金魚

 

 山小屋の急な階段、本が積まれた細い階段を上がっていくと、そこは4千冊の愛読書が

手作りの棚に並ぶ僕の書斎だ。

地形に合わせて創ったので北側に向かって尖がる台形の建物の、北側半分を二階にした

そこが書斎になっている。

書斎から出るとそこはサンデッキで、メダカ広場となっている。

電車が置かれた上に作られたメダカ広場は、そいうわけで丁度電車一両分の広さだが、

枠のない状態で見る電車の面積は、思ったより広く感じる。

山小屋の東側に位置するメダカ広場は、日の出と共に朝日が降り注ぐ、冬場は良いが

夏はすぐに水温が上がり始める。

今時期、夏場は朝日だけでも遮るようにと一番東側の生成りのジョリパッドの塀に

くっけるようにしてメダカの入った水槽を並べている。

 水槽は四角いガラスが12個でその他に衣装ケース、火鉢、バケツ、水練鉢、小鉢

などが合わせて24個ある。

 その中にある水は出来上がった透明なものから、緑色になって中がよく見えないもの

毎日採っている卵が入っている容器や、産まれたてのメダカが入っているものと様々。

毎日餌をやり、卵を水草からはずして別容器に移し、産まれた稚魚や親メダカを観察

する。ここに居ると現実の疲れを忘れる。

 

 その中央に一つだけ金魚のキンチャンとドジョウのドンチャンが入っている水槽がある。

その水槽にはメダカも一緒に入っているが、キンチャンとドンチャンが食べてしまうのか

メダカの卵が水草に付いていたことがない。

 大体がメダカは金魚の餌なのだそうで、一緒に飼ってはいけないらしい。

僕は金魚が好きでないので飼う気はなかったのだが、卵の孵化には興味があって

このキンチャンは一昨年に知人に貰った卵から孵ったやつで、産まれた時からメダカと

同じ水槽で暮らしてきたのでメダカが餌だという認識がないんじゃないかと思う。

 メダカ広場に来た人は、メダカの種類に気が付く前にそこに金魚が居ることに驚く。

キンチャンとドンチャンが居る水槽はその二匹のせいで汚れて中々水が出来ないが、

お客さんが来ると餌が貰えるのを覚えていて、すぐに姿を見せるので人気者だ。

 

 金魚を見ると思い出すことがある。

僕が小学校の頃の話だ。

4年生で骨折し、学校にプールが出来たその前なので、小学2、3年の夏だったと思う。

小さな庭に母親が池を作ってくれた。

 その頃の僕が横になれる位の穴を掘って、そこをセメントで固めた池は、毒素を抜く

タメだということで暫く水が入れたままになっていた。

 夏休みに入って、そこで遊んでいいというお許しが出た。

僕は、嬉しくて嬉しくて、そこに入ってバッチャン、バッチャン暴れて遊んだ。

 学校のプールが出来たのはその後で、高学年にならないと川で泳ぐことも禁止されて

いたので友達も誘ったりして池プールは楽しかった。

夏休みの半ばになってからだと思う。

母親が同級生のタカイチ君の家から金魚を貰ってきた。

それは、以前から貰う約束をしていたことらしかった。

これも僕にとっては、最高に嬉しいことだった。

僕が大暴れをして遊んだ池は何度も水が換えられて、十分に毒素が抜けていた。

池に新しい水が入れられ、それから何日かして金魚が届けられ、池に金魚が放たれた。

赤と白、黒が模様になっているもの、赤だけのもの、白といっても微妙に黄色がかって

いるやつなんかが、泳ぎ出した。

 ゆらゆらと泳ぐ金魚は、幾ら見ていても飽きることがなかった。

 

 ところが、それから何日もしないで池の水は濁(にご)り出した。

毎日、ドンドン緑になり金魚が見えなくなっていく。

 僕は母親に池の水を換えたいと言った。

母親は、換えなくていいと言ったが僕は言い出したらいうことをきかない性格で、その上

しつこい。

 母親の顔を見るたびに「水、取り替えたい」を繰り返し、間もなく母親は根負けした。

 

 僕は母親の過干渉や支配の被害者のようなことを言っているが、本当はどっちが被害者

か分からない。

 普段の僕は、どうでもいい性格で考えるのも面倒で「何でもいいよ」「いらない」が口癖

なのだが、一度何かに閃(ひらめ)いたり、欲しいモノが現れると自分の手に入れるまで

諦めない。

 何かを「したいなぁ」とか「欲しい」と言って行動しないということがない。

(やりたい)と思ったらそれに向かって動き出している。

本当に欲しいと思ったら、それが手に入る行動と努力を始めている。

 母親は、僕が諦めない性格だと分かっていた。

 

 そして、池の水を取り替えてもいいというお許しが出た。

どうやって水を替えるか、金魚を捕まえてバケツに移してから水を出すか、それとも

水を少なくしてから金魚をすくうかと考えて、先ず水を減らすことにした。

 バケツでくみ出す池の水は、それ程汚れていない気がしたが、透明な水になった所に

泳ぐ金魚をイメージして水を捨て続けた。

 水が踝(くるぶし)程になると金魚は簡単に捕まえられた。

何かを手篭(てご)めにする快感というのは、ああいう感じなのだろう。

 もう逃げることの出来ない金魚は、僕の両手に水と一緒にすくいあげられブルンブルン

と暴れた。

 その力は感動だった。

バケツに金魚が全部入って、池の最後の水が掻(か)き出した。

下に沈んだ緑の藻は濁り、底をヌルヌルさせていた。それをタワシでこすり、新しい

水を入れては捨てた。

 すっかりキレイになった所に新しい水を入れる。

透明な水が水面を揺らしながらドンドン溜まっていく。

 僕は自分の仕事に満足していた。

半日程おいてから金魚を池に入れる。

 金魚が入っていた水さえ入れないように気を付けながら、金魚たちを池に放した。

キレイになった池を気持ちよさそうに泳ぐ金魚たち。

 その時、僕は、自分のやった仕事に満足していたんだ。

 

 あー、それからどの位経った頃だろう。

プカリと金魚が浮いて死んだ。

 プカリ、また、プカリ。

その日のうちだったか、翌日だったか、金魚は全部死んだ。

 僕の手の中でビンビン暴れた、水の中でヒラヒラ動く金魚が、グシャリ、ベタリとした

動かない物体に変わった。

 母親に思い切り怒られたのは、寧(むし)ろ救いだった気がする。

どーぞ、怒って下さい。思い切り殴ってください。あの可愛い金魚を殺したのは僕です。

 

「勇蔵、オメエの責任でタカイチ君ちに行って、もう一回金魚貰ってこい」

泣いて力をなくした僕に、母親が言った。

「どうやって?」

「どうやってって、オメエがやったことを話して『もう一度金魚貰えますか?』って聞け」

 

 僕とタカイチ君は仲よくなかった。

タカイチ君の家は金持ちで、タカイチ君は勉強が出来た。

家の門が幾つかあるということで、それは彼の家庭が複雑だということらしかった。

 タカイチ君は、僕が先生に怒られたりヘマを仕出かすと、何も言わず静かな目で見た。

失敗はやじったり笑ったりすることで気分転換が出来る。

何の反応もないというのは、辛いもんがある。

 タカイチ君は、何があっても反応が薄く笑ったり怒ったりしなかった。僕のことも

馬鹿にしていた訳ではないかもしれないが、喜んだり泣いたりと騒ぎが大きい僕との

違いにお互いに敬遠していたのかもしれない。

 

 金魚を死なせた後悔、これからタカイチ君の家に行かなければならないという面倒臭さ、

辛かった。

ブリキのバケツをぶら提げて、白いホコリの舞い上がる夏道を僕は歩いた。

砂利がゴム草履の下でゴロゴロしてた。

大通りの方から行くと家に入る前に貯水地がある。

そこにタカイチ君のオジイサンが金魚を飼っていた。

塀と生垣の間に門が見えた。

バケツをぶら提げた僕は、その門の前を、何度行ったり来たりしただろう。

夕日が赤く、林が黒くなってきた頃、門からタカイチ君のオバアサンが出てきた。

「アレ?あんた、何処の子だい?」

「文句」(僕の名前は文句勇蔵です)

「あー、文句さんちの」

母親は、このオバアサンと仲良くなって金魚を貰った。

僕は運よくそのオバアサンに声を掛けられたのだ。

 ホッとした僕は泣きそうになるのを堪えて、訳を話した。

オバアサンは、よーく話を聞いてくれた。

 ありがたかった。

オバアサンは「大変だったな、今日は特別にいいヤツやっからな」と言って、出目金や

模様の変わったのも網で掬(すく)ってくれた。

 金魚はオジイサンが飼っていると聞いていたのでちょっと心配だったが、オバアサンは

「大丈夫だから心配すんな、オメエはいい子だな」と言った。

 暗くなった家路に付くと、カナカナが鳴いていた。

 

 これを書いていて思い出した。

僕は金魚が嫌いだと思って、そう言い続けてきた。

 金魚が病気になるとわき腹に傷が出来て白くなったりして、それでもユラユラお化け

みたいに泳いでいる様子が気持ち悪いからだと思っていたが、あー、あの時の辛い気持ち

がその根底にあったのかもしれない。と気が付いた。

 最近、メダカが欲しいという人がいて例によってメダカをあげたら、リュウキンという

高級な金魚を呉れると言い出した。

「いやいや、高級な金魚は嫌いだからいらない」と堅くお断りした。

その時、金魚を死なせたことは全く忘れていたと思ったが、心の何処かにずっとあった

のかもしれない。

 

 僕はメダカを飼う時の水について毎回熱く語ってきているが、あー、そういうことね。

と、今、思った。

 水は、それ自身の力で出来ていく、条件を整えて手を出さずに待つ。

水がキレイかどうかは、人間の都合判断で考えるキレイと、魚のキレイは全く違うもの。

と言ってきたが、あー、それも失敗から学んだことだったんだねぇ。

 

 に、しても、昭和30年代、ホコリだらけの顔に涙のあとを付けてバケツをぶら提げた

少年が居たんだねぇ。

 

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