誉める

 

 立川さんが、手作りのお菓子を持ってきた。

彼女は料理が上手い。ピザなんぞはお店で買ったよりも美味しい。

「わぁー、このマドレーヌ美味しい!」

「あら、嬉しいわ。そんなに誉められると、また作ってこようって思っちゃう」

「だって、ホントに美味しいんだもの」

「そぉ、でも、この年になって分かったけど誉めるのって大事ですよね。

子供たちのこと、もっと誉めて育てればよかったと思います」

「そうかなぁ?」と私は言った。

 

私は誉めるということが、自分が誉められることが嫌いだ。

それは何故かと考えた。

一つには、誉める時の人っていうのは上からモノを言っている気がする。

それと誉めるのと本当に認めるのって、ちょっと違う気がする。

 そして、その人が本当に頑張ったことが認められるのであって、何でもかんでも認めて

誉めるというのはどうかと思う。

 

 最近、今度結婚するという人が店に来た。

一つの商品を選んで買うに当たって、結婚式をどうするか、引き出物を何にするか、

自分たちはどういうコンセプトと理想を持っているかを、その人は語った。

 結局、理想通りの物が見つからず、何時間も一緒に探したカタログを閉じた時、

彼女が言った。

「楽しんでいただけましたか?」

(はぁ?)と思った。何を言っているんだろうか。

 つまり、彼女は色々考えて自分の理想の物を探している時、自分が楽しかったことを

一緒に探していた人も楽しかったと思ったのだろう。

 

そして、彼女は「あなたの幸せが私の幸せなのよ」という親に育てられたのではない

かと思った。

 以前に書いたが、中学生になって兄弟のように親しくしている友人に家に泊まった子が、

夕食に出たおかずの一つを自分の前に抱え込み「僕これが大好物なの」と一人で食べて

しまったことがあった。

 彼は、一人っ子で、彼が喜ぶことが家族全員の祖父母両親の喜びだった。

特に彼が喜んでたくさん食べることは、家族全員が喜ぶことだった。

 その時、彼の友達の母親にあたる彼女は、その彼に何と言ったらいいか分からなかっ

たという。

「もう、そろそろ子供じゃない年頃だと思うけど、彼は何処かが幼いのよ。

周りのことを考えていないっていうか、疑っていないっていうか、可愛いんだけどこの

ままでは心配な気がする」と彼を幼い時から知っている彼女は言う。

自分が喜ぶことが、みんなも喜ぶと何の疑いもなく思っている笑顔が誰かに傷つけら

れる前に、世の中は自分だけが中心ではないと教えてやりたい。と彼女は言った。

 

 知人に、物腰が柔らかなんだが、「それでいいのよー」と何故か判断を下す人が居る。

その人がよく人を誉める。

「えらいわぁー。よく頑張ってるわね。これからも頑張るのよ」

 その人がある時言った。

「人は誉めておけばいいのよ。調子に乗ってなんでもやってくれるから」

 

 私は立川さんのお菓子を誉めたっていうより、素直に美味しいくて喜んで食べただけ。

誉めてまた作ってきてもらおうなんてサモシイ気持ちはない!(きっぱり)

 

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