キンモクセイの香り

 

私は仕事から退くべきだと感じるようになった。

自分が居ることで誰かの自立の障害になるならそこから去るべきだと思った。

 ここ一カ月、仕事の身辺整理をした。

本当の親(深)切は、助けることでなく手を出さないこと。

 

 私は、「何かをやりたい」と言うことが少ない。

それは、「〜をやる」という宣言から始まる。

 結婚、前の仕事を辞めた時、事業を拡張した時、家を買ったのも売ったのも、本を出し

たのも、家人に相談はするが、それを言う時には既に私の腹は決まっている。

何かをやりたいと思った時、どうしたらそれが出来るかに全身全霊が向かう。

そして、それに向けての行動が始まる。(カッチョエエねぇー)

 

 今朝一番に夫がお助けマンと呼んでいる彼女から電話が入った。

彼女の話を聞くようになって15年になる。

 何故夫がその人をお助けマンと呼んでいるかというと、彼女は色々と不思議なことが

あって最初はそれを聞いていたが、何時からか彼女の悩みを聞くようになったからだ。

 彼女の話しを私が聞くだけで、少しは楽になるんじゃないかと思って黙って聞くように

してきた。

でも、どうしようもない負のスパイラルに巻き込まれていく感じからどうしても私の

意見を言うことが多くなる。

 それを横で漏れ聞くことになった夫が、30分以上の長電話の受話器を置くと

「カウンセリング御苦労さまです」とからかうように言う。

そして、何時からか彼女からの電話を受けると「お助けマンだよ」と言うようになった。

 

 今朝、私は彼女の話を聞くことを止めると宣言した。

私は誰も自分の頭で考えて、自分で決断し、自力で行動に移すべきだと思う。

 誰かを自立させたかったら、自分が手を引くことだ。

 「老兵は死なず、ただ去りゆくのみ」だっけか、意味が当たっているかどうか分から

ないが、座を明け渡すことで人が育つんじゃないだろうか。

 人は孤独と葛藤の中で成長する。

自分と真剣に向き合い、目を逸らさずに物事を見据えていく。

 人はどうでも自分はそう生きていきたい。ちゅうか、そうする。

 

庭のキンモクセイが満開で、夕日の中、甘い香りを漂わせている。

 

 

 

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