ヒメコカミサマ

 蛇年生まれの紗智子が、小学校に入学した頃の話である。

今年の誕生がきて66歳になるのだから59年も前のことで記憶が定かでない部分も多い。

                        

 紗智子は7人兄弟の3番目に生まれたが、未熟児で生まれたこともあって虚弱体質の為、

身体の弱いさっちゃんとして、上の二人の姉には大事にされ可愛がられた。

 小学校に入学間近の頃だった。

二人の姉が、玄関を出た井戸の横の所に、花壇を作っていた。

チュウリップを植えるのだといって土を掘り起こし4本の杭を立て、そこに縄をまわした。

そのことが、そんなに重大なことだとは、その時誰も思いもしなかった。

 紗智子は、ただ二人の作業を見ていただけだった。

その一週間後だった。首の真後ろに針で刺した位の小さなオデキが出来た。

先がポチっと白く膿を持っていたが、1週間で消えた。

次に頭の右側にその地方ではネズミと呼ばれるブヨブヨになる腫れ物が出来た。

それも1週間で消えた。

 しかし、それが消えると同時に身体が動かなくなった。

と同時に全身に激痛が走り誰も触れることが出来ない状態になった。

当時、S病院にカノウ先生という有名な医師が来ていた。

その先生に診察してもらったが、原因は全く分からなかった。

何処を触っても悲鳴を挙げて痛がる紗智子だったが、傷は何処にも見当たらなかった。

しかし、とうとうカノウ先生が右肩の上に何かを見つけ、切開すると膿盆に3杯半の

膿が出た。

その後も、脇の下にそれが見つかりそこからも膿が多量に出た。

その総ては、1週間間隔で起きた。

そして、膿を出しきっても身体は動かず、学校に行くことは出来なかった。

当時の担任の先生が、紗智子の家へ通ってくれた。

半年位経ってからだと思うという。

どうしても原因が分からず、困り果てた家族は、浜に住んでいたワカサマと呼ばれる

ミエルという人にみてもらった。

 ワカサマは、盲目であったが、見たこともない紗智子の家の花壇を言い当てた。

そして、春にそこに杭を打ったことを言った。

「その時そこに、ヒメコガミサマが来ておられたんだ。

ヒメコガミサマは季節によって移動なさる。

丁度ヒメコガミサマが降りた所に杭を打ってしまって大変怒っていなさる。

その場を清めて謝らねばならない。

その為には、杭の中を30cm位掘って、誰も歩いていない砂を入れなさい。

砂は朝早くの海岸に行って、誰も歩かないような所のものを持ってきればよい。

そして、清めなさい」と言われたという。

紗智子は、まだ幼かった為それがどの様に行われたか定かでなく記憶にもない。

ただ、紗智子を可愛がってくれた年寄りたちが、熱心に何かをやったことは覚えている。

ワカサマは、「そうすれば、日めくりの紙が一枚一枚薄くなるように少しずつではあるが

良くなっていくだろう」と言ったという。

 その頃、身体が固まったようになっていて手が横に広げられず、着せ替え紙人形で遊ん

でいた記憶が沙智子にはある。

その年の秋、台風で大水が出た。

台風が去ってから父親にオンブされて、川が氾濫しているのを見に行った記憶があるから、

その頃には、手がオンブ出来るくらい動くようになっていたのだろう。

 小学校最初の1年は、殆ど登校しないで終わってしまったという。

「だから、あたしは頭が悪いんだ」と彼女は言うが、

元気で丈夫で頑張りやで、人の面倒見が良く、指導者として信頼されている人だ。

そして、傷は今も残っている。

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