菜の花

 

 最近、調子がイマイチだった。

何が良くなかったんだろう?

 先ずは疲れが溜まっていた。

ネクスト、心が狭くなっていた。

 心が狭くなるということ自体が、調子が悪いということなんだろう。

 

 菜の花の新芽が柔らかく伸び出した頃、その新芽を採っていく(盗って)行く人が居た。

それは、我が家と農道の間に出ている。

 その農道は片方が行き止まりで、歩く人は殆どおらず草を刈ったりゴミを拾ったりを

夫や我が家の人が行っている。

そこの菜の花は、私が種をまいて増やしたもので、最初ちゃんと畑として植えていたが、

どういう訳か畑の方は成績が悪く、零れ種で出た方が元気に育つ、メダカもそうだが、

過保護にしない方が良く育つみたいだ。

まだ風は冷たいが、春が来て柔らかな新芽が伸びて行く様子は、心躍る。もうそろ

そろ摘んで、茹でて食卓の乗せようかな、と思った矢先、採り頃の所が全部無くなって

いた。

 ポキポキ折られてまだ汁の出ている茎を見て、イヤーな気持ちになった。

 

昔、知人の家の栗を盗りに来る人が居て、知人は気弱な人なのだが、意を決して

「栗を盗らないで下さい」と言った。

 すると、「私は何十年も前からここで栗を採ってるんだ!」と、そのお婆さんが逆切れ

してきた。という話を、私は思い出していた。

 昨年、家の敷地に咲いていた百日紅の花を折っている人を見つけ「折らないで下さい」

と言ったことがあるが、あの人かな?と思う。

イジメは、最初は悪ふざけのような軽い気持ちからドンドンエスカレートしていく。

人の敷地に入るのもモノを採る(盗る)のも慣れていってしまうものじゃないだろうか?

菜の花の横に、梅の木とカリンの木があり、ブラックベリーもある。

どうしようかと考えたが、疑心暗鬼の気持ちが治まらなかった。

で、『菜の花を採らないで下さい』と書いたメモを、その茎に付けた。

そんな自分に嫌気がさした。

 何時もの私の主張は、何かを盗られたら盗られた時点で嫌な気持ちを味わい、更に

盗られたことに囚われて心を悩ませるのは二次災害だ。二次災害は自分が作る。

 そこにあった嫌なことは、今後それを繰り返さない為のお知らせとして気を付ければ

それでよい。なーんて言っている。

 そして、疑心暗鬼に囚われるのは、自分の疑う心が暗闇に鬼を作り出しているのだ。

と、思うようにしているのだが、また盗られたらヤダなぁ。敷地に入ってこられたら、

という気持ちがどーしても消えない。

最近、身近な人の病気や訃報を、子供の辛い話を聞くことが立て続けに続いた。

そうしているうちに、生きているということは、何時何どき、何が起きるか分からない。

 という不安定な気持ちになっていた。

 

 不安定な気持ち。これは、理屈じゃないんだよなぁ。

そういう時って、道路で轢(ひ)かれたばかりの猫を見たりする。

車に轢かれて縄が捩(よじ)れるように苦しむ猫の横に、助けようとするかの様に

跳びはねる猫の姿を見た。

身内に大事には至らなかったけれど、一歩間違ったら大変なことになっていた事故が

あった。

私は、疲れが足に来ていたんだろう。

何もない所で自分の足につまづき、足が縺(もつ)れて空中を飛んだ。

が、咄嗟(とっさ)に左手で地面を叩き受け身を取り(自慢)ちょっとした打撲で済

んだ。

その辺りが、変わり目になった気がする。

 

恐い怖い、と車の運転も嫌になっていたのだが、コンビニの駐車場でブレーキを踏ん

でいるのに車が動いていて一瞬パニックになった。

 でも、それは隣の車が動き出したことで起きた錯覚だった。

それに気づいた瞬間、笑いが込み上げてきた。

 

あ〜、ゆっくりやっていこう。と、思う。

 

こういう言葉を聞いても、耳に入ってこない時があるんだよね。

でも、書くよ。

『トラがドアの前に立っている』と、私が信じているのと、

実際にトラがドアの前にいるのと、何の違いがあろうか。アドラーの言葉。

 

これを書いていたら、犬の散歩をしていた夫の声。

「あんたー、また、菜の花やられちまったわー」

 

        あー、そぉけぇー

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