おじいさんげ(ムカドン)

 

文句勇蔵は、お母ちゃん(オオムカドン)の実家の近くで最初に生まれた孫であった。

そして、年中連れて行かれた母親の実家である「おじいさんげ(家)」それは、

勇蔵にとって記憶の奥に刻みこまれた宝物である。

 母の実家などというと遠くなるようで、「おじいさんげ」で勇蔵は通している。

母親の兄たちは県外で所帯を持っており、弟妹はまだ結婚していなかった。

母親の実家のあと取りの兄は嫁をもらったばかりで、まだ子供がおらず勇蔵は、

祖父、祖母、に跡取りの夫婦、それに二十も年の離れていない叔父二人に叔母一人の

間でおもちゃにされ可愛がられ躾と筋を通すことを教えられて育った。

勇蔵は、ライバルとなる子供も、悪意を持った大人もいない、要するに天敵のない環境

で、愛されて当たり前の、愛されているなどということすら意識にない幼年期を送った

のだ。

そして、ADHDの恐いもの知らずのお人好し、お調子者の天才が出来上がった。

ADHDについてはまたの機会に説くと語りたいと思う。

 

「おじいさんげ」では、盆、正月というと必ずといって良い程、兄弟が集まり宴会が

行われた。

それは夜遅くまで続き、勇蔵の記憶では、夜中になるとコレマタ必ずといっていい程、

男達の喧嘩が始まった。

その場の雰囲気が怪しくなってくると、それまでは機嫌のよかった母親が、突然

まるで勇蔵に落ち度でもあったかの様に「いつまで調子こんで子供が起きてるんだ!」

と言い出す。

勇蔵がおどけるのを見て皆、大口開けて「あっはは、あっはは」と笑っていたのが、

「子供のくせに大人と一緒になって騒いでいるんじゃない!」と手のひらをかえしたよう

に厳しい顔で言い出し、奥の祖母が寝ている部屋へと連れて行かれるのだ。

 しかし勇蔵は、事の成り行きに興味津々でそのままおとなしく布団に入るなど出来る筈

がない。襖の隙間にへばりつくようにして覗くことになる。

すると勇蔵が居なくなるのが合図であったかの様に

「なんだぁー」

「ふざけるんじゃねぇぞ」

「このやろう」

「ぶっ殺してやる」などと物騒な呂律(ろれつ)の回らない声が飛び交い、喧嘩が始まる。

 喧嘩には暗黙の裡(うち)の了解があった。

喧嘩をするのは二、三人だけであとの者たちは止めに入ったり、お膳の上の壊れ物を

避難させたりする。

時にはお膳ごと部屋の隅に移動していく。

女の中には、その後かたづけを考えて嫌な顔をしている者もいるが、

殆どの者たちの目は輝いていた。

酒飲みと喧嘩は早く壊れた者の勝ちで 喧嘩の制裁に入っている者が突然壊れて

ぶち切れたりすると、それで決着がついてしまったりする。

 しかし、そこは年功序列、皆、訳が分からない様なダンゴ状態になったところで、

祖父の一喝が入るのだ。

ただ一言、「いい加減にしたらどうだ。」と言うだけだったが、

それはエラク恰好良かった。

大声を出す訳でもなく、ちょっと歯を食いしばって 斜めに睨む様に静かに言うのだが、

ドスが効いており、その途端にウソのように騒ぎが静かになるのだった。

 

 おじいさんが その辺の揉め事や騒ぎを静めた話は、お母ちゃんから数々聞いては

いたが、「百聞は一見に如かず」である。

勇蔵を可愛がり、嘗めるように面倒を見た祖父が勇蔵には絶対に見せない一面であった。

 母親は、まるで勇蔵に焼き餅を焼いているかの様に何度も言った事があった。

それは「お前はおじいさんのおっかないところを知らないで調子に乗っていると、

今にやっつけられるからな、おじいさんが怒ったら、どんな偉い人だってかなわなかった

んだから、調子に乗ってると、いまに痛い目みるからな。」と

まるで、勇蔵を痛い目に合わせたいかのようなセリフだった。

 しかし勇蔵は祖父が死ぬ迄、痛い目に合わされる事はなかった。

 

勇蔵の宝物は沢山ある。

その元のところにあるのが、「おじいさんげ」である。

勇蔵の母親は、勇蔵が二歳になる前に大病になった。

その時「おじいさんげ」に二ヶ月預けられたことがある。

大きな手術と入院で祖父母は、心の中で覚悟をしていた。

そして、勇蔵がその間一言も「お母ちゃん」と口にしないことから更にその覚悟は、確実

なものと感じられた。

祖父は「勇蔵は、俺の子として育てる」と言い。自分を「父ちゃん」と呼ばせた。

しかし、母親は生還し人並み以上の生命力とバイタリティーを持つ怪物となるのだ。

勇蔵は、母親が戻ってもしばらくは祖父を「父ちゃん」とよんでいた。

尊敬する人がいること、好きな人や物があること、面白いことがあること、

そして、それらのものに囲まれ自らが認められて、そこに育まれ育つものがある。

変わり者でユーモラス、ユニークな叔父たちが、勇蔵の根っこになって支えていることは、

間違いない。

 ちなみに、弁当箱のKおじちゃんは母親の二つ違いの弟である。

不器用で情が深くて思っていることを素直に言えない、生きることを決して諦めない、

愛すべき人たちが、そこには居た。oziisannge.htm へのリンク