クマ

 

 人の好みというのは、一人ひとり違う。

そういうことは、頭では分かっているハズなのに、それを忘れているということすら

忘れて生きているのが現状。

 

 35歳になるヒトミは、怖いものが好きだ。

彼女の家は、玄関から始まって居間、トイレや奥座敷まで、何やら毛の固まった物や

首の曲がった人形などが飾られている。

 

 結婚して7年、子供なしのヒトミが、言った。

「それがさ、北海道からクマが送られてくるの」

「く、くーまぁ」と、私。

「そうクマ」

彼女の旦那の実家は北海道で、姑が送ってくるのだというのを聞いた瞬間

とっさにクマの肉かなんかが送られてくるのだと私は思った。

「違うわよ。何か『カァーワァーイィー』っていうアレよ」

ヒトミは、普段は絶対出さない声でカワイイを言ってみせた。

 よく聞いてみるとテディベアのヌイグルミのことだった。

私は、ヌイグルミが好きだが、彼女は全く関心がない。

 でも、姑にそれを伝えてない。というか、隠しているのだという。

 

姑は彼女とは全く違う好みを持つ人で、カワイイ物が大好き、で更にその好みを誰かと

共有したいタイプの人らしい。

 息子が彼女との結婚が決まった時、

「アタシ、娘が出来ることが念願だったの、男には女の気持が分からないもの。

これから仲良くして頂戴ね」と、姑は狂喜乱舞だったという。

 そして、それから姑は大好きなカワイイ物を見つけると必ず二つ買い、一つを彼女の

所へ送ってくるようになった。

 

まあ、お蔭さんでというか幸いなことにというか、彼女たちの住まいは北海道から

大変に離れている。

 行くにも来るにも一大決心で、会うのは年に一度か二度が限度。

来たら泊まることになるので必ず連絡が入ってから来る。

 連絡が入ると、彼女の家は一変する。

モノノケが棲みそうなオドロオドロした薄暗い覆いは取り外され、そこに飾られると

いうよりは、やはり棲みついているかのようなコワイモノタチは

「選手交代!」と押入れに退場。

変わりに、それまで押入れで休んでいた姑から送られてきたカワイイモノタチが、登場。

 そして、まるで別の家になったかのような明るいカワイイ家に、舅姑はやって来る。

 

「ターイヘンだねぇ」と私が言うと、

ボソボソ喋るヒトミが、

「それ程でもないよ」と言った。

「だって、年に一回でも家じゅうの模様替えするのは大変じゃないの?

ヒトミの本性をばらしてありのままで付き合うって気はないの」

「うん、最後までこの仮面を被り続けようと思ってる。

だって、オカアサンってカワイイ人なんだよ。

自分の思ったことがスベテってトコはあるけど、人が喜ぶことが好きで、自分を疑わない

から人も疑わないんだね。

何をするにも、最善を尽くしてくるって感じなんだ」

「ふーん、そうかぁ」

「だよ、『これ、カワイイでしょ!』って嬉しそうな顔見たら、麻子さんだって何も言え

なくなっちゃうと思うよ」

「んー、だね」

「でしょ」

 

オカアサンの姑って人もカワイイ物を嫌いはしないが、関心のない人だったらしい。

旦那はヒトミ寄り、というか、何でもいい人。

 

 私が、人に違いを感じるのは、好みが違う時ではない。

好みが違うことを理解しない拒否する人に違和感を感じる。

 誰かが蛇を好きだと言うと「シンジランナーイ、蛇が好きな人なんて居るワケない。

嘘でしょ」と断定する。

カワイイ(そう思う物は人によって千差万別だが)と言っている物を、

「バッカみたい、そんなのモンの何処がカワイイのよ」とノタマウ。

 

 ゲーテだったけかなぁ、人は同性愛者と異性愛者が居るが、どちらも不思議だ。

みたいなことを言っていて、私は、その他にも自己愛者、性的関係を持たなくても

動物愛者、自然愛者、仕事、芸術愛者なんかも居ると思う。

 自分がそうでないからといって、そうでない者を否定しようとすることは、未熟

なんじゃないかと、私は思っている。

自分が正常だと思うのは、自由。だが、だからといって自分以外の好みを持つ人の

否定に走るのは筋違いじゃないだろうか。

自分がセックスが嫌いだからといって、或いは恥ずかしいからと、セックスが好きだと

いう人を毛嫌いし否定する人がいる。

 自分が好きであるから、みんなもそうだと言いきり、好きなクセに隠してるんだ。と

人の領域に立ち入る人がいる。

「否定されるのが嫌だったら、喋るな!」という人が居るが、話さないのが自由なら、

話すのも自由。

 ただ、最近強く思うのが、自分の思った通りの答えが返ってくることを望むのは、

私が一番気にしている人の領域に立ち入るということじゃないか、ということ。

 こうやって、結局不平不満の話になっているが、人に求めることは自分がすればいい。

否定する人も否定しないってことが、否定の連鎖から抜け出る道なのかもしれない。

 

 好みと言えば、以前に書いた“たっちゃんと大祭礼”のたっちゃんの奥さんって人

が、大名行列の長持ちの中に入っている持ち物調べが三度の飯より好きなんだって。

 いいねぇ、三度の飯より好き。って、

 

ワシが好きなのは、なんてったって書き物だな。

 

 

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