妹誕生

 

 僕は幼い頃の記憶が結構ある。

皆、こんなものだろうと思っていたが、幼い頃の記憶について人と話していると、

僕は記憶されている事が多いという事が分かった。

その中でも4つ半違いの妹が生まれた時の事は鮮明に覚えている。

3月生まれの妹が生まれた日は寒かった。

その頃は、僕の家である文化住宅は建て増しされておらず、六畳と四畳半二間だけの家で

お母ちゃんが、おばあさん二人と産婆さんで妹をこの世に引っ張り出した。

 家に居場所がなくなった僕は、家のすぐ横にある草のまばらな土手の上に立っていた。

風が吹いていた、僕は、土手の上から自分の家を見ていた。

兄弟が出来るという事は、始めて自分の存在を脅かすライバルが出現するという事だと

僕は思う。

しかも、それは自分より小さく愛らしく、

今まで自分が一心に受けていた愛や注目を、一瞬にしてさらっていくのである。

なおかつ、犬や猫の様に自分の家来には決してならないものであるのだ。

小さくて手がかかるのに面倒を見てやっても感謝はなく、思い通りにならず、

それどころかスパイとなってお母ちゃんに僕の秘密や隠していた失敗をチクるのだ。

まあそうは言っても僕がお母ちゃんに告白したくても自分の口からは言えずにいた事を

妹が言うようにし向けた事も多々あるが…。

 以前に、妹に「お前が生まれた時、ゲッとなった。」と言って泣かれた事があるが、

その時はゲッと思ってしまったのだから仕方がないではないか。

しかし、だからといって妹が可愛くなかったのかといえばそうではないのだ。

 

お母ちゃんの腹に妹が入り、春日和におばあさんとお母ちゃんが、小さな布団を作って

いた。

「何、やってんの?」と僕が聞くと、

「もうすぐ勇蔵はお兄ちゃんになんだよ、そしたら、一人で寝んだよ。

その布団を作ってんだ」と言った。

僕は、その作りかけの布団の上に、乗ったり転がったりして邪魔をして困ったと

大きくなった僕にお母ちゃんが何度も聞かせた。

 兄弟の年の開きは、四つよくないとおばあさんのフクちゃんから聞いた。

フクちゃんは何かにつけ本当かどうか分からない諺を沢山教えてくれた人だ。

四つ年が離れていると丁度自分の意志が出来てきた頃で、

そのくせ親から離れられず、急に出てきた弟妹に自分の存在を脅かされると感じ、

拒否をするのだという。

それが三つ以内であると何の疑いもなく受け入れられるのだとふくちゃんは言った。

 そうか、それで僕は妹の誕生を嫌だと感じて、その時の事をこんなにはっきり覚えて

いるのか思った。

しかし、今になって考えてみると、それで良かったと思う。

なぜならこれといった障害や苦しい事が少なくて生きてきた僕は、当たり前に皆が味わう

事でも辛いと感じ七転八倒し、お母ちゃんにお前は大袈裟なやつだとか、

それくらいの事で弱音を吐いていたんでは大人になるまで生きていけないだろうとか

死ぬまで生きらんねぇなどと言われて続けてきたのだが、

僕にとっては、与えられた一つ一つの事を、苦しくてもなるべくきちんと味わって

乗り越える事が大切で必要なことだったのだと知ったのだ。

 大人はとかく事なかれ主義で、なるべく波風をたてない様にだましうちの様なやり方で

事をやり過ごそうとする傾向にある。

それは確かに時として必要である。

しかし、僕はどんな事でも事実をしっかりと見て味わって受け止め、

乗り越えたいと思っている。

 娘が保育園に入った時によく、その送迎を頼まれた。

迎えに行ったときは大喜びで走って来たり、少し大きくなると遊びに熱中していたりで

問題ないのだが、朝、保育園に置いてくる時、一緒に帰りたい、別れたくないと言って

泣いた。

その事を妻に言うと、

娘が、カバンや荷物を置きに行っているすきにさっと逃げてきたらいいだろうと言った。

でもその瞬時、娘は苦しいかもしれないが、僕に似た意気地なしで優柔不断の彼女が

登る事を与えられた、大事な大切な階段であると思った。

それを妻にも話すと、確かにそうだと納得した。

そして娘と別れる時、どんなに泣いていても別れを告げ、今日も頑張ろうと、握手をして

別れた。

 僕が神様から与えられた階段、妹の誕生は、うす寒い薄曇りの三月末だった。

土手の上に立った僕は肩を縮めて、セメント瓦の乗っている小さな僕の家を見ていた。

 妹は標準より大分小さく生まれた為、産婆さんがしばらく湯をつかわせに通った。

僕は、小さな生き物がタライの中で動くのを見るのが嫌で、

いつも家から出て裏の土手に上り、それが終わるのを待った。

産婆さんは妹を湯につかわせ終わって家から出て来ると、土手の上に立つ僕を見つけ、

「勇蔵ちゃん、赤ちゃんもらってっちゃうよー」と毎回言って、

自分の荷物である風呂敷包みを高く上げて見せた。

その中にははかりやら産婆さんの使う道具が入っていることを知っていながら、

僕は毎回「いやだー」と答えながら、

嘘をつけ、持っていけるもんなら持っていってくれ!と思っていた。

 その時、風がうそ寒く、僕は肩をすくめて鼻水を垂らしていた。

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