高所恐怖症

 

 アメリカの番組で、高所恐怖症の治し方をやっていた。

そこには10人ほどの選りすぐりの高所恐怖症の男女(19歳から54歳)が、集まって

居た。

家の階段も上れない、降りられない、地下鉄の隙間も恐い、バスの乗り降りもままな

らない。踏み台にも乗れないので電気の交換も出来ない。仕事も家事もままならない人達。

 そこで最初に行われたのは、梯子を掛けて家の窓を拭くこと。

梯子に上るとなって膝がガタついて立っていることも出来ない人や、泣きだす人、怒り

出す人が居た。

その人たちが、クレーン車に乗ったり、もっと高いビルの窓ふきに挑戦したりしていく

のだ。

人は、あまりの恐怖の時、顔が引きつって笑い顔のような表情になる。

そして、恐怖は怒りとなる。

以前、同列の番組で恐怖や悲しみを克服するチャレンジをやっていたが、そこには一

つの同じ道があった。

 それは何かというと、同じ心の傷を持つ人達が、同じ仲間を助けようと励ますことで

自分を立ち上がらせ成長、克服していく。ということであった。

自分の恐怖と闘いながら、仲間を思いやり励ましあって進んで行く人達に一人の脱落者

も出なかった。仲間に対する気持ちには男も女も年齢も関係ないと思えた。

 最後には、高層ビルの狭い屋上にみんなで力を合わせて旗を飾る。

それは何の為かというと、ヘリコプターで結婚を申し込む仲間を応援する為だった。

 プロポーズは成功し、手を取り合って喜ぶ人達の姿で番組は終わる。

 

 それを見て“モチモチの木”という絵本を思い出した。

山奥でジサマと暮らすマメタは臆病で、5歳にもなって夜一人で便所に行けない。

今日はモチモチの木に火が灯るという日だった。

それは勇気のある子供だけが見ることが出来るという。

クマと戦って死んだオトウもジサマも見たらしいが、オレはダメだぁ。とマメタは言う。

しかし、夜中にクマの唸り声だと思ったマメタが飛び起きるとそれはジサマの苦しむ声

だった。

 真っ暗な山道を、マメタは足から血を流してふもとの医者さまを呼びに走った。

医者さまに負ぶわれて家に戻ったマメタは、モチモチの木に火が灯っているのを見る。

 医者さまは、月と星とモチモチ実が降り始めた今年初めての雪に光っているだけだ。と

言った。

ジサマは、次の日すっかり良くなって「それはモチモチの木に火が灯ったんだ」と言った。

そして、「マメタ、大丈夫だ、やさしささえあれば、やらなきゃならない時には思いも

掛けない力が出るもんさ。

それを見た人が、びっくりしたりするのさ、ははは」と笑った。

だけど、ジサマが元気になるとマメタは夜中の便所に「ジサマァ」と起こしたんだとさ。

 

 難病で生まれた子が居た。

何度も危篤状態になり、母はその度に死ぬ思いで乗り越えて来た。

 5歳のある日、ついにその日が来た。

母は、半狂乱になった。

その時、子が息を吹き返し言った。

「お母さん、帰って来たよ。このまま行っちゃうとお母さんがおかしくなっちゃうから」

 そして、静かに息を引き取ったという。

 

 人は、心底人を想うことが、シアワセ。

人は、人を想いたくて、生きているんじゃないだろうか。

 

 

 

90歳の父が、去年の夏に鬱になった。

「早く死にたい」「どうやったら死ねるだろう」「生きているのが辛い」を繰り返す父に

励ましてみたり、叱咤激励してみたり、ただウンウンと話しを聞いてみたり。

 病院に連れて行き、望めば入院させ、その翌日には退院させ、欲しいという物を

届け、やりたいということを手助けしてきた。

 でも、誰も、自分で自分を生きるしかない。

父は、思うようにならない自分自身に憤っているようだった。

 それが最近、私が風邪をひいて5日程寝込んだ。

毎日、父の入居しているサコウジュ(サービス付き高齢者住宅)に、欠かさず通っていた

のが、初めて5日間行かなかった(行けなかった)

 久しぶりに訪ねると、最近にない笑顔で父が出迎えた。

「良かった〜。心配したんだよ。もう大丈夫か?」

「うん、心配掛けてごめんね。もう大丈夫だよ」

「良かった〜」を繰り返す父は、以前の父の顔になっていた。

親に心配をさせる子供は親孝行だ。と聞いた覚えがあるが、一里あると思った。

 

 母が死んで、私の中に父への同情があったのかもしれない。

人を可愛そうと思うと、可哀想な人を作る。と聞いたことがある。

 

 人間って面白いね。

 

 

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