水3ドクダミ

 

 夕方、帰宅して玄関横の植え込みの草を抜き始めた。

夕方といっても夏至前の6時は、明るい。

 一昨年前に移植したラベンダーが、一斉に花芽を濃くしている。

その下にドクダミと雑草が生えている。

 陰に生えたそれらは、みんな首を長く伸ばしてラベンダーの上に出ようとしている。

雑草だけでなく、白い花が付いたドクダミも抜くことにした。

 真直ぐ引くとボチッと音を立てながら白い根のドクダミが抜ける。

根は途中で切れてしまうのでいずれまた生えて来るであろうドクダミをボッチン、ボッ

チン抜いていたら、声を掛ける人あり。

「そうですよ、せっかくこんなにラベンダーが咲いて来てるんですから、ドクダミは抜

いた方がいいですよ」

ちょっと余計なお世話だという気がしたが、一応「そうですよね」と言う。

私は、“〜した方がいいですよ”という言い方が嫌い。

何を分かった風に人の所に口出ししてんだよ。と、瞬時に思い、ふーん、あんたは

そう思うんですね。と腹の中で口答えする。

「奥さんは働き者ですよね」

「そうかな」

「そうですよ。何時見ても動いてない時はないですよ」

「あっ、そう」

「奥さんは仕事とか、何かやりたくない時ってないですか?」

「ん〜、そうだねぇ、次々やりたいことが出てきて、やりたいことからやって、やり間

に合わなでいるから、やりたくないことまで行きついてないのかな」

「いっつも忙しそうですもんね」

「そうだね。仕事の他に両親の病院とか施設とか食べ物運びもあったりするからね」

「え、親の面倒も見てるんですか?」

「見てるって程じゃないけど、一応ね」

「そういうのが嫌になることってないですか?」

「そうだね、親の面倒もやりたいことの一つだから、嫌にはならないね」

「エライですね」

「別に我慢したり無理してやってる訳じゃないから、エラクはないと思うね」

 私は、どんなことでも本意じゃなくてやってる人は大変だろうな。と、思う。

でも、本人がやりたくてやってる時は、他人がどんな評価をしようと大変ではないと思う。

 

「あの、一つ相談していいですか?」

「いいよ」

「あたし、今勤めている会社辞めようと思ってるんです」

「あ、そう。何で?」

「最近、社長の縁故関係で新しい人が入って来たんです」

「ふーん」

その縁故関係新人(50歳代男性)が入って来るまでは、小さい会社(社長、奥さん

の他に社員とパート男女5人)で昼食はお金を貰って彼女が買いだしに行き、作った物を

みんなで食べて和気あいあい楽しくやっていたんだという。

 それが、パソコンコンピューターに長けている彼が入って来た途端、その上から目線の

偉そうな話し方と、周りに歩調を合わせようとしない自分勝手な感じに拒否反応が起きて

同じ部屋に居るのも、同じ空気を吸うのも嫌なのだと言う。

「どんな風に自分勝手なの?」と聞くと

「お昼を作って“あげて”もみんなと一緒に食べようとしないで、パソコンの前から離

れようとしないんですよ」と言う。

「えー、学校じゃねえんだから、家庭でもねえんだから、仕事に区切りがつかないから

その時は食べたくないっていうのは、ダメなの?」

「だって、せっかく作って“あげた”んだから、暖かいうちに食べてもらいたいじゃない

ですか」

「それはあんたの勝手な気持ち。彼にとっては仕事が優先。押し付けてるのはあなたかも」

「えー、私が悪いんですか?」

「いや、どっちが正しいとか悪いとかの話じゃなくて、彼は、仕事優先で自分のペース

でやりたい人なんじゃない?」

「そうなんですよ」

「そう分かっているなら、あなたのペースに合わせさせようとするのは、あなたが彼の

領域に入っている。と、私は思うな。社長はどう言っているの?」

「彼はそういうヤツだから放っておいてやってくれって」

「じゃ、そうしたら?」

「でも、みんなで一緒に食べたくないですか?」

「うん、あたしは食べたくない部類。みんなと食べるのが嫌だっていうんじゃなくて、

やりたいことを優先したい。人に気を使って合わせるのはちょっと苦痛だな」

「えー、じゃあ、あたしが今までしてきた事って余計なことだったんですか?」

「いやぁ、みんな喜んできてたんじゃない?」

「そうですよ、コンビニのお弁当は飽きちゃうしお金も掛かるからすごく助かるって、

あれはあたしに気を使って言ってたんですか?」

「それは、違うと思うな、本当に喜んでいたと思う。あなた切れ味良さそうで料理も手早

で上手と見た」

お世辞でなく、そういう感じがした。

「ただね、“作ってあげたのに”って、さっき言ったよね。

本当は作りたいから作ってたんじゃないの?」

「今まではそうだったんですけど、あの人が来てから作りたくなくなっちゃって。

食べても美味しいでもなければ、御馳走様でもないんですよ」

 

そこで私が彼女に思ったのは、人生のテーマが投げかけられている。んじゃないかな。

それは、人に求めず、自分と戦う。

自分と戦うってのは、人を変えようとするのでなく自分が変わる努力をするってことだ。

やりたいことを、見返り(誉め言葉や感謝)を求めず(出来たら楽しんで)行う。

神様ってのは親切で、やるべきことは、やりたいとか好きとセットで与えて下さる。

やらなければならないことって、実は本当は、やりたいことだったんじゃないだろうか。

 今の仕事は、辞めない方が良い気がするな。と、私は言ってみた。

 

彼女が1歳の頃母親が出て行った。

間もなく父親が出来ちゃった婚で若い奥さんを貰い、弟が次々二人生まれた。

幼い頃から弟の面倒をみてきたが、実の母でないとは思ってもいなかったという。

4年生で母親が実の親でないと知った時はショックで、それからひねくれた気持ちが起き

てオカズが自分の分が少なかったりするんじゃないかと疑って見たりしたという。

 父親が死に、自分は結婚して子供が出来て、離婚して一人で育てて、今は母親の面倒を

見ていて弟達は母親を彼女に任せっきりだという。

 自分でも頑張りやだと思うが、意地っぱりで嫌な性格だと彼女は言うが、聡明で明るく

魅力的な人だと私は思った。

 

 ある人が、九死に一生を得た。

仕事が苦しくて、生きることが苦痛だったが、病院で動けない時間を過ごして初めて

気が付いたことがあった、という。

自分が本当にやりたいことは、遊びでも旅行でもなく仕事だった。

毎日当たり前にしていたことが、動けなくなった時、一番やりたいことだった。

 動けない、苦しい時間があって本当に良かった。と、その人は言った。

 

 何かあって、あーもっと早くこれを知りたかった。早く気が付きたかった。と言う声

を聞くことがある。

いやいや、今がそれを知る時期だったんだ。出会う時が来たんだ。

 

その時は必ずやってきて、過不足なく出逢いは与えられる。そんな気がする。

 

 ドクダミを洗って風呂に入れた。

身心の毒素が出るんだそうな、あんまり出たら私の味が無くなっちゃうかな。

 

 

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