怒る

 

 美咲は、よーく怒っている。

何にそんなに腹を立てているのか、よく怒る種が尽きないもんだと感心する位よく怒って

いる。

 美咲はテレビを観ても怒っている。

例えば料理番組

「この油をよーく取ってあげて下さい。

それから、水に冷やしてあげてください」

って、何で一々“あげて、あげて”って言うんだよ!

「油を取って下さい」「水で冷やして下さい」でいいだろ。

ベタベタ、ベタベタ喋って気持ちワリイな、スッキリ喋れ!

「あー、滅多に姿を見せないと言われている蝶が、私たちの前に姿を見せてくれました」

って、見せて“くれた”ワケじゃねえべ、ただ“現れた”つうだけのことじゃねえの。

「私たちの想いが通じた!」とか「奇跡です!」とか、言うことが大袈裟で自己中!

 

 そんな美咲の所へ、彼女が言った。

「美咲さん、また私の事を怒って下さい」

「何で私があなたのことを怒らなくちゃなんないのよ!?

大体が『また』って、何時私があなたのこと怒ったのよ」

「いえ、この間来た時に、私のダメな所をズバリ言ってもらったのが、それが本当に

当たっていて、そういうことをまた言って教えてもらいたいと思って」

「えー、私何を言ったか覚えてないよ。

 それに、私、誰だって、誰のこともダメだなんて言う資格ないと思ってるし」

「分かってます。この間もそう言ってましたから。

でも、アタシ美咲さんに怒られるって言ったらダメって言われるのは分かってますけど、

色々言ってもらうと元気が出て、こんな自分でも本気で心配してくれる人が居るんだな。

って、本当に元気になれるんです」

 美咲は、こんな自分“でも”というセリフに引っ掛かった。

 

 美咲は、それまでに聞いてきた彼女の人生を思い出す。

子供の頃からの虐待、学校に入るとイジメがあり、家庭を持ってから家庭内暴力。

何時からか心の病い、リストカット、抗鬱剤、睡眠導入剤を服用。

それらが関係してか、彼女は普通の人の見えないモノが見える。

 薬を呑んでいなかった頃も勘が良くて場所の良くない所や危険な人は分かったという。

でも、逃れることは出来なかった。

という彼女は何事に寄らず自分の意志を明らかにすることがなくキッパリ断るという

ことをしない。そして次々とトラブルに巻き込まれる。

 そう、美咲には“しない”と思えるのだが、彼女は“出来ない”という。

「自分が頑張るしかないんだよ、大変だけど自分が変わらなかったら、

一時誰かが助けたってすぐに元の木阿弥になっちゃうよ」

「それでいいのかって?自分に聞きなよ。人に聞かないで自分に聞いてみなよ」と

美咲は何度も言ってきたことを思い出す。

 それを彼女は「怒られた」と言うのだ。嬉しそうに。

 

 美咲には、彼女が変わる方法が幾つもある気がする。

その一つが、「言葉を変える」ことだ。

 彼女は「言われた、やられた」という被害者意識と、

「もらう、あげる、くれる、くれない」という依存の言葉で成り立っている。

 近所の人にこう言われた。家族にこう言われた。私はこう言ってあげた。やってあげた。

のに、やってくれない。教えてくれない。

 それは、その人がそうしただけのことであって、そこに自分を投入する必要はない。と

美咲は思う。

誰かがしたことを、すべて自分と関係を持たせて、有難がったり謙(へりくだ)ったり

恩に着せたり、或いは被害者意識を持つことで複雑にしていく。

 被害者意識は妄想へと進む。

もつれた糸は解くしかない。

 その方法は、絡み合うことを止めて一本にすることだ。

一つひとつのことを単体で見る。考える。他のこととくっつけない。

 それは、言葉を変えることで変わる。と美咲は思う。

 

「すみません、すみません」と言いながら話す彼女。

人には分からないような辛い目に会いながら、傷を狙う者に付け込まれることになって。

少女のように可愛い物が好きで大事にする彼女の。

シアワセを求めて生きてきた彼女のシアワセを願った時、美咲は彼女に歯痒さを

彼女を痛めつけてきたモノに腹立ちを覚え心が波立つ。

 

どうしたらいいのかと考えていた時、美咲は突然我に返った。

 

 彼女には、彼女の人生があって、それがどんな風に見えたとしても彼女の人生であって

彼女が自力でやっていくしかない。

 美咲の想いは伝える所までで、そこから先は彼女の領域だ。

彼女を思うことで、彼女を痛めつけてきたモノを呪ってはならない。

 って、まぁ、呪う力もないし、それをしたモノたちには因果応報がある。

兎に角、彼女は彼女を生き、私は私を生きる。

そうしたら、モヤモヤの怒りが収まっていくのを感じた。

 

外を見たら、家の屋根と林の間に明るいオレンジ色に輝く線香花火のような夕日が沈む

瞬間で、ゆっくりゆっくり解け落ちていく所だった。

 

 

 

 

 okoru.html へのリンク