遺産相続

 

「相談に乗って欲しいことがあるんですけど、いいですか?」

深刻な顔をしてその人は言った。

「はぁ、何でしょうか?」

話を聞かないで断るのは、消化不良となる。

「私、兄が一人いるんですが、若くして亡くなったんですね」

「はぁ」

「兄が亡くなったのは6年前で、今年は7年忌にあたるんですが、ここ2年で親を立て

続けに亡くしまして最近残っていた母も亡くしたんです」

「それは御愁傷様でした」

「でも、最後まで親の面倒をみたのは私なんです」

「はぁ」

「それで、遺産相続をしなきゃならないんですが、義姉が出て行くって言ってるんです」

「はぁ、その方は一緒の家に暮らしてたんですか?」

「いえ、ちゃんとした家があるのにアパート借りて一人で暮らしてたんです」

「じゃあ、出て行くまでもないんじゃないですか?」

「いや、この家と縁を切りたいって言うんです」

「だったら、本人が法的に手続きをしたらいいんじゃないですか?」

「あの人は、一度も親の面倒らしいことをみたことがないんです」

「はぁ」

「病院の洗濯物だってしたことないし、結婚してからも兄が転勤族だったから自由気ま

まに暮らして来たんです」

「そうですか、でも、自由気ままかどうかは本人じゃなければ分からないんじゃないで

すか」

「いいえ、あの人は我儘な人なんです。

兄に働かせて自分は買いたい物を買って、子供も居なくて、家にも寄り付かないで

好き勝手に暮らしていたんです」

「(暮らし方が分かる程)そんなに親しかったんですか?」

「いいえ、殆ど会うこともなければ、話したこともありません」

「じゃぁ、どうしてそうだって言いきれるの。

仏の言葉に『無明とは、何も分からないことでなく、何でも分かったつもりの事をいう』

ってあるんだわ。

ソクラテス、って人は、『私は自分が知らないということを、知っている』って言ってる。

所で、大丈夫?

私に相談するってことは、こういうことだよ。

言いたいことや思ったは全部言うよ、いいの?まだ続けたい?」

「はい、お願いします。もう、どうしたらいいか分からないんです」

 

「彼女、あなたことが嫌いだったんだね」

「私だって大っ嫌いでした」

「どうして、そうなったのかな」

「大体が、結婚が決まった時、ウチの親が興信所で調べたんですけど近所の評判も悪か

った位ですから」

「うわー、サイテー、これから家族になる大事な人を調べるような家なんですか?」

「あの頃は、ちゃんとした家なら嫁になる家柄や近所の評判を調べたんですよ」

「へー、そうなの大したお家柄なのね」

「家は何十代も続いた家なので、家の顔に泥を塗るような真似は出来ないんです」

「人の詮索をすることこそが、恥ずべき行為だとは思わないんだね」

「あの頃は、私の嫁ぎ先だって調べに来ましたよ」

「あなたもゴリッパな家に嫁いだんですね。

でも、あなたの好きなお兄さんが選んだ人だったんでしょ」

「いいえ、一度兄があの人と別れたいって相談して“くれた”ことがあるんです。

だから、私、『絶対別れた方がいいから別れなさい』って、言って“あげた”んですけど、

別れなかったんです」

「嫌だったのは、お兄さんだけじゃなくて、彼女もだったんじゃないのかな」

「あの人は、大嫌いだったけど兄は大好きでした、兄は(一流高校と大学)を出て(一

流企業)に勤めて優しい人でした」

「でも、嫁の気持ちには寄り添えない、寄り添わなかった。本当に優しかったのかな?

でも、あなたの家って、イジメ体質の家系なんだね」

「いえ、父は何も言わない人でした」

「彼女が困っていても見て見ぬふりで何も言わない?お兄さんも同じタイプ?」

見て見ぬふりの無関心は、イジメの極致だって知ってる?」

「だって、あの人うつ病だったんですよ、兄に暴力を振るったこともあったって、いわ

ゆるDVですよ」

「そっかぁ、彼女には叩いても訴えたい、分かってもらいたいことがあったんだね。

若しかして、彼女がウツになった原因はお兄さんにあったりして、

夫婦の二人の間に何があったかは、例え兄妹であっても他人には分からないんじゃない

のかな」

「いえ、最初に家に来た時から、あの人は変だったんです。

挨拶もロクに出来ないし、話さないし」

「あなたは、したの?」

「だって、向こうがしないのに何故私の方からしなくちゃならないんですか?」

「でも、彼女が知ってたかどうか分からないけど興信所で調べるような家で、初めて来た

家だよ。そんな場面で緊張している人を思いやる気持ちは、あなたにはあった?」

「兎に角、おかしな人だったんです。

人寄せの時に、母が玄関の靴揃えてくるように言ったら『フン』って言ったんです。

みんなの居る前で、ですよ。

そうそう、あの人、よく『フン』って言ってました」

「お母さんって気が効かない人、っていうよりやっぱり思いやりがないんだね。

何故、人前で靴を揃えてこいって言うかな、頼みたいならこっそり『靴揃えてきてくれる』

って言えばいいのにね。人前で恥をかかせる人は、人前で恥をかかされることになるん

だね」

「でも、すごいんですよ、気が効かなくて」(気を効かせたくなかったんじゃないかな)

「あなたは、自分が気は効く人だと思ってる?

気が効くってのは、人に見せる為じゃなくて、思いやりから出る行動のような気がする

んだけど」

「でも、あの人は本当に頭おかしいんですよ、親戚が集まっている所で平手打ちをする

ような人なんです」

「え!お義母さんを?」

「いえ、私を、です」

「はぁ、よっぽど、だったんだねぇ」

 

「そっかぁ、あなたは、人生の勝利ってどういうことだと思う?」

「人生の勝利?」

赤くなった顔で、その人は一瞬考えようとしたが、

「兎に角、私悩んでいるんです、辛いんです!」と聞かれたことを考えることから自分の

話しに戻そうとする。

「本当に辛いかな?」

「辛いです、病気になりそうです」

「そう、あなたが話したいことがあるように、私にも話したいことがいっぱいあるの、

それを聞く気はある?」

「あります」

「もう一度聞きます。人生の勝利って、何だと思いますか?」

「何だろう?

考えられない、もう、頭がいっぱいで考えられない」

「そっかぁ」

 

「本当に辛い時、前に進めなくなる。何をどうしたらいいか分からなくなる」

「そうです、今がそういう状態です」

「本当に辛いかな?」

「本当に辛いんです。遺産の相続のこと考えるとホントに病気になりそうな位」

「そう、本当に辛いと損得は考えられなくなって止まる、フリーズしてしまう。

まだ、あなたは損得で悩んでいるんじゃないの?

遺産相続ってのは、法に任せればいいんじゃないの?」

「でも、あの女に遺産が渡ったら遺産処分して出て行くって言うんですよ、もう二度と

ここには来ないって」

「それは、その人の自由なんじゃないの?」

「そんなことされたら、この何十代も続いた家や土地が無くなってしまうんですよ。

そんなの御先祖様に申し訳が立たないです。

あんな人、家の為に何もしてこなかったのに、子供も出来なかったのに」

「でも、嫁いで家族になったんでしょ、お兄さんの妻となって一緒に人生歩んだんでしょ」

「でも、兄は別れたいって言ってたし、兄はあの人に殺されたようなもんです」

「そうかな、若しかしたらお兄さんは彼女の心を殺していたかもしれないよ」

「兄がハッキリしないから悪いんです」

「誰が悪いか分からないけど、それは二人の問題であって、あなたが口出すことじゃな

いと私は思うな。

人のことに口出ししてると、自分の足下が見えなくなっちゃうよ。

看却下(かんきゃっか)照顧却下(しょうこきゃっか)って、自分の足下を照らし看よ。

って、仏は言ってるらしいよ」

「私の代で家が無くなってもいいんですか?」

「仕方ないんじゃないの。原因があって結果が発生することを因果応報って言うけど、

先祖も含めてそこに居た全ての人の結果が、それなんだね。

で、私思うけど、そんな人を人と思わない家は無くなった方がいいような気がする。

『人間を人間として見なくなった時、その人は人間でなくなっている』っていうんだけど、

別名、『人でなし』って言うんだな。

あなたは、肩書や家柄を脱いでこれからどう生きるかが問われているんじゃないかな」

 

 その人は、まだ話したそうにしていたが、「ここで終わりにしよう」と、私は言った。

彼女は、自慢話しが多い、話を最後まで聞かない、話が飛んで着地しないで進む

決めつけと思いこみに支配され、不安と焦りに翻弄されている。ように見えた。

 人に聞いているようで、ちゃんと聞いていない感じがした。

でも、救いを求めている。気がした。

 

話したかったけど、アレ以上話すと彼女のコップから水があふれ出してしまいそうな

気がして、一人でじっくり考える時間が必要な気がして、あの時話さなかったことを

ここに付け加える。

 私が思う『人生の勝利者』とは、「あ〜、この人が居て良かった」と思う人に出逢い

自分がそうなろうとすること。

 

 あと、亡くなった人は安らかに眠ってなんぞいない。らしい。

生きることは修行だが、死んでからの修行があり、それを行っているというのだ。

 そして、道元の言葉に、修行の中にさとりはある。とある。

悟りと迷いは別の世界にあるのではなく、今、目の前に現れている存在すべてが悟りな

のだ。と。

 自分は自分になりきればよい。と。

 

 

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