金縛り 前編

 

 梅雨の季節になったら書こうと思っていたことがある。

最後の金縛りの話だ。

 私は子供の時から金縛りにあってきた。

それは、物心付いた時には普通にあったことなので、別に不思議だとか怖いとか思う

ことはなかった。

 その金縛りに「もうオワリだ。許さん」と思い最後になったのが、梅雨の時で、その

話は梅雨の時に書こうと思ってきた。

 

 子供の頃にあった金縛りは、金縛りという言葉さえ知らず、疲れて眠くなり身体が

動かなくなって、起きていながら動かなくなっているんだと思っていた。

 それは、家族が居ない時に限ってで、家の中で起きた。

私が小学5年の時、母がパートタイマーで働きに行くようになった。

 夏休みに薄暗い部屋で、身体が重くなって眠いみたいな状態になり横になる。

そうなると更にズッシリと身体が重たくなって、指一本動かせなくなる。

6畳と4畳半のふた間だけの家で、あの頃はカーテンのない家が普通で、濡れ縁の所に

日除けのスダレが下っていた。

 ミカワヤの御用聞きが来てその隙間から家の中を覗くのが嫌で、よく暑いのにガラス

戸を閉めていた。

 スダレは黒く焼けていて家の中を暗くしていたが、その隙間から何やら生き物ではない

何かの気配を感じた。それは、金縛りになる時に来た。

 

 高校に入学した頃から、母の希望であるお花“いけばな”に通い始めた。

子供の居ない教頭先生の奥さんが先生で、生徒は私一人、先生とお喋りしながらの

“いけばな”は楽しかった。

その日に生けて残った木の枝やお花を「これでも何か生けてごらんなさい」と新聞紙に

包んで持たせてくれ、それがちゃんとしたいけばなより自由に生けられるので楽しみ

だった。

 お花は楽しかったのだが、困ったことが二つあった。

その一つは、座敷にお座りをして花を生けるのだが、足が痺れることで、もう一つが

その頃の私は、箸が転んでもおかしい年頃で、何かにつけておかしくて、笑いが止まら

なくなることだった。

先生のお宅に着くと大きな屋敷の入り口に洗濯物が干してあるのだが、それを見ると

おかしくて笑いが込み上げてきた。

先生はキチンとした人なのに、干してある洗濯物がヤケにリラックスしている。

見ないようにするのだが、どうしても目に入ってしまう洗濯物の中に、先生の旦那さん

である教頭先生の股引があった。

それが、どういう訳かオシッコをする穴の所に棒が通して干してあった。

大きな門から屋敷に向かって入って行くと、正面にある玄関が見えてくる。

大木が木陰を作っている右側には、庭に物干しの棒が立てられ、棹(さお)が掛けら

れていて、そこには、ゆるやかに洗濯物が揺れていた。

 私は人の弁当箱の中や、家の中は見ないように心掛けている。

動植物の観察は大好きだが、人の容姿や服装、家庭、弁当をジロジロ見ることは失礼だと

思っている。

 そう思っているから、みんなが気が付いていることに気が付かないことが多く、そう

いう自分が好きなのだが、その洗濯物は、一度気が付いてしまってからは見まいとしても

いや、見まいとすればする程目に入ってしまうことになった。

 夏は白いステテコ、冬になると茶色い股引(ももひき)が、腹から股(また)の穴に

棹(さお)を通され、両足を左右にダラリと垂れて揺れていた。

 それを見た途端、笑いが腹から込み上げてくることになる。

おかしいのに笑えないということ程苦しいことはない。

ダメ押しは、先生のカツラだった。

お花に通ってしばらくの間、1年位は気が付かないでいたと思うが、ある日先生の頭が

ずれていた。

黒々と横わけにされている髪の毛が、後で考えると慌てて被ったのだろう、頭から

浮き上がり後ろにずれていたのだ。

 あの日のいけばなは苦行のようだった。

でも、先生には可愛がってもらったなぁ。

お花が終わるとお茶が用意されていて珍しいお菓子などを頂いて上品な気持ちになった。

 

私が短大に入った頃、教頭先生が、私の母校でもあるS小学校に赴任した。

そして、休日に小学校の日直のバイトをしないかと言ってきた。

 それは、日曜祭日に小学校に行き、午前と午後の2回見回りをするだけであとは

日直室でテレビでも見ていればいいというもので、

「楽なバイトなんだけど、職員室も見回ってもらわなければならないし、信用の出来る

人にお願いしたいんだよ」という教頭先生の言葉が嬉しかった。

 日直のバイトは2年間させてもらった。

朝、適当な時間に学校に行く。

鍵を開けて日直室に入り荷物を置いてから、学校中を見回る。

廊下の鍵が閉まっているか、各部屋の鍵が閉まっているか、中央の校舎から東校舎、

西校舎、西奥校舎、視聴覚室や理科室のある裏校舎。

 校舎と校舎を繋いでいる屋根のないコンクリートの渡り廊下を、何度も行ったり来たり

して、平屋でちょっと傾き、つっかい棒されている校舎中を見回る。

 辛いこともあったが、大好きだった小学校だった。毎回、愛でるように校舎中を巡った。

見回りが終わると、後は本を読んだりテレビを見たり、持ってきたラーメンなんぞを

作って昼食を済ませると、あの頃、日曜日の午後のテレビでスター誕生をやっていた。

 大体、その頃だった。

何かがやってくる。ズッシリと身体が重くなる。

 あーあ、またかよ。と思う。

テレビを消し、座布団を二つ折りにして枕にして仰向けになる。

 あれは何なんだろう。自分の身体が濡れた布団になったみたいで重くて動かない。

指一本動かせない。

 あーあ、今電話でも掛かってきたら居眠りでもしてると思われるよな。と思いながら

ただ横になっている。

 校庭に遊びに来ている子供の声が聞こえてくる。

裏山からは鳥の声が聞こえたり、木々が風にざわめいていたりした。

 雨が屋根から何かに落ちてトントンいっている時もあった。

何も考えないでいると、外の様子が見えるような気がした。

 眠ったような眠らないような、枕から頭が離れる頃は疲れたようなスッキリしたような。

小学校に行く度にそれはあり、睡眠時間が足りないのかとか、疲れているからかと色々

考えたが、疲れていない時も睡眠が足りている時も毎回なった。

 午後にもう一度見回りをする。

見回りしなくても問題ないと思うが、決まりは決まり、私はズルが嫌いだ。

 ある時、嬉しいことがあった。

職員室の横に校長室兼、応接室があった。

 その2箇所では、指紋さえ付けないみたいに一切、手を触れないようにして窓を見て

回り、先生の机の上さえ見なかった。

 隣の応接室に入った時だった。

壁に掛けられた額に入った絵に見覚えがあった。

 小さな絵だった。デザイン画のようなそれはクレヨンで描かれていた。

私を信用して日直のバイトを頼んでくれた教頭先生に、見えない所で恩義を返したいと

絶対に何も覗き見するようなことをしないできた私だったが、壁に掛かった額を外した。

 留め金を外して、裏板を外した。

そこには、汚い字で私の名前があった。

 

 そこの小学校は古戦場跡だと聞いた。

今は、すぐ近くの場所に移築され、キレイな3階建てになっている。

 お花の先生は、3年前に亡くなったと聞いた。

 

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