お飾り売り2

 

 ニキビ兄ちゃんが来て、お飾りを買う買わないの騒ぎがあった後だった。

晦日までは2週間を切っていた。

 奈々の友達、美由紀が結婚した。

奈々は、「お祝いでご馳走するよ」と美由紀とその夫を、行き着けの無国籍料理の店

“ロータス”に誘った。ということは、1996年だった。

その店のオーナー謙一は、通称ケンちゃんと言って奈々の店の常連さんだった。

ケンちゃんの話はこの次にするとして、美由紀の夫も呼んだので奈々は亭主の秀作も

誘った。

 

 この話をするには、先ず煙草の話をしなければならない。

奈々はへそ曲がりだ。成人する前は煙草を吸わなかった。

そして、成人したからといって煙草を吸うのもバカみたいだと吸わなかった。

それが、就職した所に居た偉そうな上司が「女のクセに煙草を吸うなんてモッテノホカだ」

と言うのを聞いた途端、よーし吸ってやろうじゃないかと煙草を吸い出した。

 最近、腹いせの延長線でろくでもないことを仕出かす輩(やから)が後を絶たないが、

奈々もちょっと危ないところがある。

 会社では吸わなかったが、忘年会の飲み会で奈々は弱い者イジメをするその上司の顔の

前で煙草の煙を吐き出して見せた。

 秀作と結婚するまでの何年間か、奈々はヘビースモーカーだった。

秀作は、煙草を吸わないが奈々に煙草を辞めろと一度も言ったことがない。

 それまでちょっと親しくなった煙草を吸わない人は、男でも女でも

「煙草は身体に悪いから辞めた方がいい」と必ずといっていい程奈々に言った。

 秀作が奈々の煙草に対して全く関心を示さないことで、何故か奈々は煙草を辞めよう

と思った。煙草が辞められないでいる人の話を聞くと尚更、よーし辞めてみせると思った。

 そして、キッパリと辞めた。その後妊娠を知るのだから、結果的に良かった。

 

秀作は、何事も深い考えがあってするのではないように奈々には見える。

奈々の煙草のことについても全く関心を示さず止めろということはなかった。

それどころか、最初のプレゼントがステンドガラスの灰皿で、その次がクラウンの

ライターだったのだから、奈々が煙草を吸っていることを嫌がってはいなかったのだろう。

 なのに、食事をする時に煙草を吸っている人には文句を言う。

すし屋などでカウンターで隣の人が吸いだすと帰ろうと言い出す。

 

 その日、無国籍料理の店ロータスに美由紀夫婦と奈々夫婦が、向かい合って座っていた。

バリ好きのケンちゃんが見つけてきたという荒削りの木のテーブルに、やっぱり荒削りの

ベンチ型の椅子は、イカットの座布団が敷いてあったがゴツゴツしていた。

窓はバティックの布で目隠しされ壁には、象の顔をしたガネーシャのお面や、空の守り

神だというガルーダが飾られていた。

 テーブルには赤いガラスに入った蝋燭(ろうそく)が、ゆらゆらしていた。

ロータスの料理は、奈々のお気に入りだ。

メニューが豊富で、それぞれの料理に違ったスパイスが効いている。

酒の種類も豊富で、異国に居るような気持ちになる。

 美由紀夫婦はどの料理が良いか分からないというので、奈々の好きなモノを片っ端

から頼んで、先ずはビールで乾杯した。

 最初は緊張気味だった美由紀の旦那と秀作は、ビールからウイスキーになってきた頃

から饒舌(じょうぜつ)になった。

そして、二人の趣味である釣りの話になった頃には、旧知の間柄のようだった。

美由紀が「ウチの旦那、ちょっと頑固だからね」と言っていたが、秀作も自分が一番の

所がある。酔ってきたこともあって、お互いに自分の考えを押し通そうと始めた。

 そして、美由紀の旦那が煙草に火を点(つ)けた時、秀作が

「煙草は外で吸ってくれ」と言った。

秀作は、食事の時だけは煙草を嫌がり、友達が来ていても同じ調子でそう言うが、

美由紀の旦那と会ったのは今夜が初めてだ。

 秀作に悪気がない事は、奈々と美由紀には分かるが、美由紀の旦那には分からないと

奈々は思い、

「なーに、言ってんのよ。あたしにも、1本頂戴」と、酔った振りをして二本指を出して

見せた。

 ちょっと表情が固くなった美由紀の旦那は、「旦那さんに怒られるよ」と言いながらも

煙草を出し、奈々が煙草をくわえるとそこに火を点けた。

「あれ?奈々、煙草、吸ってたっけ?」と美由紀が聞いた。

「うん、大分前に辞めたんだけど、酔うと吸いたくなるんだよね」と普段は酔っても

吸わない奈々が言った。

「そうなんだぁ」

 どういうワケか秀作は、奈々が煙草を吸っても何も言わない。それどころか、奈々が

吸うと他の人にも文句を言わなくなる。

 まあ、文句を言ったら只じゃおかないぞ。とその時、奈々は思っていた。

久し振りの煙草は旨い。

たまになんだからと、ユックリと煙を吸い込んで秀作の反対側の天井に向けて高々と

煙を吐き出した。

 その頃、奈々は腰を痛めていた。持病の腰痛に冷えが通って整体に通っていたが、

木のベンチに座っているのが辛く、皆の了解をとって片足を上げて抱えていた。

 カランと店のドアが開く音がした。

薄暗いドアの方を見ると、そこにあのお飾り売りの男が立っていた。

 奈々は(あちゃー、誤解されちゃうな)と思った。

男はケンちゃんと知り合いのようだった。

 奈々は、ヤクザを面白いと思うがヤクザっぽくなりたくなかった。

親しくもなりたくない。

だから、お飾りの注文をとりに来てもお願いしますと言ったことがない。出来れば

関わりを持ちたくない。何もお願いしたくないのだ。

 でも、邪険にしたり馬鹿にする気もない。

これまでも怖がったり、なれなれしくしたりせず普通に対してきたつもりだ。

 奈々は、その男が自分を軽く見ていないと感じていた。

でも、ちょっとイメージが違ってしまうなぁ。と思った。

 それから秀作と美由紀の旦那は意気投合し、また飲み会をやろうということになって

別れた。

 

 暮れの28日、お飾り売りの男が、ニキビの兄ちゃんを連れてお飾りを持って来た。

男は必ずお客の居ない時を見計らって店に入ってくる。

「どーも」と二人が入って来た時、奈々は切れた電球の交換をしていた。

「ママ、あのー、何時もの」と、あけみが奈々を呼んだ。

「ああ、受け取ってお金払って頂戴」と手を離さず奈々は言った。

「高い所から失礼しますね」と奈々が言うと

「いや、こいつも姉さんに挨拶させようと思って連れてきました」と男は言った。

「あのね。悪いけど、姉さんって言われるような人間じゃないからね」

「いや、姉さんですよ」

「止めてくださいよ」と言いながら、奈々は脚立から降りた。

「この間、ロータスで会ったでしょ。

私、本当は煙草吸わないし、腰が痛くてあんな格好してただけだからね」

「いや、姉さんなら何やってても不思議じゃないですから」と男が言うのを聞いて

あーあ、やっぱり誤解されたよ。と奈々は思った。

 男はニキビ兄ちゃんに丁寧に挨拶させて帰っていった。

 

 それからも、毎年お飾り売りは来たが、店に来ることはなく奈々はホッとしていた。

 

 あれは、2003年の秋の初めだった。

お飾りの注文取りでなく、男が店に入って来たのは初めてだった。

 やっぱり他にはお客の居ない時間で、まだ女の子も誰も来ていなかった。

男はやつれているように見えた。

「どうしたの?」と奈々が聞くと、男はムショに入っていて出所して最初にココに来た

と言った。

 奈々は、黙ってコーヒーを淹(い)れた。

男は、それまでの人生を語り出した。

 奈々は、親を泣かせることだけはするなと言おうとしたが、男を捨てた親じゃなくて

この世に送り出したカミサマが喜ぶ生き方を見つけろと言った。

 

店の中には小さくジャズが流れ、男が黙ったので奈々も黙った。

「今年の暮れは、ココに来れないかもしれない」と言って男は出て行った。

 

 それ以来、男は来ていない。

今年は来るかな?と思っていたが、2008年、12月10日、ニキビ兄ちゃんで

なく、白い平べったい顔をした金髪の兄ちゃんが来た。

「お飾り、いいですか?」

「はい」

「いつもの、5千円のでいいですか」

「はい」

「よろしく、お願いします」

「はい」

 帰っていく金髪兄ちゃんが、何だか悲しい気がした。

 

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