お節介のマヌケ

 

 私は、生まれついてのお節介。

物心付いた時、気が付いた時には、「麻子は間抜けで、お節介だ」と母に言われていた。

 

<お節介の出来方>

私が生まれた時、母の実家では久しぶりの赤ん坊で、下にも置かぬ可愛がりようだった

らしい。

 そこには、祖父母に母の兄、妹に弟が二人居た。

動物が好きで犬を飼いウサギや牛を飼っている農家だった。

戦争が終わって9年目、経済的にもゆとりが出来、落ち着いて家族で暮らせるように

なった所に私は生まれた。

私は、代わる代わる抱かれ、泣く暇もなく何時も機嫌よく人見知りを全くしない子だ

ったという。

その1年後、母が卵巣のう腫の手術で入院し、出血多量で生死の境をさまよったが生

きて戻った。

 その時の大量輸血で母はC型肝炎に感染し、長い間今も苦しむことになった

母が1ケ月の上も入院している間、私は一言も「お母ちゃん」と言わなかったという。

それを見た祖父は、「これは、絹子(母)は帰ってこないっていうことだ」と諦め、

「麻子は俺が育てる」と覚悟したという、私は祖父を「父ちゃん」と呼んでいた。

祖父は、シャイで、怒りは表わしても愛情表現などしたことのなかった人が、私に対し

てだけは惜しみなく愛情を注いだ。

愛情を注ぐと言っても、私が何かしている所に口出し手出しをすることはなく、転ん

でも拙い何かをしていても黙っていた。

私は、教えようとしない祖父から本当に大事なことを学んだ気がする。

祖父を筆頭に、愛されているなどという言葉でない実感を感じて育った私は、当たり前に

人が好きで物に執着しない子供になった。

持っているオモチャは誰かが欲しいと言えば誰かれなくあげてしまうので、母はハラ

ハラしていたという。

父方では初めての女の子、母方でも久しぶりに見る子供ということでオモチャは押入れ

の下の段イッパイにあったのが、ある日気が付いたら無くなっていたという。

幼稚園に上がると一人で勝手に祖父の家に帰ってしまったり、自分の持っているサン

ダルと同じサンダルを自分の物と勘違いして持って帰って騒ぎになったりと、母は私の

マヌケに気が付きだした。

 悪気がないので叱ろうにもどう叱ったら分からないようなことが次々と起きた。

小学校に入ると、それは更に目立つようになる。

こうして考えるとお節介でマヌケの土壌は、天敵が居らず自由で幸せだった幼少期に

出来たんじゃないかと思う。

 

<マヌケで失敗しても変わらずお節介>

母は、自分が子沢山(7人兄妹)で育ちてを掛けてもらえなかったばかりか、家の手

伝いをさせられたことを恨みに思っているようで、幾度となく小学2年生からご飯の支度

を朝暗いうちからして9歳年下の弟を背負って学校に行った話をした。

そして、「だから、お母ちゃん、子供は一人か二人しか産まないって子供の時から決めて

たんだ。

そして、自分の子供のだけは自分みたいな辛い思いはさせない。って思ってたんだ」と

言った。

母は、料理が上手であの頃(昭和30年代)にはなかった料理を作った。

手先が器用で私の洋服は手作り、編み物は私の物だけでなくデパートに頼まれる程の腕

だった。

何時も誰かに守られて何不自由ない私だったが、何が違っていたんだろう。

学校(小学校)に行くと、授業参観でもないのに母が来ている。

 母の顔を見て嬉しくなった私は、「あ、お母ちゃん!」と近くに行くと、母が鬼の形相

で睨んだ。

 その頃、学校で私は変わった子供ということで話題になっていたらしいのだ。

勉強は、やれば出来る。話は通じる。おっちょこちょいだが、素直で明るい。

でも、何かがおかしい、しかし、何がおかしいのか分からない。学校始まって以来の

変わった子供だ。と先生は言ったという。

窓際のトットちゃんを読んだ時、あー、ここに自分が居ると思ったが、私は教室の中で、

はぐれた迷子だった。

でも、何時でも一生懸命で困っている人を見過ごすことが出来なかった。

注射を恐がる子供が居ると、自分も恐くてたまらないのに痛くなかったとふざけて先生に

怒られた。

今日は当てられるのに宿題を忘れたと困っている友達の宿題を手伝っていたら、自分も

当てられる日で自分だけ残されるが、何故か後悔はしないマヌケなお節介。

それは、大人になっても変わらず、山手線で困っている人を手伝って自分の行き先を

通り越しもう一周したりする。

礼を言う人には、行き先がこっちなので大丈夫だと言っている。

そんな自分が好きなんだろうな。

 

 そんなお節介だからかな、色んな相談や悩みを山ほど聞いてきた。

そういう時、その人の話を聞いていると、本当にその人になったみたいな気持ちになる。

本当には分からないということは、肝に銘じて知ったつもり分かったつもりにならない

ように気を付けているのだが、何だか、自分を通り超えてその人の気持ちになる。

最近続いた相談に共通点を見た。

それを次回は書きたいと思う。

 お節介な私は、それを読んで何かが観えたらいいな。と思う。

観るのも行うのも、その人本人なんだけどね。

 

 

 

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