おまもりの中のペンダント

 

「あのぉ、おまもりの中って覗いちゃいけないんですか?」と後輩が聞いてきた。

「えー、どうして?」

「つい、2,3日前なんですけど引き出しの中に“おまもりって書いてある袋を見つけ

たんですね。

赤と金色のおまもりの袋で、誰に貰ったんだか、何時のやつだか全く覚えがないんです

けど、持ったらカシャカシャって鳴って、アレって思って覗いてみたら金色の鎖が見えて

開けてみたらペンダントが入っていたんですよ」

「へぇ、面白いね」

「それで、それからつけているんですけど、大丈夫ですか?」

「大丈夫って?」

「おまもりの袋を開けたり、その中のを身に付けたりして」

「大丈夫なんじゃないの、だってペンダントって身に付けるもんなんだから」

「よかった」

 後輩は、突然、憶えのないおまもりの袋が現れ、そこからペンダントが出てきて

首に掛けているが、身に付けていいもんだろうかという迷いがあったんだという。

「おまもりでも何でも人間が作ったモノなんだから、本当の神様とは違うと思うんだけど

わざわざ粗末にすることもないけど、そういうものを必要以上に畏れる必要もないん

じゃないかな」

「効果ってあるんですか?」

「んー、あるっていえばあるし、ないっていえばないんじゃない」

 彼女は、そのペンダントを身に付けてから何だか調子が良い気がするんだという。

「そういう気がするんなら、そうなんじゃない?」

「気がするだけなんでしょうね」

「気がするってのは、そういうこともあるってことだと思うけど。

良い感じがしたんならそうなるように持って行っちゃえばいいんじゃない。

悪いイメージはちょっと気分転換を兼ねて、違う行動でもすればいいような気がする」

「あー、なるほどねぇ」

 

 “犬のおまもり”を昨日載せたばかりの私は、彼女がそれを読んで“おまもり”の話を

始めたのだと思った。

 でも、違った。彼女はまだ読んでいなかった。

へー偶然ってあるなぁ。と思う。

 なんて言うと、「スベテは導かれているんですよ」なんて言う人が居てウザイ。

 

 後輩は、最近職場で我慢ならないことがあったんだという。

以前から“陰で”意地悪されてきた人に、話しかけたら人前で無視され、怒られたという。

 その後も、その時の事実を捻じ曲げ変えて、後輩の悪口を言って回っているらしい。

「ナンデ私がそこまでされなきゃならないのか分からない」と後輩は言う。

 私の目から見た後輩は、親切で面倒見が良く、仕事に誠実でやる気を持った女性だ。

思い上がった所はなく、ちょっと遠慮しすぎるかなと単刀直入な私などは思う。

努力家で職場でも見る目のある上司に信頼されている。

 

彼女が無視され、怒られ、その後も悪口を言って歩いているというその人は、そんな

彼女に嫉妬があったんじゃないかと私は推測した。

 が、その人はその人でそんな自分を乗り越え、成長したらいいと思った。

それより後輩の思考の改善点を見つけた。

 それは、私が自分自身に見つけた改善点と同じだった。

 

 その人に「イジワルされた」のではなく、その人は「イジワルした」のだ。

その人に「無視された」じゃなくてその人は「無視した」のだ。

「怒られた」じゃない「怒った」のだ。

事実を変えて「悪口を言われている」じゃない、「悪口を言っている」のだ。

 分っかるかなー。

自分と切り離して考える。

「ナンデ、私が」という私を横に置いて「そこまでされなきゃならないの」

じゃなくて

「何故、彼女はそういう行動、言動をしたのだろう?」と考えることによって、彼女の

事情が見えてくる。かもしれない。

 そして、彼女の事情は事情で、自分はどうしたいかを考える。

 

後輩は、その人に仕返しをする気はなく、仲良くする気もなく、普通の知り合いとして

挨拶程度の関係にしたいと言った。

 

 私は、はっきりとした目的(それはなるべく具体的に細かくイメージする)を持つ

ことによって実現すると思っている。

 フワフワとした夢見る夢子ちゃんではなく、こうなりたいこうしたいというはっきり

としたビジョンと強い意志を持って、ここが大事“行動に移す”ことで希望は叶う。

 だから、人を傷つけたり悲しませることを目的とした目的は持っちゃダメだと思う。

あと、願い続けて、やり続けることだね。

 

 あーあ、何時ものことだけど、真面目だよねー。話が。

 

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