ムキ壁
アドラーは、人の悩みの90パーセントは人間関係にあるという。
子育てや、人間関係が楽になる方法として私が言い続けてきたことがある。
それは、「比べないこと。人目を気にしないこと。そして、ムキにならないこと」
それを意識するかしないかで、生活は一変する。
と、まるで自分はそれが出来ているかのように私は語って来た。
でも、私は出来ているかいないかでなく、やろうとしているか否かが大事と思う。
人事を尽くして天命を待つ。
出来るかどうかは、天命。行うことは人事。行うことは自分の意志行いによって出来る。
そういう意味に於いては、誰でも出来るのだ。
<ムキになる>
すぐにムキなる人が居る。
そういう人のよく言うセリフ。
「何でそんなこと言うんですか!」何で?と言いながら、深くは推考しようとしない。
「私は違います!」本当にそうだろうか?とは考えようとしない。
「フツ―そういうこと言いませんよね!」「普通はそう思うじゃありませんか!」
という、普通という概念に囚われている。若しくは
「みんなそう言ってます!そう思っています」という、みんなという具体性のない実態を
味方に付ける。
「ムキになるなよ」と、思うことがある。
ムキになったら見えるもんも見えなくなるし、正しく深く考えることも出来なくなる。
このムキになるなよ。は、人にも思うが、自分に思うことが多い。
この〜するなよ。というのは、人にも言っているが、自分に言い聞かせて書いて来た。
しかし、私を知る人は、怒りっぽくてムキになりやすく感情がすぐに顔に出る私が何を
偉そうに自分を棚に上げて語ってるんだ。と思っているらしい。
まっ、確かに観察推考が自分以外の人だけに向いている時もあるが、自分を抜いて考える、
自分に置き換えて考える、誰かになりきると違う景色が見える。
そして、「ムキになるなよ」と言いながら、そう言ってる私は“物凄く”ムキになりや
すい。
今書いている事項もその一端で、深く考えようとせず“普通”という言葉で片付けるな。
みんな、って誰だよ?と思う私が居るのだ。
ムキになるスイッチが入るパターンがある。
決めつけ、上から目線、自慢、驕(おご)り、などが見えると“ムキムキスイッチ”が
入る。
ムキになるのは壁で、その先に進めなくなり、その先にある違う景色を知らずに終わる。
これを、“ムキ壁”という。
“ムキ壁”は、自分が正しいと思い込んでいる時に高く厚く造る。
自分は正しいと思う人が、争いを起こす。という。
社会で悲惨な事件が起きた時、加害者に向かって「そんな人一人で死ねばいいのに」と
簡単に言う。その人は、簡単に考えなしに言っているように私は感じて気分が悪い。
が、しかし、言ってみたら、私のその感じ方も思い上がりの奢りであるのかもしれない。
ムキ壁を壊すのか、乗り越えるのか、自分どうやっていく? と、思う。
無明とは、何も知らないことでなく、
何でも分かったつもりになっている心のことを言います。