イタリアンカット

 

 最近、「前に買ったみたいなスリッパはありませんか?」と聞かれた。

(どういうヤツのことだろう?)と考えて、思い出した。

 

 もう、今から15年程前のことになる。

私が東京の問屋に行った時、スリッパ担当の営業マンが、その彼(山ちゃん)を連れ

てきて一緒にすし屋で食事をしたことがあった。

スリッパのデザインを担当しているという山ちゃんは、厳(いか)つい身体にきちんと

したスーツを着こなし、髪は短髪で無愛想な感じがした。

ヒゲの濃い人で、カウンターで私の隣に座って器用に箸を使う手の甲から指の方にも

黒い毛が見えた。

 東京下町、場末のすし屋は問屋の近くで、二人はそこの馴染み客のようだった。

10人でいっぱいになりそうなカウンターの後ろには、茶色に焼けた畳の座敷があった。

 昼下がりの客の居ないカウンターを3人で陣取って、営業マンに勧められて

私はビールを飲むことになった。

 営業マンは、私と一緒にビールのコップを持ったが、山ちゃんは見かけによらず

下戸だという。

熱心にビールを勧めた営業マンは、自分が飲みたかったらしく美味そうに喉を鳴らした。

 

最初私は、彼がゲイだとは気が付かなかったが、一緒に食事をしているうちに山ちゃん

の小指が立ってきた。

 営業マンとふざけて話している時に山ちゃんが不機嫌そうに見えたのはそのせいだっ

たのかと、私は一瞬思った。

 そこのスリッパのデザインは斬新で、柄も面白く、よく売れていた。

先ず、足が入る部分のカットが三角に切れていて履きやすく、屈んだときに足に当たら

ない。ここのカットを、“イタリアンカット”と、彼は呼んだ。

 先の部分が丸くなく細くなっているのだが、細すぎず足の納まりがいい。

スリッパに使われている生地が、スリッパっぽくない。

柄が変化に富んでいて斬新なモノが多くて楽しい。

 そのことを言うと、山ちゃんは濃い髭の頬に初めてエクボを作った。

彼はスリッパの生地を選ぶ時に、普通の生地屋には行かないのだという。

 自分だったらどういうモノが嬉しくて欲しいかを見つける為に、映画に行くのだという。

食器売り場に行く、美術館に絵を観に行く、花木センターや海や山に出かけるのだという。

 スリッパ用に用意された生地から選ぶことは、殆どなく、洋服やインテリヤ、バック用

の生地などから気に入ったものを見つけてくるのだと言い、オネエ言葉が出る頃には、

話が盛り上がっていた。

 スリッパが足を包むようにと、山ちゃんが手で作ったその形は優しかった。

でも、その何年か後にその問屋はつぶれ、山ちゃんも、今、何処に居るのか…。

 あーあ、ああいうスリッパって最近ないよなぁ。

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