応援

 

 上品でキレイな母親(45歳位に見える、多分55歳位)とキレイな娘。

母親が聞いてきた。

「あのぉ、ビニールコーティングされた布のテーブルクロスってありますか?」

「えーと」と探したが彼女たちが満足する物はなかった。

「じゃぁ、キッチンマットはありますか?」

「どういった感じの物のお探しですか?」

「そうねぇ」と、母親は娘を振り返り

「ね、あなたどういう物がいいの?」と聞いたので、初めて娘の買い物だと分かった。

 それまでは、娘は母親の後ろに隠れていて私とは目も合わせず気取っているように見え

ていた。

「あら?新生活ですか?」と言うと、

「ええ」とはにかんだように答えた。

「どういった感じのキッチンにしたいんですか?色のテーマとかあります?」

「…」

「例えばカントリー風とか、ヨーロッパ風とか」

「…」

「因みに何色がお好きです?」と聞くと、また母親の顔を見る。

 (あのー、聞いてんのはこっちなんですけど。

その返事せずにいちいち母親の顔を見るのはミットモナイし失礼だってことに気が付いて

いないのか)と思う。

 彼女は、テーブルクロスの話でも埒があかず、その他の欲しい物の話も母親が一人で

していて、娘に聞いてもうっすら笑っているだけで返事をしなかった。

 

 自分は全く口を聞かず、こっちが言ったことを母親がもう一度話して聞かせ、自分の

したいことを母親に喋らせる子が目立つ。

 子と言ったがそれは中学になっても高校になっても、果てはこうやって結婚する年に

なっても自立せず、形だけマトモでキレイで、なのに挨拶もロクに出来ないのかしない

のか、という人が居る。

 

「今のウチはゴチャゴチャなんですけど、以前に作った家のキッチンはブルーとイエロー

だけに決めて、誰かが何か買う時は鍋でもお皿カップ、スポンジお玉、何にしてその色に

するって決めたら、それなりにまとまって、それに買う時に迷わなくて良かったですね」

「あら、いいお話。今日は買いたい物が見つからなくても収穫があって良かったわね。

この間行った家具屋さんでも案内してくれた人が色々アドバイスしてくれて、沢山お話

してくださったのよね」と娘を振り返る母親、そして、返事しない娘。

 (はは〜ん、きっとそこでも長い時間掛けて、それでも決まらず、店員は痺れが切れた

んじゃないかな)と思う。

「あなたが素直で大人しいから皆さんが教えて下さるのよ」と母親が言った瞬間、

「いーや、あなたが自分の考えを言わないから、考えがまとまっていないのかもしれない

けど、相手は何か言いたくなっちゃうんじゃない」と口から出た。

「この子は、自分なりの考えはあるんですけど子供みたいに細かいことにこだわっていて

大事なことになると決められないんです」と母親。

 すると、初めて娘の長文。

「私、何でもいいんです。でも、お母さんは『早く決めなさい。これはこうでなきゃダメ』

って言ってくるから考えがまとまらないんです」

「この子は、ゆっくり考えたいって言うんですけど、私はせっかちなんですね」

「あら、奥さんの印象は上品で生活をユッタリ楽しんでるって感じですよ」

と、お世辞でなく言うと、

「ふふ」と娘が笑った。

 

「あたし、子育てのお話をしてきたんですね」

「あら、だからお話が上手なのね」

「上手かどうか分からないけど、その冒頭で話すこと聞いてくれますか?」

「何でしょ」

「あなたの子は、あなたの身体を経てこの世に生を受けた(若しくは縁あって結ばれた)

あなたの子で在るけども、あなたのモノではない。

あなたのタメに生きているのではなく、あなたのやりたいことを代わりにやる代理人でも

ない。まして、あなたの手柄を立てる手先ではない。

その子は、その子自身の運命と宿命を背負って生まれ、自分の力で今を生きる別の人間。

喜びも悲しみも痛みも快感も、その人が味わうしかない。

それを応援出来る幸せ。でも、生きるのは自分。

お母さんは、お母さんの人生を生きてみませんか?」

 目の縁が赤くなる母親。

それを羞恥心と取るか、草引きと取るか、私は草引き(お祓い)と思う。

 

「応援で思い出したんですけど、“フレフレガール”っていう映画の話してもいいですか?」

「はい」

「高校生の女子が、好きな男の子の野球の応援をしようと思って応援団に入部するんです

けど、結局好きな子は違う野球部に行ちゃうわ振らるわで応援団に入った意味がなくなる

んですね。

でも、みんなで頑張って優勝に導く。って話なんですけど、“応援”って自分が戦うんじゃ

ないんですね。

戦っている人の土俵に乗ってはいけないし、代わりに戦ってもいけない。

“無私応援”って垂れ幕が見えたんですけど、自分を無くして応援するんです。

自分って何か?っていったら、もっと良くなって欲しいとかこうあって欲しいという自分

の欲。って意味なんじゃないかと思うんですよ。

もっと話していいですか?」

「はい」と言う母親の目にウソはないと思った。

「それって、亡己利他(もうこりた)と同じだとおもうんです。

己、自分を亡くして他の利を思う。それは、“やってあげる”ということではなくて、

本当の利、幸せを思い応援する。

応援は手出し、口出しちゃだめなんじゃないでしょうか」

「はい」

 

「よし、最後にまた言っちゃう。

インディアンの子育て、四訓。

『乳児はしっかり肌を離すな、幼児は肌を離せ手を離すな、少年は手を離せ目を離すな

青年は目を離せ、心離すな』

娘さんは、もう青年ですね」

「はい!」

 

 ガンバレー!  ガンバレー!   お母さん!

     フレー!  フレー!  ムスメ!

 

 

 

 

 ouenn.html へのリンク