野坂昭如氏が亡くなった

 

作家で社会の問題を提起し続けた(死ぬということは過去形にしなければならないと

いうことだ)野坂昭如氏が亡くなった。

野坂氏自身が書いた“火垂るの墓”の映画、悲しくて最後まで観ることが出来ない。

と娘に言ったらしい。

絶対の戦争反対で、どんなに親しい人とも迎合することがなかった。

あ〜、尊敬する人がまたこの世から居なくなった。

灰谷健次郎氏が亡くなり、忌野清志郎氏が亡くなり、河合隼雄氏が亡くなり、どんどん

会いたい人がこの世から減っていく。

 向田邦子氏も会いたかったな〜、田辺聖子氏も、有吉佐和子氏も。南方熊楠氏や寺田

虎彦氏、武者小路実篤氏、内田百闔≠焉B

 

 この世で爆弾のように問題提起をする人が減っている。ってなことをテレビのコメン

テーターが言っていたけど、それを聞いて思った。

ばっかじゃねえの?沢山居るじゃねぇの。おめぇが、その声を聞き逃しているからだよ!

って。

鎌仲ひとみ氏、瀬戸内寂聴氏、むのたけじ氏、小出裕章氏、広瀬隆氏、坂本龍一氏、

田口ランディ氏、室井佑月氏、シールズの人とか有名無名まだまだ居るじゃねえか。

でも、なんて言ったって、逸見庸氏、すごいよぉ。

逸見氏は今闘病中らしい。でも、その言いたい放題の文を読んでいると、ワシャ自分も

やったろじゃないか。って気持ちがムクムクと沸いてくるんだ。

 

 そこで、最近思ったこと。

ニュースで、高校1年生がこの4月からイジメに会っていたが試験でカンニングの疑いを

かけられ試験中にトイレと言って教室を後にし、飛び降り自殺をした。

 一度、担任教師が間に入りイジメの問題は解決したと思われていたらしい。

6月と9月イジメアンケート調査を行い、そこにイジメの把握はなかった。という。

「何か困ったことはありませんか?」と聞かれて、本当に困っている者程声を出せない

ことを知らないのか。と思う。

 生活保護や介護問題でも本当に困っている人の所へは手が届かないという声を聞く。

知的障害の知人が居るが、周りにその人を守る人が居なければその生活保障の手続きは

出来ない。

学校にイジメの事実を知ろうとする気はない。(ように見える)

何故ちゃんと知ろうとしないのか。面倒だから、何処までボロが出てくるか分からない

からじゃないのか。

 アンケート調査しました。って、それをしたことを免罪符にし、安心してしまう体制。

やりゃぁいいってもんじゃないんだよ。

 ちゃんと見ろよ。ちゃんと声なき声を聴く耳を持てよ。

 

「助けてあげられなかった」って?

 助ける以前に見捨てたんじゃないのか。もう2度と相談しなかった。アンケートにも

書かなかった。ってことは、もう学校も教師も頼りにならないと絶望したってことだ。

それは、イジメ達と一緒になって追い詰めることになった共犯者じゃないのか。

 

 大体が「あげられなかった」ってどういうことだ。

自分たちが責任もって行うべき事を、上から目線で「やってあげる」っちゃどういう

ことなんだ。

 やらせていただく。だの、やってあげる。じゃなくて、自分のやるべきことをちゃんと

やる。それが基本だ。

 

「逃げていいんだよ」という言葉が横行しているが、それにもモノ申す。

なーにを分かったっぷりして「いいんだよ」だ。

 いいんだよ。なんて誰かに許可をもらう必要は、ない。

イジメからは、「逃げる」んじゃない。「避難」だ。

言葉でも力でも暴力は、犯罪。金を出せというのは恐喝で、万引きを強制するのも犯罪。

そこから始まる脅しも犯罪。

犯罪から人を守るのは、法治国家である国の役目。

国はその誇りを持ってやるべきことを行え。

国は、守ってあげるんでもなければ、国民は守ってもらうんでもない。

国は国民を守り、国民は国に守られる立場にある。

 

 そこに犯罪者と被害者の線引きという問題が出てくる。

例えば、万引きを強制され一度行ってしまうと、被害者から犯罪者となる。

すると、そのことを親教師学校にばらすぞという脅しによってそこから逃れられなく

なり、万引きを繰り返させられ、金品の強奪恐喝が繰り返されることになる。

 学生時代の悪仲間は一生続くと聞く。

大人になって家庭を持って、大事な守りたいものが出来た時こそ、昔の過ちは食い物と

なる。

 善人であることが弱みとなるような社会は歪んでいる。

では、恐喝する者が全くの悪であるかといったらその者も逃れられないループ(輪)の中

に組み込まれている場合がある。

 そこからどうやって避難、脱出、卒業するか。

その方法は一つしかない。

正々堂々と、過ちを公にする勇気を持って生きることだ。

それに気付き足を洗うのは、早いに越したことはない。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉に

「最初に抵抗する方が、最後に抵抗するより楽だ」というのがある。

 

 でも、気が付いた時が始まり時。

犬のインストラクターのシーザー(メキシコ系アメリカ人)が言う。

「毅然と胸を張って、リラックスし、穏やかで安心のオーラで生きよ」と。

 

 言いたい放題でまとまりがないが、

戦争のない世界の最初の始まりは、人間の心にあるとワシは思う。

 イジメ、原発、沖縄問題、今の政治、経済界の構造は、人を人として見ない戦争構造

への一歩としか思えない。

 戦争絶対反対(今もそうだろ!)の野坂氏。

         ワシも頑張るぜよ。

 

 

 

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