椅子の交換
精神科医のイケメンの先生がテレビに出ていた。
経歴が高校から留学し研究所にも勤め、エリートを絵に書いたような人だと思った。
酒も呑まず、女性関係もクリーンと聞いて、最初そのルックスやたたずまいから相当
理想が高い人なんだろうなと思った。
しかし、彼の話を聞いて行くうちに、私が思ったイメージとは違ってきた。
幼い頃の両親の離婚、母親の自死、親戚に預けられ、また父と暮らすことになった父親
への怒り。言いたいことを言えぬ間に父が他界する。
父親への怒りが、彼を頑張らせる、彼を支える柱だったと彼は言う。
それは、二十歳を超えても彼の脳裏から離れることはなかった。
アメリカに住んで居た時、友人にパーティや飲みに誘われる度に
「父親が女性にだらしない人だったから、自分はそういう所には行かない」
「父親が酒に溺れる姿を見て来たから、自分は酒は飲まない」と断り続けてきた。
ある時、友人が言った。
「君は、お父さんが嫌いだと何時も言ってるけど、ホントは大好きなんだよ。
だって、何時だって死んだお父さんを引きつれて歩いてるよ。
お父さんはこうだった、お父さんはこうしていた。って、君の口からお父さんという言葉
が出ない日はないよ。
もう、お父さんを自由にしてあげたら?
お父さんを自由にするということは、君が自由になるということでもあると僕は思うよ」
『嫌い嫌いも好きのウチ』という言葉がある。
好きなモノは、頭にくっ付いて離れないが、嫌いなモノも頭にくっ付いて離れない。
楽しいことだけ考えて、嫌なことは考えなければいいのに、何だか嫌なこと、それも
考えてもしかたのない、考える必要もないことが頭から離れないことがある。
私はそういう時、立場や見る角度を変えて考えるということをする。
それには色んな方法があるのだが、自分がその嫌だと思うそのものになる。
彼が、行った方法というのが同じだった。
<椅子を取り替える>
これは、心理学療法の一つ。
椅子を二つ用意して、一つの椅子に座って、もう一つの椅子にその相手(父親)が座
っていると仮定して、思いの丈を話す。
次に、椅子を変えて父親に自分がなる。
相手になりきって話す。
対話だから何度でも椅子を変え、それぞれの立場、その時の状況に身を置き、父親の
気持ちになって話していく。
そうした時、彼が見ないように目をつぶって来た父親の悲しみ、淋しさ、後悔、彼への
愛情が見えてきて、それがあったことを思い出したという。
「今も、父は僕の側に居るんですよ。でも、僕がそれを拒否しなくなったことで、僕が
楽になったから、きっと父も楽になったと実感しているんです」と彼は言った。
次回は、私がやって来た、いや勝手にそうなって来たその人やモノになる。という
椅子に座る話を書くべ。