風船

 香奈はデパートの洋服やに勤めている。

初夏のある日、近くの小学校から社会見学だという子供たちがやってきた。

先生から挨拶があり子供たちが4、5人ずつあちこちの店に入った。

社会の見学ということで、邪魔にならない程度にお手伝いをさせてやって欲しいという

ことだった。

 香奈の勤めるデパートにはケーキ屋、パン屋、化粧品や、子供服、紳士服、婦人服やが

ヤング衣料やブランド品などいろいろあり、靴屋、時計貴金属屋などが入っていた。

そこで受け入れることを承諾した店の中に子供たちが入っていった。

 

香奈の店にも5人の男女の子供が入った。

小学校3年になるその子たちは、おしゃべりをして邪魔をしてはいけないと学校で

指導を受けてきたらしく熱心に手伝いをした。

 しかし、男も子と女の子では発達の度合いが違うのか、女の子は自分のことだけでなく

周りの子にも注意を払い口を出す。

ある意味お節介でうるさいが、面倒見がよく女は小さいうちから女だなあと香奈は思った。

その日香奈の店では、イベントで風船を配っていた。

店と店の間を歩いている人に風船を渡す役目を子供たちに頼んだ。

子供たちは喜んで通る人に風船を配っていた。

「本当は、僕はケーキ屋さんかパン屋さんに行きたかったんだけどいっぱいでジャンケン

で負けてここになったんだけど、やっぱりここで良かった」と男の子が言って

「そんなこと言うんじゃないの」と女の子にたしなめられた。

ガラス拭きや衣料の畳み方も手伝った。

香奈はまだふくらましていない風船を二つずつ子供たちにあげた。

「ありがとう助かったわ」と言うと

「えー、そんないいですよ」などと女の子は言いながらも嬉しそうで

男の子は「やったー」と飛び上がり、しっかり者の女の子に目で威嚇されていた。

 面白いなあと香奈は思った。

 

昼食は隣の公園で食べるということで

「ありがとうございました」と元気に挨拶した子供たちは、先生に連れられてデパートを

出て行った。

 それから1時間程して先生が、紙袋を持って店に現れた。

「あのー、すみません、これ」と袋を開けるとそこに風船が入っていた。

「お昼を食べていて子供が風船をもらったということで他の子がズルイと言い出しまして、

こういうことで父兄から苦情がきたりするものですから。

申し訳ないんですが、お返しします」という男の先生は20代後半の香奈と同じくらいの

年に見えた。

「はあ」と言って香奈はそれを受け取った。

先生は公園に戻って行ったが、香奈は段々腹が立ってきた。

やりようがあるだろうと思った。

風船をあげるというのは自分も軽率だったのかもしれない。

しかし、風船をあげる時、自分がお手伝いをしてお駄賃をもらった時に嬉しかったことを

思い出していた。

それは、飴玉一つだったりしたが香奈にとってはとても嬉しいものであった。

もらう方も嬉しかったがあげる方も嬉しかったんだな。と風船をあげながら思った。

何?父兄から苦情がくる?父兄から苦情がこなければいいのか?

もっとしっかりしろよ。と香奈は思った。

風船をもらった子がいてズルイと子供が文句を言い出したら、それはいい機会じゃないか。

どうしてズルイのかについて話し合ったらいいと思った。

パン屋に行ってその話しをすると、「うちじゃ、焼きたてのパン食わせっちまったけど

後で文句がくるかなあ」と心配顔になった。

ケーキ屋もバームクーヘンの切り落としを食べさせたという。

何だか面倒くさい世の中だということで、今の学校教育についての話になった。

話しているうちに学校での平等についての教育が間違っているんじゃないかということに

なった。

先ず頑張った人も頑張らない人も同じに与えられるというのは、平等ではない。

みんなは同じではないということを基本に考えるべきだ。みんな同じということもある。

しかし、みんな同じだという観点が間違っているからズルイという言葉が横行するのだ。

パン屋の面白さ。靴屋の面白さ。洋服屋の面白さは違う。

でも面白さも大変さも一つしか味わえないのだ。

自分のモノをしっかり見ないで鵜の目鷹の目でキョロキョロしているからズルイなどと

言うことになる。

そして頑張ったからといって必ずしも認められないこともあるということを教えるべき

だ。

そこのところを飲み込んだうえでそれでも心を込めて頑張れる人間にならなければ駄目

なのだ。

頑張ればいい事があると思ってそのことにすがってしまうから、結果が得られなかった時

に愕然とする。生きる気力がなくなる。

結果がなければ頑張れない。認められなければやるきがしない。

無欲の奉仕という精神を持った人間が居なくなっているのは、

これをやっておけば損しないから、勉強しておけば幸せになれるから、

将来いい暮らしが出来るからなどと意地汚く何かで釣るような教育をしているから、

意地汚い人間が出来上がるのだ。

 今が大事なんだ。

今、楽しんだり、心を込めたり、頑張ったり、我慢したりすることが、後で役に立っても

立たなくても大事で必要だと思ったらやればいいんだ。

 何かをもらえるからということでそれをするような人間は、本当に何がしたいのかを

わからない人間だ。

 

「それにしても、すらっとしてハンサムな先生だったけど腑抜けだったんだなあ」と

パン屋が言った。

「香奈ちゃんにいいかと思ったけど駄目だな」と靴屋が言った。

「大体が、風船位わざわざ返しに来なくたって、これは学校でみんなで使おうねって

持っていったらいいんじゃないの」と婦人服やが言った。

「融通が利かないんだよ、今の若者は」

「いや、若者に限んないよ」

「兎に角、父兄にでも何でも人目を気にしてるヤツにロクなもんはいないよ」

                             という結論に達した。huusenn.htm へのリンク