イナゴ

 

 テレビを観ていたら、バツゲームのようにしてイナゴを食べさせていた。

その人は食べないですむように何かと話を逸らし必死で逃げていた。

周りで見ているタレント達も「イヤー」だとか「キャー」と言って顔をしかめている。

 

 ふーん、そうかぁ。と思う。

何故そんなに大袈裟にイナゴを嫌がっているのか、或いは嫌がって見せているのか。

 色んな解釈が出来るが、一つには、本当にイナゴを食べた事がなく気味悪いものとして感じている。

一つは、それ程気味悪くもないがここの場合気味悪がって拒否したり騒いだ方が受けが

いい、オイシイという計算に基づく行動。

これは、太宰治の人間失格の中で鉄棒から落ちて見せて知恵遅れの子に「わざわざ」と

見抜かれて心底身ぶるいをするという場面を思い出した。

 海外ロケで食べたことのない物を食べるというシーンをよく見る。

テレビを見ている人だけを意識してリアクションし、隣に居る人を見ていない人が居る。

 「ギャー」だとか、「ムリー!」「オェー」などと騒ぎ、それを普通に或いは喜んで食べ

ている人がどんな思いでその姿を見ているかに気付かないでいるみたいだ。

 何かを嫌だ、嫌いだと言う時、何らかの優越感が見える。

自分の好き嫌いは何に由来するのかと考えると面白い。

 

 昭和29年1954年生まれの私は、幼い頃イナゴを食べた。

祖母や母親と刈田の済んだ田んぼのあぜ道を歩いてイナゴを採り、それから何日も掛けて

イナゴの佃煮が作られる。

 私はそれが好物で、歯がすり減ってしまうのではないかと思う位よく食べた。

その後大人になって子供をみる仕事に就いてからも散歩の時間に子供たちとイナゴ採りを

して、イナゴの佃煮を作り子供たちと一緒に食べた。

 イナゴを佃煮にするのは手間が掛かる。

先ずはイナゴを採るのだが、採ったイナゴ入れる袋を手ぬぐいで作る。

まぁビニール袋でもいいのだが、ビニールだとイナゴが中で糞をしたり口から茶色い

液体を出すのでイナゴの身体が汚れて湿ってしまうのだ、その点手ぬぐいはイナゴを弱ら

せずキレイなままでおくことが出来る。

 イナゴは洗ったりしたら弱ってしまうので、そのまま腹の中の糞を出してしまうまで

袋の中に置かれる。

 袋の口には、昔は竹筒が付けられた。

これは、採ったイナゴが足を引っ掛けずに袋に入るタメで、私が子供を見るようになった

昭和50年、袋の口はトイレットペーパーの芯が使われるようになっていた。

 イナゴの佃煮は、作り手によって大分違う。

私の母は貴賎病み(キセンヤミ)と言われる人で、異常な程清潔とちゃんと行うことに

拘(こだ)わる人だった。

 拘ったのは、糞をちゃんと出させる。しっかり茹でる。

天日に干すのだが、ハエなどに集(たか)らせない。足を取る(取らない人も居た)。

 佃煮にする時は、先ずは炒めるのだが、

「ここをちゃんとやらないとグヤグヤの気持ち悪いもんが出来んだぞ」とカリカリになる

まで炒めた。

 それから砂糖と醤油で味付けされる。香ばしい匂い。

 

 あー、これを書いていたらイナゴを採りに出かけた田んぼの風景や空、風、草やイナゴ

の匂いを思い出した。

 祖母や母の作った弁当を畔(あぜ)に座って食べたっけ。

 

 佃煮は出来たてだと飴のようになった砂糖醤油が柔らかくて歯に付くので冷めてからの

方が美味しい。

 

 あー、また思い出した。

母は自分の作ったイナゴを誉めて、人の作った物は食べようとしなかった。

 そして、私にも他の人が作ったイナゴの悪口を言って聞かせた。

それは、事実だから悪口じゃないかもしれないけれど、イナゴの糞が出ていないとか、

炒め方がアマイなどで、何時だかは誰かにイナゴを貰ったんだという。

 それを茹でたらイナゴの中にハエの卵が産みつけられていたらしくボツンボツンと

蛆(ウジ)が出てきたのだという。

 ギャー!である。

 

 そうだ!

あれから私はそれまで以上に母以外の人が作った物が食べられなくなったんだ。

 高校の時、よくお弁当交換とかしている人が居たが、私はそれがダメでそういう所には

近づかないようにした。

 私は本当に仲の良い友達は居なかったと思う。

でも、珍しく私に好意を持って寄って来た人が居た。

 疑いの少ない優しい人だった。

その人がおにぎりを呉れた。断れなかった。その人と芝生に座っておにぎりをかじった。

 歯に引っ掛かるものがあった。白髪だった。

彼女は祖父母に育てられた人だった。

 

 人と食事をすることの苦手な私が、弁当持ちよりで花見に行ったことがある。

初めて心を許すようになった仲間たちだった。

 その頃の私には悩みがあった。

悲しい晴れない気持ちで毎日を送っていた時だった。

 仲間たちは私の気持ちを知っていたと思う。

でも、誰も何を言う人は居なかった。

 朝からワイワイ騒いで、行った先には花が咲いていなかった。

どういう訳だかその年だけ咲かなかったらしい。

 何だか笑いが入ってしまった仲間と私は、花が咲いていないことさえおかしくて笑った。

昼食になって手作りの弁当が、若草の上に広げられた。

 よく晴れた日だった。

みんなで色んな物をほおばって、何だかシアワセだなぁー。と思った。

 久しぶりの引っ掛かりのない笑いだった。

そして、突然、吹いた。

 それは、くしゃみのように抑えようのないない笑いだった。

弁当が半分程食べられた頃だった。

 どうしようとあわてる私に、みんなは大丈夫だよと普通の顔して食べ続けた。

 

 最近、調子がわるくなって施設に入った伯母が居る。

母が何をやってもちゃんとしていないと文句を言ってきた人だ。

 ある時、父と母でその家に行った。

お膳の上には、その伯母の作った料理が並べられていた。

 母は、その伯母の作るものが気に入らず料理も気に入らない。

でも、出されているのに食べない訳にはいかない。

 仕方なく食べていたら、突然父がくしゃみをした。

お膳の上に父の口の中の物がばらまかれた。

母は青くなった。

でも、伯母は「大丈夫だよ」とお膳に散らばった物を布巾で拭くと、

何事もなかったように食べ続けたという。

 母からその話を何度聞いたことだろう。

「お母ちゃん、オエってなっちゃって、どうしたってあの真似だけは出来ねぇな。

タエさんはだらしなくてやることがゴジャッペだけど、オオモンなのかもしんねえ」

 

 オオモンになりたい。コモノの自分。

コモノだけど、自分の目の前に居る人の気持ちだけは、ちゃんと見える自分でいたい。

 

 

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