ミミちゃん3

 ひとみは、小学校に無事に入学することが出来た。

保育園で先生によっては「ミミちゃんの言っていることは分からない」と言われた。

食事も排泄も支障なく出来るようになったが、知的に発達が遅れていることは明らかで

あった。

こういう状態で普通小学校に入学出来るのだろうか、それは聡子が一番疑っていた。

しかし、普通に入学の案内通知が届きすんなりと“森が丘小学校”に入学することに

なった。

森が丘小学校は、校舎の東側に古い城跡と小さな神社があり、格好の子供たちの遊び場

である。

交通量の多い大きな道路から二キロメートルほど奥まった、小高い丘の上に建つ学校の

周りには雑木林が広がり、丘の下には四季に応じて姿を変える田んぼが見えた。

ひとみの兄の鉄男も姉の幹子もこの学校を卒業しており、この学校が大好きだった。

両親の聡子と信夫は、ひとみもこの学校に入れてやりたいと願っていたが、こんなに簡単

に入れてもらえるとは思っていなかった。

上の子たちの時は六歳になったら小学校に入ることは当然のことで、その時々に応じて

成長の喜びを感じてはきたが、あの時に今感じているこの有難みを本当に知っていたのだ

ろうか?と聡子は思う。

 ひとみの担任に決まったのは、佐藤先生だった。

聡子は、心の中で(大当たり!)と思っていた。

というのは担任になった佐藤先生は、以前に佐藤学級という特殊学級を受け持っていた。

その頃から特殊学級という呼び名が良くないということで担任の名前で呼ばれるように

なったそのクラス佐藤学級は、父兄の評判がよかった。

何よりそのクラスの子が伸び伸びしていて、佐藤先生が考え出す面白そうなことを次々

と楽しそうにやっているのを見て、他のクラスの子達が、自分も佐藤学級に入りたいと

言い出す程だったのだ。

その前は、「あなたも勉強しないなら〜学級に入れてもらいなさい」などと脅しに

使われていた特殊学級が、その存在を認められた。

 聡子はその話を聞いて、以前から佐藤に対して抱いていた好意が、信頼となった。

それは、保育園の岡本先生に初めて会った時にも感じた、高みからものを見ない安心と

信頼感と同じものだった。

 小学校に入学しての一年間は、不安と期待に満ちた時であり、それだけにみんなが、

気を張りつめ、ひとみに心を配った。

 佐藤先生は、よく目が届いた。

ひとみは、何をするのでも他の子と歩調が合わない。

そんなひとみを、甘やかすことなく無理もさせず確実にひとみに自信を持たせていった。

まるで春が訪れ、氷が解けるかの様に、新しい環境でひとみは驚くほど言葉が出てきた。

聡子はからかって「おしゃべりミミちゃん」と呼んだりした。

 しかし、五月の連休が終わった頃に、張り切って話そうとするひとみに

「無理をさせないように気を付けましょう」と佐藤先生が言ってきた。

たまたま遊びに行った“めばえ保育園”でも岡本先生に同じことを言われていた。

 そして、連休明けに学校に行き出して間もなく、聡子はひとみの話始め、最初に出る

言葉が詰まりスムーズに出ないことに気付いた。

暫く様子を見ようかと思った。

佐藤先生は、「ひとみちゃんは、お母さんが思っているほど手も掛からないし、

心根の優しいいい子よ」

と言ってくれていたが、入学して間もない子供達に加えてひとみである。

大変でない筈がないと聡子は思った。

そこで、またひとみの言葉に異常が見られるなどと言えない気がした。

 しかし、散々迷った挙句、意を決してそれを伝えた時に佐藤先生はそれに気が付かな

かったことを心底悔しがり「申し訳ない」と“言ってくれた”。

本来、聡子は“言ってくれた”とか“言ってあげた”という言葉が大嫌いである。

ただ“言った”のであって、それが何かの為に行われるという恩着せと依存の関係が大嫌

いなのだ。

 しかし、ひとみを通しての関わりから、訳の分からない悪意を持って生きる人と

何故ここまでしてくれるのかと手を合わせたい程の人が居ることを知った。

与えられたものに対して心を込め誠意を持って行う人の尊さと、有難さを聡子は知った。

その人が自分の為に言ってくれた訳でなくても、確かに言ってくれたという有難さはある。

 その後、佐藤先生とひとみに対して今後どうしていったら良いかという話になった。

二人が出した結論は、ひとみの言葉がおかしくても、気が付かない振りをして必要以上に

甘やかすことなく、しかし彼女にとって無理なことを無理強いしないようにしよう、と

いうことだった。

それは、ひとみを一人の人間として見守るということでもあった。

 

 言葉の頭が出ない吃音は、学校生活に慣れると共に自然と消えていった。

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