お化け(ムカドン)

 

僕は恐がりだった、いや今も十分恐がりの臆病者である。

そんな僕が子供だった頃、お化け屋敷に行った。

最初は、面白くて強がって進んで行くのだけれど段々に恐さが増してきた。

足元に筵(むしろ)があって、つまづいた。その中に何があるのか分からないものを

踏むというのは気持ちが悪い。

何か分からないグニャリとした物だったら、筵をかぶった人間の方がましだ。

分からないことは、勝手な想像をかき立て、突然、恐怖になる。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」などというが、枯れ尾花、たかが、ススキであっても

怖がって闇で見ると幽霊に見えてしまう。

「疑心暗鬼」は、疑っている心が、闇の暗さに鬼を見るのか、自ら作り出しているのか。

ドキドキしていると、頬に触った蜘蛛の糸にさえ悲鳴を上げてしまう。

 

僕は、恐がりのくせに人に弱みを見せることが最大の恥で、恐がってビクビクしている

姿など誰にも見せる訳にはいかなかった。

しかし、女というヤツはキャアキャア言うが、さほど恐がってはいないことを、僕は

知っている。女というヤツは、何事によらず心の底では舐(な)めてかかっている。

そうでもなければ、子供を産んで育てることなど出来よう筈がない。

 

僕は、訳の分からないモノは恐くて腹の底が冷える思いだったが、人体には興味が

あった。

どういう訳だか、そこのお化け屋敷の途中には人体が立っていた。

それは、残バラ髪の人間の身体が透き通っていて内臓が見えていた。

女の子は、やっぱりキャーと嬌声を上げて逃げて行ったが、僕はそれに興味があって

じっくり見ていたかった。

それは、学校の帰り道で動物の死骸を見つけた時、皆が走って逃げる中で本当はよく

見てみたいと思う気持ちと同じだった。

学校の化学室に人体標本があった。

半分は皮が剥(は)がされ血管が巡っていた。眼球がむき出しになり、内蔵が見えていた。

もう半分はつるりとした白い顔で、そっちの方が、気持ち悪かった。

 そこで突然、ふいに思った。

このミミズのような血管もグロテスクな内臓も「これは自分の中に在るんだ」と。

その瞬間ジェットコースターが、上りから下りに変わったような自分ではコントロール

不可能な気持ちの揺れを感じた。

 僕が初めて実感として男女の営みを理解したのも、化学室で掃除をしている時だった。

それは、悪友から聞かされた廃墟での覗きの話であった。

その事にある程度の知識はあったが、それは遠い世界のことで、現実の話で聞いた時に

同じ感覚を味わった。

 

 恐怖心というものは、説明がつかない。

何が恐いのか。赤い電気、暗闇、訳が分からない事、痛い事、自分的にグロテスクな事。

 幼い頃、母方のおじいさん家(げ)に行くと夜の便所が恐かった。

おじいさん家の便所は家の外にあった。そこには、母屋の横にある蔵の前を通って行く。

蔵はクラい。なーんちゃって。

闇の先にある便所には、小さな赤い豆電球が点っていた。

目を凝らしても暗くて見えない中に、尻に付くかと思う程の汚物が盛り上がり、汚物は

電気に赤く光っていた。

木の羽目板を浮かび上がらせる赤黒い暗い灯り。

便所の周りは真っ暗で、物音ひとつしなかった。便所にまつわる恐い話は多い。

 便槽(べんそう)から白い手が伸びてきて尻を撫でたとか、学校の窓に赤い手首が

ぶら下がっていたとか。

赤い電気は怖くて嫌だと言うと、虫は赤い花は好きなくせに赤い光は見えないので

集まって来ないのだと聞かされた。

 

何処で見たのか覚えていないが、地獄の絵というのがまた恐くて、針山に登る亡者や

釜で茹でられる亡者が呻く絵があった。

ウソを付くと舌を抜かれると言われ、浄玻璃の鏡には生きている時にしたことが全部

映し出されるのだと聞かされた。

それを見ながら、自分がこんな目にあったら生きてはいられないと思い、

いや、もう死んでいるから死ねないんだと気が付いた時、更に恐ろしくなった。

 

お化け屋敷の最後、

「この部屋だけは、絶対に見ないで下さい。この世で一番恐いものが入っています」と

張り紙のある部屋にたどり着く。

ここまで来て開けないで終わらせる人がいるのだろうか?

僕は、怖がりながら、開けた。開けずにはいられなかった。

 ドアを開けると、そこには、

鏡が、こちらを向いていた。

そして、そこには、自分が映っていた。

 

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