酵素浴5

 

 先生の酵素浴に初めて行ったのが2004年、そして間もなく移転し新しく店が

オープンした。

 2005年の早春、先生に病気を見つけられた美樹は、雪の降った日、手術をした。

早期発見で、どうしてこんなに早期で見つけられたのかとそこの医師に聞かれた。

 にしても、感謝と同時にどうして分かるのか。とどうしても思ってしまう。

 

 知人の娘が子宮の病気を先生に指摘された。

ある人は喘息を、腰痛を見つけられた。

 そういった話は毎日のように耳に入ってきた。

先生は、孫が一人居た。

月並みな言い方だが、その孫を目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた。

私、思うんだが世の中の真実って月並みな言い方でしか言い表せないんじゃなかろうか。

でも、先生の所でもウチと同じダックスフンドを飼っていたが、特訓だとか言って毎日

階段の上り下りをさせていたらヘルニアになってしまったという。

 ダックスは胴が長い分だけ腰が悪くなることが多い、私が以前飼っていたダックスも

腰が悪くなって病院にかけた話をすると、先生は可哀想なことをしたと言った。

私がメダカの話をして、「欲しかったら先生にも差し上げます」と言ったのだが、遠慮

したのか先生は、近くのホームセンターでメダカを買ってきた。

 しかし、メダカも犬同様飼い方が下手で水を替えすぎて全部死なせてしまった。

人間相手だと病気を言い当て、健康になるコツからその生き方まで語る先生が、動物の

ことになると分からないことが私はおかしかった。

 

 2006年になって私と美樹の元気が大分戻ってきた頃、“誕生日大全”という本を

見つけた。

 生まれた日で性格や運命が書かれているが、これが不思議な程当たっていた。

先生にその話をして、先生や奥さん、スタッフの誕生日の所をコピーしてあげるからと

みんなの誕生日を聞くと、先生と奥さんの誕生日は同じで、9月6日だった。

 

 その頃、夏子のダンスのユキ先生が脳血栓で倒れ救急車で運ばれた。

ユキ先生は、退院してすぐに酵素浴の先生の所へ行った。

 先生は、脳の中に走る血管の絵を書いて言った。

「ここにあった静脈瘤が切れたんだな。

あと、こことここにもあるが、こっちは大丈夫だろう。

でも、ここが切れて半身麻痺が出ないのは不思議だって医者は言っただろう。

大事な場所を僅かにそれてるんだ。きっとCТでも分からないだろうな」

 先生の書いた図と瘤の場所は、ユキ先生の見たCТスキャンの写真そっくりだったと

いう。

そして、最高の時で200以上もあった血圧の推移を、1週間分1の位まで言い当てた。

予告したその日の晩と翌日の血圧の数値もピタリ当たっていた。

 

 その頃だったと思う。

ロシアから来た“レントゲン少女”という写真を見ただけで身体にある病気が分かると

いう少女がテレビに出た。

その後、少女は人の役に立ちたい、自分の力で一人でも病気を発見したり楽になる

手伝いが出来るならと、学校に入って医者になる勉強を始めた。

 私は、その少女は先生と同じだと思った。

 

 先生は、ゴルフが好きだった。

ユーモアがあって、優しかった。

困っている人が居ると助けようと一所懸命になった。

「でも、頑張るのは自分自身しかいないんだ」と言い、

「困るのも辛いのも自分に返ってくる、そして、それを背負うのは自分なんだ。

ボクは、本当はとっくに死んでいる筈なんだよ。でも、こうして生きている。

 運命でココまでって決められていても、自分の力で一分一秒でも生きる。

その時、初めて自分の力で生きたっていうんだ。

医者があと3ヶ月って言ったら、3ヶ月と1日生きてみろ!

いや、半日でもいい。1時間でもいい。

自分の力で生きる努力をするんだ」と、何回聞いただろう。

 

 2006年10月1日(日)

孫の運動会に行った先生は、家に戻って風呂に入った後、頭が痛いと言って倒れた。

 そのまま帰らぬ人となった。

 

 10月3日、夏子と婿と美樹が、告別式に行った。

私は行かなかった。

 場所が見つからず近くをグルグルして遅れて会場に着いた時、もう殆ど人は居なかっ

たという。

そこでご焼香して帰途に着くと、夕闇迫る中渋滞していた。

ふと前を見ると、前の車の番号が、9−6だったという。

「あれっ?」と美樹が言って、先生の誕生日だと思い出した。

「先生、待っていてくれたんだね」

「お別れなんだね」と言ったら涙が出た。と二人は言った。

 

   先生、お世話になりました。

 

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