久しぶり

 

 あっという間に3月になった。

何だか忙しい。

今日は、父を病院(精神科)に連れて行く筈だった。

父は昨年の夏からウツで苦しんできた。

しかし、先月私が風邪で5日父に会いに行かなかったことで、自分の心配でイッパイ

だった父が、私の事を心配をするといういわゆるショック療法でウソのように良くなった。

 そして、

「もうあそこの病院には行かない。キャンセルしてくれ」と、言い出した。

 普段はおとなしく見られる父だが、言い出したらきかない。

で、キャンセルして時間が出来た。

 こういう時、私は違う仕事を入れるか普段出来ないでいた用足しなどをするのが常

なのだが、この時間はなかったことにしてカキモノをしようと決めた。

2017年12月に母を見送ってから、めっきり病院に行く回数が減った。

 

母の通院は36年に及ぶ、それは最低月1回の定期検診プラス、週2回の注射以外に

緊急の入院や検査などで400回以上になるだろう。

 そう考えると随分行ったなぁ、とは思うが、そう人が言うほど大変ではなかった。

病院には本が読めるというメリットがある。

待ち時間が半日以上なのはザラなので、本の大半を病院で読んでしまい帰宅してからも

勢いに乗って読み終えることが多く何百冊読んだことか。

 普段立ちっぱなしで身体を休めることなどない私は、病院の待合でストレッチをしたり

うたた寝も出来て身体を休めることも出来た。

読書に加えて人間観察ウォッチングも興味深いものがあり、病院は父を含めて15を軽

く超えたが、皆その形態が違い、対応からやり方が異なることを知った。

東京の病院の時は電車で行くので一日がかりで、近くの病院の時は、移動中の車の中

で母の話しを聞いた。

母の話は留まる所を知らず、それは私の知らない家系から昔の暮らし方、母の生きて

来た想いが、彼女なりの価値観で語られた。

 ムカドンの話は、母の話から拾った物が多く、まだそのネタはある。

 

 母が居なくなった今、病院に連れて行くのは父だけになった。

しかし、父の病院は、待ち時間が2,3時間しかないので大して本が読めない。

 そこに老眼が足を引っ張って、最近の読書量が激減している。

 

 一番本を読める場所は、刑務所と病院だと聞いた覚えがあるが、納得だ。

縛り、不自由には、同時に自由が与えられている気がする。

自由である時、こんなに自由なんだから何かしなくては、と、自ら自分を縛り出して

不自由になっていくのを感じる時がある。

 

あ〜、久しぶりに山小屋に来た。

やらなくては、じゃなくて、これから暖かくなるし、カキモノしたいなぁ。

 

 

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