メイド2

 (ここのメイドの仕事、辞めようかなぁ)と沙織は思ったが、生活費に余裕がない。

ここを辞めてもすぐに次の仕事が見つかる当てもない。

 沙織は、ホテルのメイドの仕事が好きだった。

自分に割り当てられた部屋を、時間内にどれだけキレイに終わらせるかというのは、沙織

にとって一種のゲームでありスポーツのようでもある。

この間の女性の骨折事件と、ラウンジ使用の文句には落ち込んだが、もう少し頑張って

みるか、と沙織は思った。

 友達?にその話をすると、

「沙織ってバカみたい。新人教育までの賃金は貰ってないでしょう?

仕事なんてのは、手を抜いていい加減、ボロを出さない程度にやればいいんだよ」と彼女

は言った。

 

 今回も責任者の吉川から、松田という32歳の女性を指導してくれと頼まれ、一緒に

仕事を回ることになった。

 細身で頼りない感じの人だと第一印象で松田のことを思ったが、松田は印象通りだった。

リビングでは、ポット、アイスペール、グラスを見る。

テレビのリモコンのボリュームは、18に設定して所定の場所に置く。

ベッドメーキング、掃除機をかける。

バスルーム、シャワールームの掃除、備品の点検補充。洗面所のダスティング。

一口に備品と言っても、色々あるので補充には気を使う。

 沙織はその説明をしながら、てきぱきと仕事をこなしてみせた。

一部屋目は、沙織一人で殆どやって見せた。

「次の部屋からは少しでも自分でやってみて下さい。質問があったらして下さい」

そう言って次の部屋に移った。

 メイドの仕事は、時間との勝負でもある。

駆け足のように仕事をこなさなければ、規定の時間に間に合わない。

松田は、沙織の仕事をする勢いに圧倒されてオロオロしていた。

「何か一つでもいいですから、やってみて、最後に何をやったのか点検してみて下さい。」

最後の点検で「テレビはボリュームを合わせましたか?」と聞くとやっていなかった。

次の部屋でも、点検漏れがあった。

次の部屋でも、次の部屋でも点検漏れがあった。

ついに沙織は言った。

「今日が最初ですから仕方がないと思いますが、ここは学校じゃないんですよ。

分からないことがあったり、覚え切れないことはメモして書いたらいいんじゃないです

か?」

 年上の人にこんなことを言っては失礼かと思ったが、仕事は非情だ。

ミスは許されない。

 その日の仕事が終わり、沙織は松田と一緒に休憩をとった。

そこで、松田は沙織に言ってきた。

「沙織さんは、何歳なんですか?」

「26歳です」

「そうですか、でも年齢よりしっかりしていますね。

私はダメです。正直、私、沙織さんについていけません」

「そうですか」

「でも、沙織さんを見習いたいと思います。私、もっと沙織さんに教えてもらいたいです」

「じゃあ、吉岡さんにそう言っておきますか?」

「はい、お願いします」

 それは、松田の自分に対する社交辞令だったのかもしれないと、ずっと後になって沙織

は気がついた。

 しかし、次の日も、その次の日も松田を指導することになった。

沙織が、吉川にそう言ったからだ。

 ずっと後になって気づいたことは、気は回さなくていいのだということ。

そうしたかったら、その本人が自分で頼めばいいのだ。

その本人が自分で動かなければ、そして、本人主導で始まらなければ何事もどうにもなら

ないのだ。

 

 松田は、仕事が遅い。

「時間が押しています。あとどの位かかりますか?」と吉岡が言ってきた。

沙織の部屋はもう終わりそうだったが、違う部屋に入っていた松田に聞きに行った。

「あと、どの位で終わりますか?」

「5分位で終わらせます」と松田は言ったが、

見ると、とても5分で終わる状態ではなかった。

吉岡には、「15分で終わらせます」と報告して、急いで自分の部屋を終わらせてから

松田の部屋の手伝いに入った。

大体終わったところで、点検をするとシャワーブースのガラスに点々と石鹸シミが残っ

ていた。

「ここが、汚れているので拭いてください」と沙織は言った。

松田は、ダスターでそこを拭いた。

そして、「落ちましたか?」と沙織に聞いてきた。

その瞬間、(見たら分かるだろー!自分の目で見ろ!)と、沙織はぶちきれそうになった。

 

仕事が終わってから休憩を取る。

その時に松田は沙織に気を使っているのか、何とか誉めようとしているのを感じる。

「沙織さんは、何年生まれなんですか?」

「申年(さるどし)です」

「あー、だから器用なんですね」

「沙織さんは、その年には見えませんよね。年齢よりずっとしっかりしてますよね」

 

沙織は松田を見ていると、何故仕事に気持ちが向けられないんだろう?と思う。

分からないことや、覚え切れないことはメモするなり、仕事が終わってからでも復習して

覚えたらいいだろうに、と思ってふと気がついた。

 これって学校時代の自分じゃないか。

勉強に気持ちが向けられず、頭がいかず、先生が何を言っているのかが理解出来なかった。

だから、漢字と英単語を覚えることだけが沙織の勉強だった。

数学も単純な暗記モノを覚えるのがようやくで、応用問題になると訳が分からず癇癪が

起きた。そんな自分に自己嫌悪になった。

 あー、あの時の自分と一緒じゃないか。

人目を気にするばかりで、物事の本筋から外れてしまっていたあの頃の自分と、今の松田

は同じだった。

「お客さんの身になって考えれば分かる筈です。

あなたが、このホテルのお客さんだったらどうなっていて欲しいですか?」と沙織は何度

も松田に聞いた。

 でも、松田は「分からない」と悲しそうに答えた。

 

(自分で自分を乗り越えるしかない)と、それを聞いて沙織は思った。

覚悟を決めてやる気を出す。仕事に気持ちを向けるのは、自分がそうするしかないのだ。

 

 沙織は、最近こんなに疲れるのは、松田を指導し、手助けをしているからだと思ってい

たが、ふと気がついた。

(私のやっていることを見て覚えろ!)という気持ちから、作業が自分のペースでなくな

っていた。

見せ付けるための作業になっていたのだ。

 (あー、これって自業自得じゃん)と沙織は思い、

(人って、みんな自分の鏡なんだよなぁ)と思うのだった。

 

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