お父ちゃん

 

 僕はお母ちゃんには随分とムカつき、反抗したり反論したり、言っても通じないだろう

と思う時は無視をしてきた。

それだけの強さが良くも悪くもお母ちゃんにはある。

 しかし、お父ちゃんには反抗したり噛み付いたりしない。

それをしない事に決めたのは、僕が小学校六年生の冬だった。

 昔からお父ちゃんはやさしい、お母ちゃんはそれを優柔不断だというが、

僕はそんなお父ちゃんにいつも安心と安らぎを覚えていた。

僕がお母ちゃんに怒られて家の外へ追い出されると、鍵がかかっているわけでもない

のに家に入れずにいた、暗くなっていく勝手口に佇んでいると、

いろんな音や犬の泣き声が聞こえてきた。

夏は、開け放した台所の窓から水音が聞こえ、蜩(ひぐらし)が鳴いた。

冬は、遠いラッパの音が聞こえた。

砂利道を自転車が帰っていく。ラジオからのくぐもった声が聞こえてきた。

そして涙も乾いた頃にお父ちゃんが帰って来るのだ。

「なんだ、また怒られたのか。」という静かなお父ちゃんの声は、

もう泣いて出尽くしたはずの、僕の涙を誘った。

「今日はなんで怒られたんだ?」

「そーか、んでも大丈夫だよ、きっとよくなるから。」

とお父ちゃんは言った。

お父ちゃんは、いつも「きっとよくなる」とか「だんだんなおるよ」と言った。

僕はそれを誉め言葉の様に感じていたが、これからよくなるという事は、その時の僕は

決してよくはなかったのだ、という事は、ずっと後になって気づいた。

 僕は臆病で、夜中に便所に行きたくなったり、喉が乾いて水が飲みたくなったりすると

一人で行くのが嫌だったが、そんな時必ずお父ちゃんが起きてついて来てくれた。

 お父ちゃんは度の強い牛乳瓶の底の様な眼鏡を掛けていたが、夜中、僕について

来る時はかけておらず、そばで待っていてくれる。

僕は一人で行くのが恐くて、お父ちゃんに側について居てもらっているのに、

お父ちゃんの二重の大きな目が、眠くて赤く充血しているのを見るのが嫌だったりした。

 お父ちゃんは、手先が不器用でお母ちゃんに棚などを頼まれて作るのだが、

一所懸命やっているのに、いつも文句を言われていた。

でも僕はそんなお父ちゃんが大好きで、釘を出したり金槌を持っていてあげたりして、

側を離れずに居た。

するとお母ちゃんは僕にまで当たりだし、

「余計なお節介をしてるんじゃない」とか

「男のくせにチョコマカ気を使うな」などと言ってくる。

 お母ちゃんは口うるさい女で気が強く、

その上、人一倍男らしいといわれる男兄弟の中に生まれ育った為に

男の定義というものがはっきりしていて、お父ちゃんにも僕にもそれを押しつけてくる。

それが腹立たしくて、僕は時々お父ちゃんに八つ当たりしていた。

でもそういう事をした後はなんだか悲しくなった。

 

そしていよいよ、小学六年生の冬が来た。

 僕はその頃、不眠症であった。神経質で臆病な僕は眠りに付きそうになると、

ハッと恐ろしい事を考えてしまったり、その日にあった事を考えだし、思い出し、

反省というより自分を責め始めたりするのだ。

眠るという事は死に至るのと似ているなどと思う。

眠るとは自分がどうなっていくんだろうと思い、それを見届けたいおもいが、

余計眠りから僕を遠ざけていった。

 お父ちゃんは喉が弱かった。

学生の頃、ブラスバンドでトランペットを吹いていたが、肺が弱く家族に止めさせられた

という。

本好きなのに視力が悪くなり、本を読む事を禁止されたり、

歯が弱く乳歯の時から虫歯になり、永久歯が生え揃う頃にはもう欠けたり生えないでし

まった歯があったりして、そのうち入れ歯になり満足に歯が揃った事がないんだと

お母ちゃんが言っていた。

耳も耳だれになったり中耳炎になったりで、聞こえるが少し遠い。

腹が弱くしょっ中、下痢、腹痛に悩まされているのは僕がしっかり受け継いでいる。

 お父ちゃんのやさしさは、弱さを乗り越えながら、

お母ちゃんに事なかれ主義と言われながら、争い事の嫌いな性格に更に磨きのかかった

ものではないかと僕は思っている。

 そんなお父ちゃんがその晩、咳を始めた。

乾いた、ハン、ハンという咳は、襖一枚隔てた隣の部屋から、小さく遠慮がちに

間をおいて聞こえた。

 毎晩眠れず、朝はお母ちゃんにたたき起こされ、早く眠らなければという思いは、

僕の脅迫観念にもなっていた。

眠りに着きそうになると咳が聞こえ、ビクッと布団の中の自分に引き戻される。

それを何度となく繰り返すうちに、腹がたつのを通り越し情けなくなってきた。

僕は静かに鳴き始めた。

 それは最初、声を出さない様に歯を喰いしばり、涙を流していたのだが、

次第に嗚咽へと変わっていった。

布団の襟元は、鼻が詰まり口から吐き出す息で濡れた様に湿っていた。

 いつの間にかお父ちゃんが枕元に来ていた。

お父ちゃんは黙って僕の頭を撫ではじめた。

何も言わずただ頭を撫で続けた。

だんだん僕の気持ちは納まり始め、申し訳ない、悲しい、しかし静かな安心となり、

僕は眠った振りをした。

お父ちゃんは静かに、隣の部屋の自分の布団へと戻って行った。

その時、深く、深く、僕は心に誓ったのだ。

 それから結果的に悲しませた事はあっても、悲しませようとして何かをした事はない。

僕は自信を持ってそう思っている。

 そして五十も近くなった今、朝、起きたときに喉に痰が絡み、洗面所で咳払いをする

と、その声がお父ちゃんなのだ。

お父ちゃんは健在なのに、僕の喉にはもうお父ちゃんが居るんだ。

      1954年生まれの僕は今年52歳になる。otoutyan.htm へのリンク