返事をしない、家族に対して失礼な人。

ちゃんと返事をすることから、自分の人生が始まるよ。

 そして、返事をしない家族、友人、同僚、知人を持つ人。

もう、その人の領域に入ることを止める。

 みんな、自分の人生は自分で歩く。それ意外に手は、道はない。(キッパリ)

 

 じゃ、酔っ払ってるワッシでーす。

 

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